水管理・国土保全

  

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土器川の歴史

土器川の変遷と特色

 土器川の最下流の街丸亀市は、古くは津野郷とよばれ平安朝の頃からひらけ、条里制の遺構や古代遺跡あるいは史跡などが多く存在します。土器川の名称の由来についても、この付近に土器を専門に製造する人々が住んでいたことから、この名前が生まれたとされています。また、土器川中流部左岸には、弘法大師が父を弔う伽藍を建立した善通寺、全国に広く信仰圏をもつ金刀比羅宮(ことひらぐう)があり、町はその門前町として発展してきました。河口から13km地点の祓川(はらいかわ)橋地点で金刀比羅宮の神事の時に人々がミソギをしたことに起因して、祓川橋より上流を祓川とも呼んでいます。
 土器川流域は瀬戸内海気候に属し年間降水量は1,200mm程度と少なく、その降水量は梅雨期と台風期に集中します。土器川のみならず香川県のほとんどの河川は、山地部から瀬戸内海に向け南北を流れる流路の短い急勾配河川のため、扇状地として広がる中下流部は土砂の堆積が著しく、周辺の田畑や家屋より川が高い天井川となっています。そのため、平常時の水は極端に少なく、渇水被害が頻発する反面、ひとたび洪水となれば急流河川のため激流と化す二面性を持っています。



日本一のかんがい用ため池「満濃池」


 そのような中、先人は水利用、特にかんがい用水の水源確保に努力を注ぎ、かんがい用ため池として日本一の規模(1,540万m3)を誇る「満濃池」をはじめ、数多くのため池を築造してきました。


満濃池




土器川の取水形態「出水(ですい)」

 また、香川特有の伏流水の取水形態である「出水(ですい)」を利用したり、頭首工による取水を行っています。昭和49年に完成した吉野川総合開発計画の一環である香川用水事業によって、かんがい用水が確保され、干ばつ時の被害も小さくなったばかりでなく、上水道、工業用水の導入は生活レベルの向上及び産業発展に大きく寄与しています。


出水(ですい)




急流河川の治水対策「霞堤(かすみてい)」

 治水対策として急流河川の特徴を活かし「霞堤(かすみてい)【堤防のある区間に開口部を設け上流と下流の堤防を二重になるようした不連続の堤防】」を築き、氾濫水をすみやかに河川に戻す方法を取ってきました。土器川の霞堤は現在も各所に残っています。


霞堤(かすみてい)





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