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氏 名所 属
秋山 孝正 岐阜大学 工学部 教授

■ご意見の内容

1) これまでの道路政策について
@ 「将来の交通量の予測が当たらない」と言うが、これはおかしい。将来交通量は、天気予報の明日の天気とは異なり、何年後かに実際にこの交通量になるとか、当たった、はずれたとか言う性格のものではそもそもない。将来交通量は、道路を計画をする際に一定の条件を与えて理論的に算出したもので、これにより道路事業実施の現在の意思決定を行うためのもの。しかし、その将来交通量だけが一人歩きをして、「実際の交通量と違う」とマスコミから攻められている状況が見られる。計画論上での数字であるとの意味を伝えないといけない。この点で社会との意志の疎通ができていない。土木計画論としては、例えばA、Bのプロジェクトを比較し、どちらに投資をするのかを決める時に将来交通量が出てくるのであって、必ず10年後にはこの交通量になるという性格のものではない。マスコミの取り上げ方は間違いだが、一方で事業者側の元々の説明の仕方が悪い面もあるのではないか?
この道路の計画論についてもキチンと説明責任を果たせるようにすべき。

A 現在の道路での便益計算の手法では、走行便益と時間短縮便益を別々に計算してこれらをプラスしているが、理論的には不整合な点がある。交通経済学的には、ドライバーは距離も、車の走行経費も、所要時間も一つの交通費用(一般化交通費用)としてとらえて判断していると考えるのであって、交通均衡の状態を前提に、これらを分けることはできない。
現在の便益計算の仕方、あるいは計算の順番に問題を感ずる。時間短縮のみで交通量を出して、またこの交通量を元にして走行便益、時間短縮便益を出し、これを加え合わせると、ダブルカウントになる可能性がある。


2) 今後の道路施策について
@ 1点目は阪神高速特有の事。阪神公団が民営化したのだからもっと柔軟な意志決定ができるようにすべきといった事。高速道路の料金は、民営会社が決めることを許すべきである。また利用促進にかかる施策は、自由な発想で行うべきで、鉄道会社が行っているように、例えば、民間鉄道会社が遊園地を造ったように自由度を増やし、会社側のモチベーションを上げられるよう様々な利用者サービスを民間ベースで行っていける制度を構築するべきである。

A 路上工事の削減についてだが、事故多発箇所と道路工事実施箇所を面的に見てみると、工事を行うと近隣で交通事故が増加するようなことが見られる。通常の通勤経路で工事があれば迂回路に車が集中し、事故も増加すると言った事が起こる。特に路上工事はやはり第四四半期に多いため、工事を集中させ路上工事の期間を短縮する事よりも、適切に工事を分散させ、時期的にも分散させた方が交通事故件数減少の効果がある。路上規制時間削減より工事の時期の分散が事故減のポイントである。道路工事の時間的空間的な分散と道路交通事故の削減が密接に関連しており、この点に着目した道路維持補修計画を検討してはどうか。

B これは、先に話した将来交通量の話に通じるが、計画を説明するときに不確実性を前提にした説明ができないかと考える。すなわち、将来交通量にしても、社会情勢の設定等によって将来の交通量は変わってくる。このため、何台と言い切るのではなくて、高い場合と低い場合の推計台数に幅を持った形で説明をし、その上でプロジェクトの必要性を合意形成するような方法にできないか。


3) 岐阜の道路に関する問題について
@ 岐阜の場合、車社会が行きすぎているところがある。
モータリゼーションの進展により、町の様子が旧来の街並みから拡散してしまった。特に近年では、少子高齢化時代を迎え、今後、暮らしが成り立たなくなっていくと考える。現在では、大規模な郊外型ショッピングモールができれば、ひとびとは当面はそういうところに買い物に行くが、その先の都市構造を考えると不安を感じる。
さらに、道路景観、環境、まちづくりの面では、こういったショッピングモールに大規模薬局チェーン店などなどによって、全国どこでも同じ景色になる。個性あるまちづくりや道路景観づくりに逆行する現象。こういった大型店は、今はニーズに合っているが、だからと言って、どこにでも同じ環境を作ってもよいのか?道路計画を考える上でも、こういった社会の動きとそれに付随して発生している問題を十分に検討することなく、いわば需要追従型の対応に追われている。これが果たして豊かなくらしなのか?現在は、高齢者も多数が自動車により買い物に行っているが、更に高齢化が進展すれば現実的な危険が問題化する。
モータリゼーションの是認によって、運転ができない交通上の弱者が増大し、運転できるものも、実は身体的な衰えによって危険を感じるが運転せざるを得ない状況となる。こうして運転ができないものが広い範囲に増加し、まるで陸の孤島のように社会から取り残され生活せざるを得なくなる。
岐阜では高齢者の交通事故がとりわけ多い。典型的なパターンは、軽四に老人が3人乗って郊外のショッピングモールに買い物に行く。これが反射神経の衰えなどを一つの原因として、結局、若者が運転する大型車とぶつかって人身事故となる。そして、軽四の老人が犠牲者となる。
今後これに更に拍車がかかるのではないか。
道路の整備や安全性を高めるだけでは、この問題は解決しない。不便なところ危険なところに手を入れるのは当然だが、交通施策上で他の交通機関との連携を図ることが必要。
このままでは社会の本質的な問題として顕在化するものと思う。
交通運用面では、環状線の内側などのゾーン内を車禁止とし、その外側でパークアンドライドを考えるなどすれば、より効率的な交通ができ、輸送効率を上げることができる。これまで道路施策は対症療法的であった。これも必要だが、そればかりでは駄目だ。岐阜市内に向けた通勤状況を見てもほとんどが1人1台で通勤している。これで激しい渋滞が起きている。非常に無駄に感じる。TDMの議論であればHOV(high occupancy vehicle :相乗り車両に関する優先通行施策)となるのだろうが、それ以前に本質的におかしな事だと思う。これを道路整備だけで議論するのではなく、他の交通機関と組み合わせた交通施策で改善する議論に転換すべき時だ。

A 岐阜市内のことだか、歩道橋や地下道が、あまり利用されていない形で多数存在している。その実態は使いにくく、通学路として定められている子供しかつかっていない状態。そのためだけに施設を維持していくのが大変。歩道橋は景観上も良くない。歩行者空間整備と合わせて見直しができないか?岐阜市内の歩道橋や地下道が非常に気になっている。

B 岐阜では、何年か前に県主催で「道を考える会」との名目で、市民との懇談が開催されこの会議をとりまとめた。この時、岐阜市の中心部の人と糸貫町・根尾村(当時)などの郊外の人とでは、道路整備に対する発想がずいぶん違うと感じた。岐阜市内では、車はいいから、もっと人や自転車の環境整備をとのニーズがあり。郊外部では、通院や買い物にも必要だから道路整備はやってほしいとのニーズがある一方で、大規模店舗に対しては快く思っていない。大規模店舗には外から人が来て、夜遅くまで交通が多く、ゴミ捨てや事故など問題がもたらされる。いっそない方がましとの意見も出る。このように住民のニーズが地域によって違っている。地域の意見を道路整備にきめこまかく吸い上げる事が大切だ。地域ごとに道路環境と住民のニーズの違いがあり、画一的にはとらえられない。


4) 根本的なことだが、道路特定財源の一般財源化の議論もそうだが、今、住民参加、合意形成、など言われているが、一番基本的なところで意識の共有ができていないと感ずる。
将来の危機感、このままではこうなってしまうといった将来の予測が説明されていないし、説明が下手である。一方で地球温暖化の事は結構理解されてきているが、振り返って道路はどうか。道路はあって当たり前。一般住民にとって、道をつくると言っても基本的には人ごとであり、本当の意味での議論ができていない。交通をめぐる問題は、結局お互い様の感覚、譲り合いが大切だが、これが実感として伝わっていない。議論になるとしても、自分の家の前がどうなると言った即物的な話になる。現在のPIを見ていても結局本当の意味の議論ができている状況ではない。作る方は自分の説明をし、聞く方の意識がかみ合っていない。
住民の危機感をあおるわけではないが、道路計画者側が気にしている視点を旨く伝える事が必要。昨今は技術面でも進展があるので、将来の交通シミュレーション結果を見せるなど、見て解るような説明の工夫が必要。