松前地区の雨乞いは、参籠・踊りも行われたと思われますが、大干ばつには、水神に汚れたもの、嫌いなものをかけ、怒らせ、あばれて雨を降らせてもらう方法がとられたもので、「御面 雨乞い」行事です。
この御面雨乞いは、藩政時代、東温市の野田・牛渕の両三嶋宮(徳威三嶋宮
・浮嶋神社)と松前町浜との間で行われました。
御面は、推古天皇21 年(613)8 月15 日、乎智益躬が大三島大明神を祈願し、舞楽を奉納した時、海上に小船が出現、しらべてみたところ舟中に人な
く、3 個の古面 が置かれていました。
乎智益躬は奉納舞楽の賜と大変喜び、宇城名郷久米部王楯明宮に奉仕しました。その後、兵火を避けて河之内山中にうつし、さらに雨瀧三嶋宮にうつし、
享保17 年(1732)5 月、寺社奉行の命により、野田・牛渕両三嶋宮に隔年遷座するようになった由緒深い古面 です。