昭和62年(1987)11月、北川右岸の河川改修工事現場で弥生時代前期の土器片がまとまって埋まっているのを、若狭考古学研究会会長によって発見されました。
遺跡は、南東に高塚集落を望む北川右岸の河口から約1.2km上流で、その立地が極めて特異なことからも注目されました。すなわち、北川の州の地下数メートル、海抜マイナス約1メートルの位置に遺物包含層が存在し、低湿地遺跡の様相を呈していました。
出土した遺物は、坪形・甕形・鉢形などの土器が約1200点、木器2点、ヒョウタン果皮1個体分などでした。
丸山河床遺跡から出土した土器は、弥生時代前期のもので、遠賀川式土器の系統です。日本海を舞台とした西方からの前期弥生式文化が、若狭地方に根付いた証といえます。