本地域は、鹿児島市(喜入区域、松元区域、郡山区域)、枕崎市、指宿市、日置市、いちき串木野市、南さつま市、南九州市の7市で構成され、面積は1,400.16㎢、人口は261,814人(平成22年国勢調査)で、県総面積の15.3%、県総人口の15.3%を占め、人口密度は、県全体の人口密度194.4人/㎢の約0.96倍に当たる187.0人/㎢となっている。
本地域は、九州の南西端に位置する南北約65kmにわたる鼓形の半島で、東側の鹿児島湾をはさんで、大隅半島と対峙した形になっている。半島の北部の冠岳山系と中部から南部にかけて東岸沿いに長く南北に伸びる金峰山系の間に鹿児島市から江口川を結ぶ構造線が走り、半島の南東端には、開聞岳、カルデラ湖である池田湖等の火山群の活動の跡が、南西端には、坊・野間の小山系と沈降地形の生み出したリアス式海岸がみられ、その間に、南薩台地の段丘が広がっている。河川は、流域面積の狭小さから短小河川が多いが、分水嶺が東に偏しているため半島最大の万之瀬川をはじめ、その多くが西部の東シナ海へ流れ込んでおり、西海岸は美しい弧状の砂丘海岸となっている。鹿児島湾の姶良カルデラ、湾口部の阿多カルデラの噴出物は、シラス、コラの層となって地表を覆い、厚いところは百数十メートルにも及んでおり、本地域の地質の特徴となっている。
気候は、概して温暖多雨(年平均気温18°C前後、年降水量2,485mm)であり、なかでも、南部沿岸一帯は、本土でも最も温暖な亜熱帯的気候条件下にある。本地域全体としては、冬期は季節風が強く、夏期は台風の襲来も頻繁である。
歴史的に見ると、本地域は、日本の西南端に位置するため、本州文化圏と、大陸文化や奄美・琉球などの南島文化圏が相互に接触する地域であった。南薩一帯は、風光明媚で神話にちなむ地名、神社や、縄文・弥生期の遺跡も多く、また、南西部に位置する坊津は、古代、遣唐使の寄港地として日本三津のひとつに数えられ、薩摩藩の時代においても、藩の諸外国との交易の主要港として栄えた。近世には、薩摩・大隅・日向の三州を統治した島津氏の支配の中心鹿児島の後背地として発展し、明治以降においても、本地域は、県の行政・経済・文化等の中心地である鹿児島市との結びつきの中で発展してきた歴史を有している(薩摩地域半島振興計画抜粋)。