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氏 名所 属
小林 英嗣 北海道大学大学院 教授

■ご意見の内容

 これまでの道路政策は、国土計画を支えるため、データに基づく一律の理論のもとに国民の生活基盤を構築してきた。そのための道路特定財源であり、中長期計画であったと感じている。

 社会基盤が極めて不足していた時代には、理論を中心に効率を重視する必要があったが、その結果、失われたものも大きい。機能重視の道路構造により阻害された地域固有の風景や景観、地域共同体に対する意識の低下にも、画一の道路ネットワーク整備が影響を与えていると考えられる。

 生活者は、国道、地方道という区別はしていないが、道路の機能の区分は意識している。世界標準と比較した場合、例えば広幅員道路・街路は街自体の風格を向上するものとして高く評価されるが、日本では車の量で一律に車線数を決める手法に偏重し、道路のシンボリックな機能が失われている。海外では周辺の建物を含めた空間としての道路を考えているが、日本の道路は平面に対しての道路機能しか考えてこなかった。道路は本来、多様な機能を持つが、単機能に特化した効率性追求により整備が進められるたことにより、逆に無駄を生み出している。

 日本の沿道景観は、電柱が象徴的だが、世界標準と比較すると低レベルな状況である。景観向上のためには、景観阻害要因の撤去などの小規模な修景が有効であり、これには地域住民の主体的な参加が有効である。北海道で進められているシーニックバイウェイ北海道の取組みでは、地域住民の主体的提案から実行の段階に進んでいるが、地域住民による取組みは極めて低コストで、複合的に考えられており、かつ機動的である。加えてこれら改善した沿道景観を活用した地域ビジネスの創出というまちづくり・地域づくりの方向に進んできている。

 近代の道路行政は生活基盤としての道路を責任を持って整備・管理してきたが、そのことが、かつては地域住民が自らの手で守ってきた道に対する意識、地域のコミュニティー意識の喪失に繋がってきた。今後はまちづくりなどをきっかけとした共同体意識の再生のための道路政策に転換していく必要がある。

 地域では全く意識が失われたわけではなく、むしろシーニックバイウェイ北海道や北のみち普請のように活発な活動を続けている人々がいる。このような地域で取り組む人材を支え、上手く連携させていくシステムと、柔軟に予算を運用できるシステムが必要である。

 例えば地域コミュニティーが選ぶ地域委員に一定額の予算を預け使途を決定させたり、有効な提案を頂いた地域活動団体に事業を負託するなど、地域の裁量で事業を行うような制度があっても良いのではないか。美しい国づくりのため、まちづくり地域づくりのために、道路行政がどこまで責任をもって対応していけるのかが問われている。

 一方で北海道の地方部の実情を考えると、地域医療に代表されるように住み続けていくためには極めて厳しい状況にさらされている。北海道は広域分散な地域特性や、人口密度が粗なため、本州に比べ交通量や事業の効率性が常に問われるが、ナショナルミニマムの確保、生命を支える社会基盤については、国民的理解のもと推進されるべきではないか。道路政策だけの問題ではなく、国民の税金をどう使うかの問題であり、ドクターヘリで補完する地域があれば、一体的にヘリポートなど空と道の接点を整備していく考え方が合ってもよい。

 食糧基地としての北海道の一次産業の維持には最低限の人口が必要であり、北海道の定住化促進のために必要な社会基盤が不可欠であり、量の問題ではなく質の問題である。日本の食糧自給率を上げるためには、その担い手をいかに確保するかであり、このための生活基盤整備は一体的・優先的に考えられるべきである。

 EUに見られるよう、グローバルスタンダードとして、都市や地域の計画を支える理念は、“困窮した、条件不利地域・住民を救う”ことである。

 理論ではない、心・情による道路政策への転換が必要となっている。