閉じる
氏 名所 属
萩谷 順 法政大学 法学部 教授・ジャーナリスト

■ご意見の内容

○ 「真に必要な道路整備」の「真に」は、個別具体的に判断せざるをえない。しかし、我が国では、見解の対立を越えて妥当な結論に至る手続きに重大な欠陥がある。政権交代による最終的な事後チェックがないことである。「真に必要な道路」の有権解釈権が時の政権にあったとしても、政権交代があればいずれ、その妥当性は厳しいチェックにさらされる。それが無い状況ではブラックボックスのままで終わってしまいがちだ。官僚は、全体の奉仕者としてその仕事を行うが、あくまでも現行の法や制度の枠組みに縛られる。法や制度が現実や事実に適合しなくなったときに、それを変えることができるのは「政治」である。政権交代がないのは、政治の機能不全だ。官僚に政治の機能不全をカバーすることまで期待するのはむずかしい。

○ 「道路性悪説」はとるべきでないが、道路の問題点や矛盾を告発するマスコミの機能は市民にとって極めて有益である。一方、マスコミがつねに合理的かつ包括的な解決策を提示できるとはかぎらない。マスコミが手にできるデータと、官庁が蓄積しているデータの質量面での格差があまりに大きいからだ。道路問題については、日本列島の構造や気象環境など巨視的な基底条件をしっかり押えないまま論じられることがある。アルプス山脈から北海、バルト海に至るゆるやかな斜面にグラフ型交通ネットワークを展開できる欧州と国土の大部分がけわしい脊梁山脈につらなる山地で交通ネットワークがヘリンボーン状にならざるを得ない我が国が同断に論じられてしまったりする(cf.ディーゼル排気微粒子汚染問題)。その一方で、唯一グラフ型ネットワークが存在しうる関東平野で東京を遠く迂回する環状道路の意義が軽視されてきた。こうした認識のいびつさが解消されていたら、東京の大気汚染の推移も異なったものになっていただろう。

○ 経済的利益と市民生活の質を両立させる道路政策の立案・選択を可能にするためには、官庁が蓄積した「データ」と「知恵」をもっと国民に公開する必要がある。国が所有する様々な統計データは、道路行政を改善する際の基礎データとして非常に有効なものである。それを広く国民が共有し、用いることができるようにすべきだ。一方、行政は巨大なシンクタンクでもある。そこで育まれた「知恵」は、徹底した情報公開が実現すれば、かならずしも市民の利益と敵対的ではないはずだ。

○地域が地域のレベルだけでものを考えるのではなく、道路による利便と負荷を公平に負担しあえるような行政単位を超えた道路整備計画を策定する必要がある。

○都市計画の問題の一つに、相続の度に繰り返される一筆土地の縮小化がある。都心では、宅地は細分化し、隙間なくかつ低層住宅として建築されている。道路行政、住宅行政、河川行政と個別にタコツボ化するのではなく、たとえば、東京の山手線内を都市高度開発特区として、私権の一部制限を前提に、街区単位面積の拡大を含む土地高度利用、災害対策、生活環境の向上を一括してめざすマクロな政策展開を行うことも考えられるべきだ。