水管理・国土保全

  

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鈴鹿川の主な災害

鈴鹿川の主な災害
鈴鹿川の治水沿革
鈴鹿川は多量の土砂流出により河道が安定せず、下流部では度々洪水による氾濫が発生した。このため、江戸時代より人々は上流部で崩壊地に石堤を設け(現在でいう砂防工事)、下流部では築堤を行ってきた。しかし、右岸側は神戸城下であることから左岸堤の強化は許されず、この地域では命がけで左岸堤を嵩上げした女人堤防なる話が伝えられている。

国による本格的な治水工事は明治末期に上流砂防事業に着手したことに端を発する。
その後、昭和13年(1938)8月に、記録的豪雨により未曾有の災害をうけたことから、土石流による河道上昇及び下流四日市周辺の軍需工場に対する洪水防御のため、昭和17年(1942)より直轄改修事業が始められた。さらに昭和19年(1944)には崩壊の著しい内部川、鍋川の砂防事業も直轄工事に編入された。なお、砂防事業は昭和44年度(1969)の概成を期に三重県に引き継がれている。

昭和42年(1967)に一級河川に指定された。

鈴鹿川及び鈴鹿川派川の河口部については、昭和28年(1953)9月の台風による被害を受けて、高潮対策事業が昭和28年(1953)から同33年(1958)にかけて実施されたが、昭和34年(1959)9月の伊勢湾台風による被害を受けたため、伊勢湾高潮対策事業として昭和35年(1960)から同38年(1963)にかけて再度、事業を実施した。

鈴鹿川流域においては、平成15年(2003)には南海トラフ地震防災対策推進地域及び南海トラフ地震津波避難対策特別強化地域に指定されており、これまでに河口部において堤防の耐震対策を実施している


発生日 発生原因 被災市町村 被害状況
1938年(昭和13年) 低気圧・前線 全壊6戸、床上・床下浸水不明
1953年(昭和28年) 台風13号 全壊11戸、床上浸水7064戸、床下浸水不明
1959年(昭和34年) 伊勢湾台風 死者行方不明者115名、全壊1250戸、床上浸水15128戸、床下浸水3119戸
1971年(昭和46年) 台風23号 床上浸水161戸、床下浸水1796戸
1972年(昭和47年) 台風20号 全壊1戸、床上浸水29戸、床下浸水1278戸
1974年(昭和49年) 集中豪雨 全壊7戸、床上浸水1147戸、床下浸水3737戸
1988年(昭和63年) 台風11号 床下浸水19戸
1993年(平成5年) 台風14号 床上浸水4戸、床下浸水10戸
1995年(平成7年) 集中豪雨 床上浸水2戸、床下浸水18戸
2012年(平成24年) 台風17号 床上浸水24戸、床下浸水139戸、死者1名



鈴鹿川の主な災害
昭和34年 伊勢湾台風による洪水
高潮による河口左岸堤防の破堤などにより、死者行方不明者115名となる甚大な被害が発生しました


昭和34年伊勢湾台風の浸水状況(四日市市楠町)




昭和49年7月洪水
観測史上最大流量を記録した昭和49年7月洪水では、鈴鹿川の越水及び支川の破堤などにより、広範囲(浸水面積7,551ha)にわたって被害が発生しました。


昭和49年7月洪水の浸水状況 (鈴鹿市庄野町)




平成24年9月洪水
台風17号により、戦後第2位の雨量を観測し、内水氾濫により169戸が浸水する被害が発生した。


鈴鹿川水系内部川6.0k付近(前川橋より下流を望む)




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