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姫川の歴史
古の歴史、ロマンチックな響きをもつ「姫川」
フォッサマグナとヒスイの里
姫川はフォッサマグナの西縁、いわゆる糸魚川・静岡構造線に沿って白馬から糸魚川まで流れています。
北アメリカプレートがユーラシアプレートとぶつかり合い、地下深くに潜り込むという地球規模の活動が、この姫川流域で、地表面や地表近くに現れていると考えられています。
姫川は、まさに日本列島を東西に分割する大断層に沿って流れる川なのです。
姫川上流の眺望
姫川流域は日本有数のヒスイの産地
かつて、この地にいた「奴奈川族(ぬながわぞく)」は、5000年も前からヒスイを生活の一部にとりこんで勾玉(まがたま)を作っていました。古事記によると、姫川の下流、高志の国に奴奈川姫(ぬながわひめ)という賢く美しい姫がおり、その噂を聞いた大国主命(おおくにぬしのみこと)が出雲の国から求婚に来た、という神話があります。
姫川という名が奴奈川姫に由来するかのように姫にまつわる伝説は流域に点在しています。
奴奈川姫像
鎮魂の祈り
岩木・頭山集落は、姫川左岸の河口近くに位置し、縄文中期の遺跡も近くにあります。暴れ川・姫川との関わりは古く、江戸時代には幕府指定の水防普請箇所に選ばれ、1770年頃、幕府管理のもとに堤防が築かれた記録があります。
たびたび襲う姫川の洪水に、村民は堤防上に水神碑と石祠を祀って鎮静を祈りました。この水神碑建立は、慶応3年(1867年)であり、対岸の水崎にも延享4年(1747年)建立の水神社が祀られ、脇には水神碑が建っています。
岩木・頭山の水神碑
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