明治元年(1868)、威信の幕開けとともに生まれた福沢桃介は、慶應義塾大学在学中に福沢諭吉の養子となり、卒業後にアメリカへ留学。その後、、三十一歳のときに利根川水力電気株式会社の発起人となり、四十二歳で木曽川での発電事業に着手する。当時は、近代化に向け日本の産業界が一気に加速を遂げた時代で、動力源としての電力への期待も高まりつつあった。そこで、桃介は、水量が豊富で落差の大きな木曽川に目を付け、大正八年(1919)に竣工した賤母(しずも)発電所を皮切りに、わずか七年間で七つもの発電所を完成させることになった。
桃介はまた、日本の女優第一号の川上貞奴(さだやっこ)とのロマンスでも知られる。二人はしばしば木曽谷にある別荘に長期逗留したという。別荘はもちろんのこと、発電所や橋にも凝った意匠が施され、渓谷に文化の香りを漂わせている。才気あふれる時代の寵児、桃介が見せるもう一つの横顔は、文化人としての先進性である。
■渓谷に溶け込むモダンな産業遺産
この一帯で最も目を引くのが、電力王の名を冠した桃介橋である。この橋は、2キロメートルほど下流にある読書発電所の工事用に架けられた。三本の主塔と高い木製のトラスを備えたデザインが印象的で、木製の吊り橋としては日本有数の長大橋。中央を支える大階段から中州に下りられるような工夫も見ていて楽しい。一時は老朽化による廃橋の危機もあったが、地域住民から保存の声があがり、平成五年に修復され生活道路として活躍する現役の橋だ。そして、国道19号から桃介橋を渡ると天白公園となっており、モダンな洋館が見えてくる。洋館は桃介と貞奴が過ごした別荘で、現在は記念館として公開されている
|