道路

Ⅳ.近代の道

(コラム)江戸時代を中心とした道にかかわるエピソード

3 江戸時代の渡河

近世の渡河の主な手段は橋・渡船・渡渉


江戸幕府の基本方針 … 主要河川の架橋禁止

  • 軍事的要因と技術的要因
  • 渡渉・渡船については、場所の指定があり勝手に渡ることは許されなかった。

大井川では水深4尺(≒120cm)になると「川留め」(渡河禁止)となった。

  • 川留めは通常2日~1週間で年平均は50日だったが、1868年には28日という記録もある。
  • 多いときには数百人~千人超が足止めを食うこともあり、周辺の宿場はにぎわったが旅行者の負担は甚大で、東海道を避けて中山道を選ぶ一因ともなった。

1626年、徳川家光の弟・忠長は家光上洛に際して断りなく大井川に架橋し、家光の怒りをかい、後に蟄居させられている。
この例で分かるように、幕府は架橋に大きな神経を使っていた。


6-5

蓮台越し「大井川の図」 歌川国久
(天理参考館)


  • 渡渉には、人足越と馬越があり川によって異なった。
  • 渡渉の料金は水量によって変動したが、大井川の場合1440円~2820円であったという。


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