水管理・国土保全

  

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川内川の主な災害

水害の歴史

川内川の史実に基づく一番古い洪水は、「続日本書記」及び「大日本史」に記載されている天平18年10月5日(西暦746年)の洪水で、古くから人や家畜の死傷、家屋の埋没・流失といった惨事が幾度ともなく繰り返されてきました。
 昭和年間以降も主に梅雨性及び台風性に起因する洪水被害が頻発しており、近年では、平成18年7月18から23日にかけての梅雨前線に伴う豪雨により、甚大な被害が発生しました。


発生日 発生原因 被災市町村 被害状況
1927(昭和2)年8月11日 台風 浸水家屋 約3,000戸
1943(昭和18)年9月19日 台風 家屋全半壊・流失 144戸、浸水家屋 3,333戸
1954(昭和29)年8月18日 台風 死者(13名)、家屋全半壊・流失 (8,578戸)、
床上浸水(2,102戸)、床下浸水(10,236戸)
1957(昭和32)年7月28日 梅雨 死者・行方不明者(6名)、家屋全半壊・流失(30戸)、
床上浸水 (1,433戸)、床下浸水 (7,689戸)
1969(昭和44)年6月30日 梅雨 死者・行方不明者(52名)、家屋全半壊・流失(283戸)、
床上浸水(5,874戸)、床下浸水(7,448戸)
1971(昭和46)年7月21日 梅雨 死者・行方不明者(12名)、家屋全半壊・流失(347戸)、
床上浸水(3,583戸)、床下浸水(8,599戸)
1971(昭和46年)8月3日 台風 死者・行方不明者(48名)、家屋全半壊・流失(662戸)、
床上浸水(3,091戸)、床下浸水(9,995戸)
1972(昭和47年)6月18日 梅雨 死者・行方不明者 7名、家屋全半壊・流失 357戸、
床上浸水 1,742戸、床下浸水 3,460戸
1972(昭和47年)7月6日 梅雨 死者・行方不明者 8名、家屋全半壊・流失 472戸、
床上浸水 695戸、床下浸水 1,399戸
1989(平成元)年7月27日 台風 家屋全半壊・流失 45戸、床上浸水 171戸、
床下浸水 702戸
1993(平成5)年8月1日 豪雨 家屋全半壊・流失 13戸、床上浸水 170戸、
床下浸水 423戸
1993(平成5)年8月6日 豪雨 家屋全半壊 9戸、床上浸水 102戸、
床下浸水 410戸
1997(平成9)年9月16日 台風 家屋全壊・一部破損 3戸、床上浸水 264戸、
床下浸水 223戸
2005(平成17)年9月6日 台風 家屋一部破損 12戸、床上浸水 37戸、
床下浸水 144戸
2006(平成17)年9月7日 梅雨 死者 2名、家屋全半壊・流失 32戸、
床上浸水 1,816戸、床下浸水 499戸



平成18年7月洪水

7月18日昼頃には九州北部に停滞していた梅雨前線が22日には九州南部まで南下し、長期間にわたって九州南部に停滞したことから、川内川流域の9観測所(八ヶ峰、えびの、加久藤、京町、西ノ野、青木、大口、鈴之瀬、紫尾山)では、1,000mmを超す記録的な豪雨となりました。この豪雨により、11観測所にて観測史上最高水位を記録し、特に宮之城観測所では洪水ピーク時の流量が約4,800m3/s、水位が11.66mに達し、計画高水位を2.92m超過する既往最大の洪水となりました。
 この記録的な豪雨により家屋全半壊・流失32戸、床上浸水1,816戸、床下浸水499戸、浸水面積2,777haという甚大な被害となりました。


自衛隊による救助(さつま町虎居地区)※陸上自衛隊第8師団提供


菱刈地区浸水状況(伊佐市)



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