水管理・国土保全

  

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北川の歴史

丸山河床遺跡

昭和62年(1987)11月、北川右岸の河川改修工事現場で弥生時代前期の土器片がまとまって埋まっているのを、若狭考古学研究会会長によって発見されました。

遺跡は、南東に高塚集落を望む北川右岸の河口から約1.2km上流で、その立地が極めて特異なことからも注目されました。すなわち、北川の州の地下数メートル、海抜マイナス約1メートルの位置に遺物包含層が存在し、低湿地遺跡の様相を呈していました。

出土した遺物は、坪形・甕形・鉢形などの土器が約1200点、木器2点、ヒョウタン果皮1個体分などでした。

丸山河床遺跡から出土した土器は、弥生時代前期のもので、遠賀川式土器の系統です。日本海を舞台とした西方からの前期弥生式文化が、若狭地方に根付いた証といえます。


河床遺跡調査の様子(小浜市)


出土品



霞堤という治水手法


北川は流路延長が短く、勾配も非常に急な河川であるため、大雨が降ると短時間のうちに急激に増水します。しかし、雨が降り止めば河川水位の減少速度が早いため、現在でも霞堤が残っています。

霞堤とは、連続堤防の一部を開口しておき、流水の勢いを弱めると共に、水田に一時遊水させる治水手法です。

また、北川には急な河床勾配を緩和する目的もあって取水堰兼用の落差工が多く設置してあり、これを利用したかんがい用水取水によって、河川水の効率の良い循環利用が行われています。北川の特徴のひとつに、このような取水堰の多い事が挙げられます。しかし、反面においては、このような多くの落差工があることによって、流下阻害をもたらしています。



霞堤(若狭町)


府中頭首工(小浜市)




若狭と京都を結ぶ「鯖街道」

北川沿いには古墳が多数点在し、古寺・古社や仏像などの文化財も多く、大陸からの文化をいち早く取り入れ花咲かせてきた地域です。この地方と奈良・京都の結びつきは深く・強く、現在でも鵜の瀬のお水送りと奈良東大寺のお水取りの関係や、京都と小浜で盛んな六斎念仏・地蔵盆等各種の行祭事においても継承されています。また、小浜市いずみ町を起点に、熊川宿を中継地とした北川沿い「鯖街道」があります。

この街道は京都出町柳に至り、若狭湾で大量に水揚げされた鯖を一塩して夜通し歩いて運び、京都の商店に届けていたといわれており、このことから「鯖街道」と称されるようになりました。今も物流輸送の主要道になっています。


鯖街道起点の敷石(小浜市)


熊川宿場(若狭町)





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