閉じる
氏 名所 属
白石 成人 京都大学 名誉教授

■ご意見の内容

○これまでの道路政策に関する改善点:
・その1
 道路政策を計画・立案する場合に「公共施設の建設を受益者負担で計画する」という言葉を耳にするがこの考え方に疑問がある。この場合の受益者とは誰なのかがはっきりしていない。例えば、わが国の大都市内高速道路では慢性的に交通が渋滞することが多いが、交通渋滞によるガソリンエネルギーの損失や人的労働時間の損失は年間何兆円にもなると考えられる。この対応を積極的に行って渋滞を半分に減らせば、国としてこのような損失を大幅に減少することが期待できるのではないか。
 高速道路を利用して直接便益を享受する人々が直接の受益者であるが、高速道路がその本来機能を十分に発揮できない場合の損失は直接的には利用者のコストなり不便さとして負担させられるものの、間接的に高価格にガソリン代を維持することになったり、また、汚染物質の排出増となったり、国としてのエネルギーの無駄な消費となったりして、広く国民の負担増となっていると思われる。

・その2
 阪神大震災の復旧では、道路のスペースが重要な要素となった。近来にないこの大地震では鉄道施設や港湾施設の損傷に加えて、高速道路や主要幹線道路が被災したが、それ自身の復旧とともに、いろいろな都市機能の復旧がいかに早く実行されるかが重要であった。そこでは、道路ネットワークも大切であるが、道路のスペース確保も重要であった。震災時の復興を左右するのはスペースと時間の2つのファクターを重要視する必要がある。43号線上の崩壊した阪神高速道路の復旧工事(サンフランシスコの地震で崩壊した高速道路が住民の意向で復旧されなかったことがこの復旧工事を強力に実施させたとも考えられる)と救援活動を同時に実施したため、交通の流れは極めて悪くなり、費用、効率、効果のいずれからも多くの問題点を露呈した。換言すれば、まず、被災した構造物の瓦礫を道路片側に移動し、交通可能スペースを確保することが重要であったのではなかろうか。

・その3
 コンクリート構造物は建設コストが低く、耐久性があり、メンテナンスフリーであると考えられ、多くの構造物に使用されている。しかし、地震等でその構造物が被災・崩壊すると様々の素材が混在するガレキとなり、その廃材処理は重量、容量面から困難なものとなることからも、安易なコンクリート利用は控えるべきであろう。基本的には土や自然素材、あるいは再利用の可能性の高い構造材料の利用をもっと考えるべきである。防災という点から言えば、予測出来ないことが多いこと、構造物は必ず壊れるものであることを知る必要がある。 それをいかに少なくするかという考え方が大切であり、被災しても復旧しやすいように、構造材料を選び、構造物を設計し、道路交通システムを考えることが必要である。

・その4
 交通システムに関わる例では国道と市町村道との連携が希薄となっているという問題がある。 例えば、国道と市町村道の除雪対応等サービスレベルには大きな差がある。国道ではその幅員の広さ(スペース)から円滑に除雪が行われる場合でも、復員が狭く、路上駐車が多い市道の積雪は殆ど行われず、その連携システムのレベル差(支障)がそこに接続している国道まで影響している事例もある。

○ 今後、道路政策における重視点:
・国民生活上道路は必要不可欠の公共施設である。すべての国民はこれを日常的に利用して、その生活を維持し、充実することになることから、当然ながら、道路は国民が個々バラバラに自由に利用するものではなく、公共の視点から管理・運営されるものである。しかし、問題は現在の道路政策が管理の視点からの政策となり、その結果、特定の原則や理念に政策決定が支配される傾向にあるのではなかろうか。
 これまでは整備により道路効率、利便性、そしてその結果として利益を上げることを重視してきたが、効率を高めることが同時にリスクを高め、大きな損失をもたらす点に注意しなければならない。このようなリスクに伴う損失を減らしていくことを考えることが大切である。 ひとたび事故が起これば利益は吹っ飛んでいく。また、事故を完全に無くすことは不可能である。このような相反する要素を念頭において、道路政策を考えなければならない。そこでは、どのような事故が考えられるのか、それをどのように防ぐか、事故が発生した場合の損失を最小限にするにはどのようにすべきかというような課題を重要視することが大切である。

○国民から幅広く意見を聞くときの留意点は
 住民からの意見を聞くと、全体としての体勢の考えかたには正論意見が多いが、しかし少数意見では利己的な主張となることが多い。従って、少数意見に固執すると大局を見誤ることとなることがあるが、一方、問題の核心をつく貴重な意見は少数意見であることを蔑ろにしてはならない。

○道路政策全般に対するご意見、ご要望
 道路をどの様に見るかによって道路がどうあるべきに関する意見は違ってくる。交通の施設と捉えるのか、他の色々な機能も含めて考えるかによって異なってくる。道路はいま国民がそれぞれの目的地へ行くために利用する、利用できる公共施設と考えられている。そのための手段として自動車を利用するとすれば、行った先で車を止めるという事、すなわち駐車することが必要である。道路機能の中にこの駐車問題をも合わせ考えて、道路を造るべきである。

 現在の道路には無駄な機能があるかもしれないが、不足している機能もある。ヨーロッパの道路と日本の道路の大きな違いは幅員である。ヨーロッパの道は馬車通行がベースとなっており、馬車が転回出来る幅員が必要であった。結果的にはこのことがヨーロッパと日本の道路の違いに繋がっている。

 色々な国の模範となるような道路でなければならない。例えば、新幹線は戦後の日本が将来を見通して開発したものであり、このように、世界に誇れるモノを創って行かなければいけない。

 外国人のみならず多くの日本人にとって京都は日本の文化・歴史の拠り所となっている。また、京都に住み、その文化・伝統を継承している人々にとっては日常生活での空間として近代的な諸機能が必要となっている。そこには新たに創造されるものもあるが、中には相互に対立するものもあり、知らず知らずのうちに貴重な文化遺産が消失しようとしている。 世界の人々に、貴重な文化財を保存維持していくことは、単に、仏像や社寺仏閣を温存することでは不十分であり、都市空間全体を在るべき姿にしなければならない。まず、大々的に無電柱化を進めること、また、自転車が自由にのびのびと行き来できるような整備を進めて欲しいと考える。たとえ1街区でも世界に誇れるような整備が必要ではなかろうか。