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河川局



1.瀬田川の歴史
 "瀬田川は琵琶湖から流れ出るただ1つの川です。その歴史は浚渫と洗堰設置が物語ります。奈良時代に始まった浚渫の構想、そして明治38年の南郷洗堰設置、昭和36年の瀬田川洗堰設置、そして今日もその歴史は続いています。"

瀬田川浚渫と洗堰設置


【上空からの瀬田川】
【上空からの瀬田川】
 (概要)
流域面積:3,848km2 (内湖面積:674km2
幹線流路延長 15.8km
直轄(琵琶湖河川事務所)管理区間:7.5km
(これより下流は、淀川ダム統合管理事務所管理)

(瀬田川の歴史)
 瀬田川の川浚えは、奈良時代の僧である行基が「琵琶湖周辺の洪水による浸水被害を防ぐには、瀬田川を開削し、早く多く下流に流すしかない。」と言ったことが始まりですが、その後なかなか進みませんでした。
 江戸時代に入った元禄12年(1699年)、幕府の命を受け、指揮をとった河村瑞賢によって、瀬田橋から旧洗堰の間の東岸を切り取って浚え、黒津八島の洲を取り崩して2つの島とし、水の流れを円滑にするという大工事がなされました。その後、高嶋郡深溝村の庄屋、藤本太郎兵衛の親子三代にわたる努力によって天保2年(1831年)自普請による改修が実現しました。全長14kmにわたる、川浚え、瀬違えの掘割など本格的な工事で、沿岸諸村から出役人夫31万人、銀347貫を費やして5ヶ月で竣工しました。
 明治11年には、洪水時に多量の土砂が流れ出し瀬田川の洪水の一因となっていた田上山の土砂流出を防ぐために、砂防事業に着手しました。明治18年、22年と続けて下流淀川で大きな洪水被害を受けたのを契機として、水系上下流一貫の治水工事(淀川改良工事)が実施されました。その内容は瀬田川の浚渫と洗堰の設置、宇治川、桂川、木津川の三川合流点付近の河道整備、新淀川の開削などでした。
 また、浚渫とともに重要なこととして、洗堰の設置があります。これは、瀬田川浚渫により流れがよくなると、こんどは下流淀川が洪水を起こしやすくなってしまいます。また、長い間雨が降らないと、琵琶湖の水位が下がり、水不足(渇水)になってしまいます。この洪水と渇水という相反する2つの事項を解決するために設置されたのが洗堰です。明治38年には南郷洗堰に替り、昭和36年には現在の瀬田川洗堰が築造されました。

【明治38年の南郷洗堰】 【現在の瀬田川洗堰】
【明治38年の南郷洗堰】【現在の瀬田川洗堰】


【瀬田川洗堰の操作(洪水時)】
【瀬田川洗堰の操作(洪水時)】
*1大雨で淀川の水位が上昇し始めますが、琵琶湖はだ水位の上昇がありません。
*2淀川の流量がピークになっても、琵琶湖の水位はさほど上昇していないので、洗堰は全閉し放流しません。
*3淀川の流量が減り始める頃、琵琶湖の水位は上昇しているので、洗堰を全開して琵琶湖の水位を低下させます。


 以後も、琵琶湖総合開発事業を含めて瀬田川の水はけをよくする努力は、今日まで続いています。


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