道路

Ⅰ.古代の道

七道駅路の幅員について

  • 七道駅路の幅員は、初期12m、その後9mまたは6mと広幅員。
  • 見通しの良い2点を結んで直線的に敷設され、最短距離をとるために多少の勾配は考慮せず。


広幅員の理由(説)
 ■権力の象徴
   国内外に朝廷の力を誇示する目的

 ■トラフィックの拡大に対応
   ●政治的側面
    一刻も早い伝令の必要
      ・・・壬申の乱(672年・内乱)や白村江の戦い(663年)等の情勢不安

   ●軍事的側面
    軍旅や集団移民が、千~数万人の規模で行われるなど大量移動の必要
      ・・・7~8世紀の軍隊は騎兵・歩兵千人を1軍団とし、時には数十万が動員されることもあった
        強制移民としては、東国から奥羽に1,600戸(1戸≒35人)という記録がある(714~719年)

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(8世紀以降)
幅員が縮小した理由(説)
 ①政権の安定
   蝦夷進攻の終結
     ・・・797年の胆沢城設置により、大規模征夷はほぼ終了

 ②維持管理の観点から、適切な規模に再編成された
     ・広幅員道は泥沼化することが多く、中央を掘割にして利用した形跡
     ・使い勝手のよい伝路(地域連絡道)を利用したルート変更も見られる。

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