体系的な治水計画のもとに改修工事に着手したのは、昭和2年8月洪水を受け、翌年に旧河川法の適用を受け、昭和12年に河口からの延長9kmの区間が直轄改修区域に指定されてからのことです。これ以降、洪水による被害の発生とともに、上流側の区間も段階的に直轄改修区域に編入され、その度に治水計画が見直されてきました。
昭和21年には、人吉市から上流に向かって水上村に至るまでの区間が直轄改修区域に編入され、昭和29年8月と9月に相次いで台風が襲来し、上流部では既往最高水位を上回る事態が生じたこともあり、上下流一貫した計画の再検討を行い、球磨川の改修計画が決定されました。
昭和40年に新河川法が施行され、工事実施基本計画をもとに水系一貫した総合的な河川管理ができるようになるとともに、昭和40年7月に発生した戦後最大となる水害を契機に、球磨川の改修計画は昭和41年に抜本的に改訂され、新たに川辺川筋に計画された川辺川ダムによる洪水調節を基本とした改修計画が確立されました。昭和48年には、山間狭窄部にあたる中流部も直轄改修区域に編入されています。
平成19年には、現行の河川法に基づき、球磨川水系河川整備基本方針を策定しています。