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桂川の歴史
亀岡盆地
桂川の保津峡上流域の亀岡盆地は、その昔、大きな湖であったといわれています。湖の水は赤い色をしており、これが丹波(赤い波の意)の名の起源と言われています。丹波に来た大国主命は、この地方の請田(ウケタ)神社、鍬山(クワヤマ)神社、持籠(モチカゴ)神社と相談し、保津の山を切り開いて水を京都盆地の方に流したと言われています。その際、鍬山神社はクワで掘り、持籠神社はカゴで土砂を運び、請田神社はその費用を請け負ったと言われ、これにより、豊かな土地が生まれたと言われています。
現在の亀岡盆地
渡月橋
桂川の上流から流されてきた筏は、年間数十万本にも達し、渡月橋の下も材木で埋まるほどでした。 明治42年(1909)、嵯峨の五島に1万坪の筏貯木場が完成しました。 渡月橋は、「隈なく月の渡るに似ている」として名付けられた名橋の一つです。 明治の初め頃までは、たびたびの洪水で流失し、明治20年(1887)頃に木造の橋が架けられました。 現在の橋は、昭和9年(1934)に架け替えられたコンクリート橋ですが、高欄を木製として昔の面影をとどめています。
昔の渡月橋
現在の渡月橋
三川合流部の付け替え
洪水を軽減するために、三川合流部の付け替え工事が行われました。
まず大正14年10月に桂川引堤工事が始まり、新桂川に付け替えられました。翌15年4月には新宇治川が開削され、昭和3年には新桂川と新宇治川の間に新しく背割堤が設けられました。そして、昭和3年7月から新宇治川・木津川間に新しい隔流堤が築かれ、昭和5年6月、すべての工事が完了しました。
これらの工事は、増水時にそれぞれの川がスムーズに合流することを目的として行われたものです。
工事中の様子
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