水管理・国土保全

  

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安倍川の歴史

安倍川の流れの変遷

今から500~600年前以前は、安倍川の流れは、乱流していました。室町時代に入ると今川氏が平野の高い箇所に城を築くため幾筋もの支川を西に追いやり、ほぼ現在の流路を流れるようになったと言われている。治水事業は、江戸時代(1500年代末)に始まった新田開発と併せて新田を洪水から守るため山から海にむけて堤防(霞堤)を築いたことに始まるといわれている。


安倍川の流れの変遷




薩摩土手

「薩摩土手」と呼ばれる安倍川の旧堤防は徳川家康の命令で、薩摩藩の島津忠恒が1606(慶長11)年頃に工事を行った堤防です。徳川家康は駿府城の拡張工事を行いましたが、この時、駿府城や城下の町を安倍川の洪水から守るために、この土手を造らせました。また、もしも駿府城を敵に奪われた時には、この土手を切り崩して水攻めにするためでもありました。(※異説もある)
現在この旧堤防が残っているのは、約700mの区間だけで、「薩摩土手之碑」が建てられています。


現在存置されている薩摩土手


現在存置されている薩摩土手の位置図



湯浅堤

大正3年(1914)、8月29日から30日にかけて発生した安倍川決壊による水害は、文政11年(1828)以来の大規模な被害を受けた。
当時の県知事・湯浅倉平は、県議会の反対を押し切り、薩摩土手の北方、安西から牛妻に至る約10kmにわたって大堤防を造り、この堤防は、湯浅堤と命名された。



大正3年洪水 濁流が市街地に流れ込んだ様子(静岡市柳町付近)


大正時代に築造された湯浅堤(昭和63年頃撮影)




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