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氏 名所 属
森本 幸裕 京都大学大学院 地球環境学堂 教授

■ご意見の内容

・ 今般のヒアリングもそうだが、最近、プロがプロとしての自信を喪失している事例が多いように感じている。幅広く意見を集約することも大切だが、論点や技術的課題を明確化した上で議論しないと生産的ではないし、また、大きな声の意見に流されてしまう危険性がある。最近、造園設計においても参加型デザインの手法が取り入れられるようになってきたが、デザイン面で優れた結果を得ているとはとても評価できない。プロがどう活躍するのか、という視点が抜けていると単なる無責任なものとなってしまうので、注意が必要。

・ 成熟社会を迎え、社会における道路整備のあり方の最適化を行う時期に来ていると考えている。植物のほか多様な生物による生態系は、光合成により酸素を作り出しているだけでなく、人間が地球上で生きるためのもの、すべての必要なものをサービスしてくれているが、対価を支払わずに無償で手に入れていることから、経済的価値はないものとされてきた。しかし、生態系によるこれらのサービスがなければ、人間は地球上に存在していないのは事実であり、これらの生態系サービスを経済的価値に換算する試みが最近盛んに行われている。道路整備が、どれだけ環境に負荷や便益を発生させるのか評価する指標として、こうした視点や手法を取り入れてはどうか。また、ライフサイクルアセスメントや戦略的環境アセスメントなど、道路事業による環境影響評価手法として取り入れるべき。

・ 従来の道路緑化は、浸食防止、修景、環境への影響緩和を目的とするなど、マイナス面の克服のために実施されてきた側面が強いと感じている。アメリカでは、スカイン・ドライブ、ブルーリッジ・パークウェイなどのパークウェイが国立公園と一帯として整備され、道路を通行することで美しい景観が体験できることから年間1700万人も訪れている事例がある。また、ヴェイルパス、シアトル・フリーウェイパークといった州間道路の整備においても、のり面のラウンディングや発破による地盤造形などで自然地形の雰囲気を創出し、構造物を当該地区の岩石になじむ着色にするといった個別対応に加え、ランドスケープ・プランナーが道路周辺を含む全体のランドスケープを計画するなどして美しい道路や景観を整備している。こうしたアメリカの事例の根底には、多少コストがかかったとしても、「道路が創造する『環境資産』を評価する」という考え方があり、日本においても是非取り入れるべき。

・ 道路行政が道路だけを対象にしていては、良い道路はできない。今後、公園、都市、道路等の一体的、総合的な整備が必要となる。そのためには、行政の縦割りがネックであり、役所間の垣根意識を払拭し、全体を見渡す仕組みづくりが重要。

・ デザインは、単に化粧を施せば良くなるものではない。道路など大規模事業においては、デザインや計画をどうしたいのかという行政の強い意志が重要。

・ 京都市内に、現在の道路構造令では街路樹を設置できない幅員であるにもかかわらず、エンジュの並木が整備された道路があるが、並木によるトンネルのような景観は市民や観光客の大多数から支持されている。こうした事例のように、場所に即して個性を活かすためには、基準等の見直しが必要ではないか。マイナス面を克服するための緑化から、良い道路や環境資産を創造するなど、プラス面を伸ばす緑化に転換が必要。

・ 従来、道路行政は沿道の人々の意見に敏感に反応しすぎてきた。大多数の市民や観光客の意向も踏まえた上でどう対応するのか、行政の考え方が今後ますます重要になる。あわせて説明責任を果たしていくことも重要。

・ 日本では、個人の私権が強すぎると感じている。観光客に人気のある町家など、環境資産の形成においては、たった一人が個人的な主張を実行に移すだけで、全体の資産価値を下げることにつながる。乱立する広告も同様である。イタリアなどでは、周囲をわきまえない振る舞いは強く批判されると聞く。日本において、パブリックの精神を如何に醸成していくことも課題ではないか。

・ 道路を整備すれば国民が喜んでいた時代は終わった。本質的に日本をどうしていくのか整理した上で計画を立案すべきであり、あわせて、国民の理解を得るためにもPRの仕方について検討が必要。