四国最大の都市である松山市は、夏目漱石の「坊ちゃん」の舞台として、また、3000年の歴史を誇る日本最古の温泉「道後温泉」の町としても有名ですが、その松山市繁栄の基礎を築いたのが「足立重信(あだちしげのぶ)」です。
重信川は、昔、伊予川と呼ばれ大雨のたびに氾濫を繰り返していました。そこで、初代松山道後温泉城主加藤嘉明(かとうよしあきら)が、家臣の足立重信に命じ、重信川の改修にあたらせました。足立重信は、霞堤や鎌投という水制などの工法を用い、堤防を強化して、巧みに氾濫を食い止め、周辺に新田を増やしたのです。この重信の功績を称え、伊予川を重信川と呼ぶようになったと言われています。
川に人名が当てられた例は全国でも珍しく、司馬遼太郎の「街道をゆく-南伊予・西土佐の道-」では「日本の河川で人名がついているのはこの川(重信川)だけではないか」などの記述もあります。
足立重信は、重信川の改修後、支川の石手川の改修、松山城の築城などを行い、その姿は現在も引き継がれています。