熊野三山と総称される熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社。もともとはそれぞれ独自の信仰を持っていたようです。三社の信仰の起源はそれぞれ自然崇拝からはじまったのではないかと考えられますが、特に熊野本宮大社と熊野速玉大社は、熊野川に対する深い信仰があったと思われます。熊野本宮大社はもともと大斎原と呼ばれる熊野川、音無川、岩田川の合流地点の中州に鎮座しており、熊野川を神聖な場所として崇(あが)め、洪水鎮圧のために祀(まつ)っていたのではないかと考えられます。
また熊野速玉大社は熊野川の河口付近に鎮座していることから、川を神として崇敬し、かつ川のはん濫を鎮める役割を担っていたのではないかと考えられ、速玉という名前が玉のように早い流れを意味することでも熊野川との関係がうかがえます。さらに速玉大社の例大祭である御船祭は、熊野川河口から約3km上流に位置する御船島を神の宿所として、その周囲を神幸船で回ることにより魂を鎮める神事とされています。このことからも熊野川は神が往来する場として捉えられ、神聖視されてきました。
そして、熊野三山は、地理的に近かったことと、いわゆる本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)(仏や菩薩が人々の救済のために神の姿を借りてこの世に現れたという考え方)に基づいた神仏習合の思想の影響を受けて、互いに神仏を祀り合い、関係を深めるようになり、巡拝が行われるようになりました。