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氏 名所 属
関谷 邦彦 南信州新聞社 代表取締役

■ご意見の内容

 国の建設行政、特に道路事業を巡ってはいろいろな意見を持っていますが、ここでは地域というか身近なことを取り上げました。この日常の生活の中で感じたことを積み重ね国政に反映していただければ大変有り難い。その前提に、一つだけ国レベルの面で提言します。
 いま飯田下伊那地域は国内でも有数な交通が不便な地域だ。日本の交通網計画が東京を起点というか、首都中心となっている。この事については異論もあるが、日本の政治、経済、文化などあらゆる面が東京など関東圏への一極集中になっている以上、止むを得まい。
 公共交通機関での飯伊から東京への時間的距離は4時間余である。日本のへき地である石垣島など南海諸島とか北海道の地方市など時間がかかるという有様である。そこで唯一の望みは、リニア中央新幹線である。この実現のため郡市民が一体となって運動しているが、道路でも可能だといえる。
 中央自動車道は国内の高速道計画で嚆矢といえる。それは戦前の弾丸道路計画が起因する。また戦後は一早く静岡県の民間人田中清一氏が総合国土計画案を提唱した。これは東京から大阪まで最短距離で結ぼうというもので、コースは南アルプスをぶち抜くという壮大なものであった。現代の土木技術では不可能ではないだろうが、戦後間もなく国民が打ちのめされているなかでの発案であった。飯伊はこれに呼応した。この運動が導火線になり国土縦貫自動車道建設法となった。
 しかし法案は成立しても中央道は後回しとなった。名神に続き東京オリンピックの関連で東名線が優先された。中央道は東名道と争ったが政治力の差と五輪という錦の御旗で圧倒された。
 中央道の建設は後回しになったが、その必要性から早期着工は当然のことであった。だが、途中コースが諏訪回りになってしまった。長野県をかすめるより南部を縦貫し地域開発を促進するのも大事だが、飯伊はこれによって大きなマイナスを背負った。中央道が開けば東京まで3時間と期待を持たせたが1時間オーバーしてしまった。
 そこで提言だが中央道の山梨から分岐して南アルプスをトンネルで抜き三遠南信道と直結させたらどうだろうか。東京〜大阪間は東名道と中央道のほか第二東名道の3線になりそうだが、この南ア線が一番距離的・時間的距離が縮まるのではないか。60年前の田中プランを蘇えらせてもらいたい。
 毎日、出勤する通勤道でまず痛感するのは、改良が遅々として進まないことである。この道の延長はそれほど長距離ではないが、毎年工事が行われ交通止めになり、不便を強いられる。道路が改善されることは有り難いが、工事が細切れで牛歩でしかない。ここは予算配分の折、工事箇所を絞り重点的・優先的におこなえと常に思う。国道や地方道は規模の差があるが、同じような傾向だ。これでは建設業者のための予算付けと言われても仕方がない。
 さらに付け加えるならたった数百メートルでも設計が異なり、道路に一貫性がないのは気になる。例を挙げるなら壁面がまちまちで、ロケーションが醜い。石垣、ブロック、コンクリート打ち、鉄骨と様々であり後世の笑いものになろう。ブロック一つとっても年度によって形状がまちまちである。環境美化面で景色を著しく壊している。
 また、道路改良で幅員が広まりドライバーにとっては快適・安全になったが、歩道が気になる。市街地とか町並みはかなり整備されているが、一旦村部に入るともう草茫々である。年に数回管理の県とか自治体が手入れしているが、草の生育が早く処置なしに見える。付け加えるなら、山間部に行くと人家がない地区でも立派な道路があり、公共事業の無駄使いに対して憤りを感じる。この面は建設省ではなく、林道とか農道に目立つ。
ここで提言だが、”道”に関しては国土交通省に一元化してはどうだろうか。別の事業、例えば公共下水道では厚生労働省、農林水産省、国交省に分かれて、それぞれテリトリー争いをしているが、ここは厚労省に一元化するなど調整を図ればスムーズに行くのではないか。
 閑話休題。道路に対して車社会になる前は、住民と道は密接な関係があったし、沿道の人達は道に愛情があった。これが車によって断ち切られたことは確かだが、道の利用者の心底は“道”に恩恵を被ったり受益されており、日常生活に欠かせないと思っている。なかには“道”に敵意を抱く人が出てきた。実際の対象は“道”ではなく、排気ガスとか騒音をばら撒く車であり、交通事故を引き起こし人命を犠牲にする車である。ここを履き違えられている。
 その一例が“道”に感謝して自ら“道”を整備しようと、道普請が行われていた。部落の全戸で必ず1人が出動し道づくり道なおし作業をした。だれも文句を言わず率先し黙々と精を出した。また、降雪の折は真っ先に雪かきをして、道行く人の難渋を除いた。これも、人に対しての優しさであり、“道”への愛情の発露であった。現代は“道”は国、県、市町村など公共が管理するもので住民は一切手を出さない。公は、自らがすすんで行うという良き風潮は廃れてしまった。
 そこで提言だが、「『道路』を美しくする運動」を始めてはどうか。そのやり方はさまざまあるだろうが、各部落ごとに区切りコンクール方式を採用して該当地区を点検してランク付けをし、ささやかでも賞金を出し住民の関心を高める。
 この区分はできるだけ細分化して、事故に巻き込まれないようにしなくてはならない。国道など交通量の多い路線は道づくりではなく目をせめて歩道の草取りとか空き缶などゴミ拾いをする。この奉仕は日を決めて一斉に行う。この日はできるだけ全地区に徹底し車の運転は避け事故とか混乱がないように官民一体となり協力する。