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氏 名所 属
岡野 行秀 道路経済研究所 最高顧問兼参与

■ご意見の内容

【これまでの道路政策に関する評価】
・昭和29年に始まった第1次道路整備5カ年計画以降、第11次5カ年計画、平成10年度からの新道路整備5カ年計画まで、段階を追って量的整備から質の向上へと順次重点を移しながら道路の整備が行われてきた。大都市中心部のそれまで雨天の日には必需品だった雨靴・長靴が不要な道路に変わった。都市間の道路も全国どこへでも1〜2日で荷物が送ることができるまでに整備されてきた。このような道路整備を可能にした資金は、道路利用者に負担を求める道路特定財源によってまかなわれたので、その貢献は絶大だった。これまでの整備計画と財源調達制度を根幹にした道路政策は第2次大戦後の日本経済の復興・成長に大きく貢献したと評価する。

・しかし、道路政策については、道路整備の路線選択や整備順序の決定に政治が関与して最適化を妨げたことは無視できない。長期的に道路整備をしていく上での効率性をないがしろにするような政治介入が望ましくないことは言うまでもない。より具体的に言うと、高速道路の建設の順序が政治介入で決まるようなことは絶対にあってはならない。

・一つ問題視したいのは、道路投資は、本来社会資本というストックを充実させることが目的である。長期的観点に立って計画的に毎年の投資を決定すべきである。しばしば、フロー(公共投資額)に着目して景気対策という短期的な視点に左右されて投資額が増額されたり、財政危機を理由に減額されたり変動した。あくまでストックの充実が目標であることを肝に銘ずべきである。

・道路政策の内容については、それぞれの時代でそれぞれの時代のニーズに相応しい道路政策がほぼ行われてきたといえよう。しかし、環境問題のように時代の進展とともに社会の価値規準が変化するので、長期的な視点からこれまでの道路政策の内容全般に関して総合的な評価をするのは簡単ではなく、むずかしい。


【道路に関して無駄と言われていることに関して】
・そもそも、無駄とは何か、無駄だという人はいかなる意味で無駄であるかを明確にすることが必要である。

・ネットワークとして完成していない前後が未完成で部分的に開通した道路をとらえて、現在の自動車の交通量が少ないから無駄であるというのはナンセンスである。道路公団民営化の議論の際に当時の交通量が数百台/日だった伊勢湾岸道路が無駄な道路の典型例に挙げられたが、その後、前後の区間が開通してネットワークがつながった現在では交通量が1日5万台を超えるほどに大幅に増加した。道路網が完成し、ネットワークで機能するようになって初めて、当該道路はその機能を発揮することになるのだから、それ以前の段階での少ない交通量を理由に無駄であるとの批判はまったく当たらない。近視眼的な主張の典型である。

・一般には通常の交通量が少ない無駄といわれる道路であっても、災害時のリダンダンシー確保の観点から必要な道路もある。1本だけの道路の評価だけではなく周辺道路との代替性等を勘案して当該道路が無駄かどうかを評価すべきであるし、そのような観点からは単純に一本の道路が無駄だということにはならないと考えるべきである。

・中越地震の際の上越道、磐越道のリダンダンシー機能の発揮などは好例としてもっとPRするべきである。

・道路建設はコストがかかりすぎるという意味で無駄だという批判もあるが、そのような批判をする人には是非とも工事の現場を見せるといい。ドイツやフランスのように山がない国と違って、山や谷が多い上、地震が多い日本では、トンネルが必要だし、山間地では厳しい国土条件のなか道路のネットワークを整えるための様々な技術的な工夫がなされている。そのために費用がかかることについて、現場を見れば一概に無駄とはいえないことが一目でわかるはずである。勿論、できるだけコストを節減する必要があることはいうまでもない。


【優先度が高い課題への対応】
・大都市においてもっとも優先度が高いのは環状道路の整備であると考える。広域的な交通量の適正配分には不可欠である。

・局所的な渋滞の解消、例えば混雑交差点の立体交差化、鉄道の「開かずの踏切」の改良などの優先度が高いといえよう。

・電線類地中化についても優先度が高い問題であると考えるが、これは都市空間の問題として取り扱ってもいいのではないか。都市空間も美しく、快適な空間にすることが必要であるし、クレーン車がクレーンを架空電線に引っ掛けて電柱を倒し、死者を出したような事故を回避するのにも貢献する。

・都市中心に、コンパクトシティーというアイディアが注目されているが、地方部では、高速道路ネットワークで結ぶことによって町や集落間の距離を克服してコンパクト化するというアイデイアを導入してもいいのではないか。コンパクトシティーというと徒歩圏内を想定しがちだが、自動車の移動により医療の広域的な連携−中央自動車道で結ばれた伊奈中央病院(ガン)、駒ヶ根市の昭和伊南総合病院(脳血栓)、飯田市立病院(心臓病)の3病院からなる高度医療ネットワーク−が見られるケースなども、医療に関わるコンパクトシティーといえるのではないか。また、高速道路のICの近くに高齢者中心のまち−コンパクトシティーを整備し、自動車が利用できない高齢者のためのマイクロバス等を用いた交通機関を準備して、医療サービスを整備するという構想もあり得る。

【国民、有識者層に意見を聴くに当たって留意すべき点】
・常日頃の情報提供−PR−を重視するべきだと考える。足下道路から全国高速道路ネットワークまで、日々の生活や生産・流通活動に欠かせない道路であるのに、一般国民が持っている情報はきわめて限定的である。

・交通インフラとしての役割以外にも、上・下水道・ガス・通信等の公益施設の収容空間として、また、防災・避難路・救急・救命等に必要な空間として多面的な役割を果たしていることも認識してもらう必要がある。

・道路には鉄道ファンのような道路ファンがいない。子供の頃から道路に関心を持ってもらうような工夫が必要ではないか。例えば、道路の歴史的な成り立ちや機能・役割を解説した絵本などを小学校に配ることなど考えたらどうか。「道の発展とわたしたちのくらし(神崎宣武著:さ・え・ら書房)」が参考になろう。また、小・中学校で、事故が起こりやすい道路の調査・対策を内容にしたプロジェクトワークの授業をしたらどうか?


【その他の道路政策全般に関するご意見】
・市の区域の境目にある交差点など、道路管理者が異なる部分の境界地において、一方の道路管理者の側の道路整備は進んでいて拡幅が済んでいるが、他方の道路管理者の側の道路整備が遅れていて狭隘であり、同一の利用者が利用する道路において整備水準が明確に異なるケースが見受けられる。このようなことは望ましいものではない。上位の道路管理者が調整して2区域の整備水準を合わせていくような仕組みを設けられないか。

・道路の整備だけでなく、道路の維持・修繕に重点をおくという最近の姿勢については、評価できる。中越沖地震で生じた道路の損壊や米国ミネアポリスの橋梁崩落は、道路の維持補修の管理の重要性を示している。新設・整備の段階から維持・修繕まで全体を含めた道路管理システムを構築して整備を進めていくことが必要ではないか。

・国家の政策を担う国の公務員は、もっと堂々と自説を述べた方がいい。何をやってもマスコミに批判されるというのが現状ではあるが、道路政策にしてもそれぞれの時代に相応しい政策を行う意志はあると見受ける。道路利用者が負担している道路関係税からなる道路特定財源は、納税者が国に道路整備を負託して納めた税である。これからは、財源を効率的に使って、着実に道路整備を進めて国民の負託に応える義務を負っていることを忘れないでほしい。