(3)地域の振興 群馬県 データまとめ 平成10年 3-20
●群馬県内の国道ほか
道は文化を運び、文化を育む(群馬交響楽団移動音楽教室の道)
困難の連続だった移動音楽教室
・昭和20年11月、戦禍で荒廃した群馬県に音楽で希望を与えるため、群馬交響楽団(群響)の前身の「高崎市民オーケストラ」が結成され、県下の小中学校をまわって演奏を重ねる移動音楽教室が昭和22年5月から始まった。
・交通事情、道路事情が劣悪であった最初の頃は、時間はかかり楽器は壊れるなど、大きな楽器を持っての移動は困難を極め、演奏活動も泊り込みが常であった。
道路網の発達が音楽活動を支援
・現在では道路網の発達によって、県内どこでも2時間くらいで行けるようになり泊り込みもなくなった。
・群響のこの音楽活動は、映画(『ここに泉あり』)となり、全国にその名を知られ、群馬県は音楽モデル県に指定。
・平成6年5月には、文化交流の架け橋となり、ヨーロッパ公演を成功させるなど、県民の支援を受けながら、着実な成長を遂げている。
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