水管理・国土保全

  

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大野川の主な災害

悲惨な大水害も語り継がれています

大野川では、過去、人命や財産に大きな被害を及ぼす水害が何度となく発生し、流域の人たちの暮らしに爪痕を残してきました。


平成17年9月洪水 岩舟(いわふね)地区(内水)

発生日 発生原因 被災市町村 被害状況
1893年(明治26年)10月 台風 大分県内、( )は流域内 死者・行方不明者 266名(173名) 浸水家屋 23,194戸(3,750戸)
1943年(昭和18年)9月 暴風雨 大分県内、( )は流域内 死者・行方不明者 318名(不明) 浸水家屋 29,996戸(不明)
1954年(昭和29年)9月 台風第12号 大分県内、( )は流域内 死者・行方不明者 20名(13名) 浸水家屋 22,492戸(不明)
1961年(昭和36年)10月 低気圧 大分県内、( )は流域内 死者・行方不明者 74名(不明) 浸水家屋 17,675戸(不明)
1990年(平成2年)7月 梅雨前線 大分県内、( )は流域内 死者・行方不明者 5名(5名) 浸水家屋 935戸(854戸)
1993年(平成5年)9月 台風第13号 大分県内、( )は流域内 死者・行方不明者 7名(5名) 浸水家屋 8,575戸(534戸)
1999年(平成11年)9月 台風第16号 大分県内、( )は流域内 死者・行方不明者 0名(0名) 浸水家屋 309戸(83戸)
2005年(平成17年)9月 台風第14号 大分県内、( )は流域内 死者・行方不明者 4名(0名) 浸水家屋 1,271戸(616戸)



過去の災害

昭和18年9月 台風第26号は沖縄の南海上をゆっくり北上していたが、18日昼にその向きを北東に変え、19日の昼には奄美大島の西部を北東に進み、宮崎県の西部から高知県四国の足槢岬に上陸しました。この台風の接近のため、下流平地部及び中流部で大雨が降り、本川水位は増大し、下流部の堤防は至るところで越流破堤し、鶴崎(つるさき)町を中心とした平地部は浸水し大被害が生じました。

平成5年 台風第13号は9月3日薩摩半島に上陸し、北東に進み、21時ごろ佐伯(さいき)市付近を通って豊後水道に抜け、大分では日雨量414mm、最大1時間雨量は累年第1位の81.5mmを記録し、犬飼(いぬかい)・大津留(おおつる)・高田(たかた)橋の観測所では既往最高水位を記録しました。

平成29年9月17日の朝方から夕方にかけて、台風第18号に伴う強い雨域が大分川及び大野川流域にかかりました。大野川流域では、流域南部の長谷川(はせがわ)・久部(きゅうぶ)・吉田(よしだ)の各雨量観測所で時間当たりの降水量が過去最高を記録しました。




昭和18年9月洪水 8k400付近 破堤箇所


平成5年9月洪水(既往第1位)



過去の主な渇水
昭和井路(しょうわいろ)の完成
大正15年(1926年)、県下に未曾有の大干ばつが襲った際、大野川下流部一帯の竹中(たけなか)・判田(はんだ)・松岡(まつおか)・明治(めいじ)の四村は収穫皆無の状態となり、さらに大在(おおざい)から坂ノ市(さかのいち)にかけての“はねつるべ”地帯(井戸から水田に水を汲み上げる仕掛けである“はねつるべ”により農業用水を確保していた地域)の被害も甚大でした。この大干ばつが「昭和井路開削事業」の契機となり、昭和17 年に大野川河水統制事業として犬飼の大分県営発電所との共同事業で昭和井路開削国営事業が起工され、その後大分県営事業に引継がれ昭和32年6月に全域が通水し、大野川下流部の約1,500ha をかんがいしています。これにより、下流部での“はねつるべ”等の労苦と、干ばつによる被害は解消されています。


昭和井路



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