記念講演 「ぼくと生きものの水への想い」
滋賀県立大学学長 日高 敏隆氏
ぼくは子どもの頃は、水というものを見たことがありません。もちろん水道の水はありましたが、それだけでした。ぼくは、東京の渋谷の山の手というところで育ちました。山手線の線路より、もっと高いところです。川もありません。池もなかった。ぼくが中学生になり、成城学園に入った時、そこで初めて水と出会ったわけです。 そして、この成城学園の校舎から少し下がったところに池がありました。ぼくは喜んでその池に行ってみると、そこにはゲンゴロウが泳いでいる。灰色ゲンゴロウという、小さいゲンゴロウです。そして水面にミズスマシ。こちらの脇の方を見たら、アメンボがいる。水の底は浅くそこを見ると枯葉が落ちています。よく見ていると、その枯葉がゴソゴソ動いている。何がいるんだろうと思っていると、そこからタガメという大きな水棲昆虫がゴソッと出てきました。そばを見ると、今度はタイコウチという、メダカとよく似た仲間ですが、ずっと体が細い虫がいました。もう少し見ていたら、今度はタイコウチをもっと細くしたような細長いミズカマキリ。魚もいました。小さい魚です。これは今から思うと、多分ゴリの仲間だと思います。そういうのがチョロチョロと泳いでいる。ぼくはその時、本当にうっとりして、その水に足をつけたりして見ていたんです。それがぼくの、水との初めての出会いでした。 その頃は図鑑しかありませんでしたから、名前が分かるという、せいぜいその程度。どんな生活をしているのかということは、まだ研究されていませんでした。 また中学2年の時に、白馬岳という日本アルプスの高い山に行きました。その上に雪渓があるんです。ふと見ると、雲の上を、長さが1cmぐらいの細い黒い虫がチョコチョコ歩いている。この虫は一体何だろうと捕まえてみると、どうも昔、図鑑で見たセッケイカワゲラという虫らしいんです。親になっても羽根が生えない。それが雪渓を登っていきます。ぼくは一体どこから出てくるかを調べようと思って、雪渓を一度下りた時に、雪渓の下へ入ってみました。そういうところにいるのではないかと思って色々調べました。でもそこにはいませんでした。一体どこにその幼虫がいるのか分からなかった。 それから何年も経って、京都大学の先生になってから、学生で幸島君という人がそれを研究しました。その研究からぼくは色々なことを学んだんですが、セッケイカワゲラは実は平地にもいます。滋賀県の平地でも冬に雪が降るといます。大体山のところですと、雪が積もった頃に出てくるんです。そしてその雪の上をチョコチョコ歩きます。ただひたすら歩いている。12月の半ばくらいに現れて、12月、1月、2月ぐらいまでは歩いている。雄と雌がそこで交尾をして、雄が死んでしまいます。雌はまだ生き残っていて、3月になると沢の上の雪が解けて、沢の水が出てきます。そうすると雌がそこに下りていって、卵を産むんだそうです。上流に卵を産むと、その卵の間に、あるいは幼虫になってからじっとしている間に、段々流されてきて、そして相当下流まで行って、そのへんで幼虫が育って親になって、また雪の上に出て元のところへ戻ってと、これを繰り返す。こういう生活をしている。彼らは水の中に棲んでいるわけですが、もっと下流の大きな川とかは全然知らない。山の中の沢しか知らない。そういう虫なんです。 水と生きものというのは、そういう意味では本当に不思議な関係を持っているということが言えます。近頃では、水をきれいにしましょうということで、きれいな水は結構なんですが、何でもかんでもきれいであればいいのかというと、どうもそうではないようです。 東海道線沿いのある町で蛍が出るんです。その蛍の出るところというのは、実は川が山の方から流れてきて、きれいな川だったんですけれども、そこに養豚場ができた。豚を飼うと、豚の餌とか糞で川が汚れます。汚れてしまって、もう蛍がいなくなるだろうと思った。ところがそうではないんです。蛍はかえって増えたんです。要するに、豚の糞や豚の餌で、水が適当に汚れた。適当に汚れると、そこの蛍の幼虫が食べる餌になる、またカワニナという貝がありますが、カワニナが増えた。カワニナが増えたら蛍の幼虫も増えます。結局、蛍がいっぱい出てきたんです。その後、養豚場は何か理由があって閉鎖しました。豚はいなくなり水も汚れなくなりました。そうしたら蛍はまた、ずっと減ってしまいました。ですから、水がきれいだったら蛍がでるというわけではないんです。あまり汚くても、もちろん出ません。でも適当に水が栄養を持っていないとだめなんです。 町のところでは、川の下流の方にいわゆる親水公園、水に親しむ公園というのを造りました。そこは子どもが来てもいいように浅くして、そしてコンクリートで底をはって、水の流れも急だと危険ですから、あまり急に流れないように、そっとしか流れないようにして、そこに石を置いたりして皆がそこにチャポチャポ入って遊べるようにという、大変親切なところを造ったんです。ですから、川のその部分はすっかり様子を変えてしまった。「川にトンボが来ます」と書いてありました。たしかにトンボは来てるんです。ところがぼくが見ていますと、そのトンボは実はハグロトンボとかカワトンボというトンボじゃない。そういうトンボは流れる川にいるトンボです。そういうトンボでなく、チョウトンボとかコシアキトンボとか、水溜りの池に来るトンボが来てます。つまりトンボたちは、ここは流れている川ではない、水溜りの池だと思っている。トンボたちが、どうして流れのない池と、流れている川を見分けられるかというと、どうも水の表面の波立ちらしいです。それがキラキラ光るのを、トンボたちはあの目でちゃんと見ているらしいです。親水公園というのは、トンボにとって単なる池になってしまったのです。 滋賀県には琵琶湖がありますが、ここには色々な魚がいて、貝がいて、生物がいて、そして昆虫もいる。色々なものがいるわけです。そういうものたちと、人々は暮らしてきたわけです。昔は、琵琶湖は交通として船の往来とても盛んでした。琵琶湖は、湖西と湖東を、そしてまた湖東と湖南を、縦横につないでくれていたわけです。 ところが、今やそういう船は非常に少なくなりました。琵琶湖は、昔は人の行き来が激しかった。それは水のおかげで激しかったわけですが、それが今は水のおかげで人と人との流れは切れました。そういうことがこの50年ぐらいの間に起こってしまったんです。 結局、水と生きものたちの関係というのは、実に様々だなと、思っています。溜まった水が好きなのもいるし、流れていなければいけないのもいるし、色々なのがいるんです。ですから、人間の勝手な思惑で、水がきれいになったらいいんだとか言って、きれいにしてあげるということをしてはいけないんだなと。水はやはり流れるところは流れるままにしておくと、流れるところに棲む虫がいるし、溜まっているところは無理して流すことはないので、そういうところに行くと溜まっているにいる生きものたちが生きていきます。そういうことを大事にしながら、水とつき合っていかなくてはいけないなとぼくは思っています。 |
| |
|