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1990年(平成2年)に旧建設省・運輸省へ入省し、2001年(平成13年)の国土交通省発足以降も、様々な部署で政策立案の先頭に立って奮闘してきた2人の幹部職員(塩見英之 総合政策局長・田中由紀 国際統括官)が、「これまでの25年を振り返る」とともに、「これからの25年を展望する」対談を行いました。
※ 所属・役職等は、取材時(2025年5月)のものです。
Member セクション
(主な略歴)
1990(H2).4 建設省入省
2019(R元).7 水管理・国土保全局次長
2021(R3).7 大臣官房審議官(住宅)
2022(R4).6 住宅局長
2023(R5).7 不動産・建設経済局長
2024(R6).7 現職
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(主な略歴)
1990(H2).4 運輸省入省
2019(R元).7 内閣官房内閣審議官
2020(R2).7 大臣官房政策評価審議官
(併)大臣官房秘書室長
2021(R3).7 東北運輸局長
2023(R5).7 現職
塩見総合政策局長(以下、塩見)
まず、それぞれが国土交通省で働くことになった動機について話してみたいと思いますが、私は建設省を選んだんですけれど、その際の一番の思いというのは、インフラが持っている力・街を成長させる力に、すごく将来性があるものだと感じたことですね。自分が子どもの頃に、近くにお店ができて、しばらくするとまた違うお店ができて、人が集まって、いつの間にか街はどんどん成長していきますが、あるとき、大きな川に橋が架かりましてね、その橋が架かった途端、街の成長のスピードがすごく上がった。これは、すごくダイナミックだなと思いましたね。あとは、入省前の官庁訪問の中で魅力的な先輩にいろいろ話を聞くことができて、この人たちと一緒に仕事ができると面白いなと思っていましたね。運輸省の方はどうでしたか?
田中国際統括官(以下、田中)
私も実は、街づくりとか都市計画とか環境に関心があって、官庁訪問では運輸省と建設省と国土庁とをまわっていました。
塩見
国土交通省ですね、まさにね。
田中
その3省庁のどこかに入りたいなと思っていたところです。それで最終的には、観光庁とか海上保安庁、また国際的な業務にも興味があったので、運輸省を第一希望にしたんですけれども、結果としてみんな同じ役所になったので、非常に嬉しいなと思いますね。
塩見
私も、結果として国交省になって幅広い分野に関わることができるようになったというのは、とても嬉しいことだと思いますね。そこまで学生のときは考えていなかったですけれどね。でも、国交省になった瞬間というのは、すごく我々もドキドキしたし、最初はやはり、それぞれの組織の文化みたいなものがあって、仕事のやり方も違うし、上司の呼び方も違うし、小さなことから大きなことまでいろいろ差があるなと、心配は正直していましたね。したがって、国交省が発足した当初は、省庁が一緒になったことによるメリットをどう発揮させるかというのを、ある意味、無理をして一生懸命探していたところもあると思います。そういう努力をした結果、いろいろな案件が出てきて、こういうことをやれば国民のためにより良くなるのではないかというような考え方が広く職員の間で広まっていったわけで、初期段階で統合メリットを出そうとした人たちの努力が、その後のスムーズな統合の起爆剤になったのかなとも思いますね。
田中
そうですね。融合・融和の促進の一環として、運輸省だった部局に建設省採用者を配置したりとか、交流人事のようなものもいくつかあったと思うんですけれども、私は統合したときに海事局の国内旅客課というところにいまして、そこの課長が建設省から来たんですが、それが建設省出身者と仕事をする初めての経験でした。新しい課長は気さくで、とても楽しく仕事ができて、一つの役所になったんだなというのを実感した思いがしていますね。その後も、環境省の自動車環境対策の部署に出向したときにも、道路関係の皆さんとお付き合いするうちに、なんとなく一緒になって仕事をする感覚が身についていったような気がしています。
塩見
なるほど。そういう形で省庁統合を実感されたということですね。私は、国交省ができる前に、国土庁に3年間行っていたことがあるんですね。これは首都圏の移転の候補地を決める仕事をやっていたんですが、そのとき、その課には各省庁からエース級の人たちが来ていて、いろいろな背景がある人が集まると、いろいろな力が発揮できるんだなというのを、何となく実感をしていました。国交省になったということは、それがより大きなものとして実現したということなんじゃないかなと思います。ちょうど国交省になった瞬間は、私は茨城県庁に出向していたので、一番最初のちょっと混乱した時期は経験せずに済んでいるんですけれど、でも国土庁に行った経験から、いろいろな人たちが寄せ集まることで大きなことができるということが、おそらく国交省でも実現できるんじゃないかなということは感じていましたね。
田中
その後、国交省になってずっと経ってからのことですが、ぜひお話ししたいなと思ったのが、東北運輸局長をしていた際に、将来ビジョンみたいなものを作ろうと思いついたときのことです。運輸局の中で、「東北地方の今後の運輸と観光に関する基本構想」というのを作ったんですよ。これは目先のことにとらわれずに、もうちょっと中長期の大胆な姿を描いてみたらどうかという観点からの、民間の方とか地方自治体の方へのメッセージでもあるんですけれども、運輸局内の議論の活性化のためにも必要ではないかと考えてみたものです。実は、これの原点は、2020年(令和2年)の6月に社会資本整備審議会の道路分科会が出した「2040年、道路の景色が変わる」という提言なんです。2040年をターゲットにしたワクワクする道路のあり方のようなものを、すごくおしゃれなイラストの冊子にして道路局が作っていたんですね。それを私は秘書室長だったときに同席した大臣への説明の際に初めて見て、こんな面白いことをやってみたいなと思って、それを東北に持って行ってやったんです。そういう感じで、違う部署の人たちの考え方みたいなものを間近で見て取り入れられるようなところも、統合メリットと言えますね。国交省になってだいぶ長いですけれども、今でもほかの部局から学ぶことがたくさんあるかなと思って、そういうところも国交省の長所なのかなと感じますね。
塩見
なるほどね。今お話があった道路局は、昔の建設省の中でも一番現場を大事にしている部局の一つだと思います。建設省の特徴を何か一つ言えと言われればですね、現場に根ざして、現場を大事にして、現場をもとに国民の悩みなどを解決していく現場主義が一番の取り柄だったと思います。一方で、公共事業をやっていく中では、現場は大事なんですけれど、自分で全部やろうとする文化が昔はあったんじゃないか。そこが国交省になって、もっと民間の人たちとうまくお付き合いしていこう、民間企業とは発注者・受注者という関係だけではなくて、パートナーとして一緒に仕事をしていこうという考え方が広まってきていると思います。逆に、旧運輸省の領域では、直轄でいろいろな事業をやっている旧建設省の部局を横で見るようになって、現場で起こっていることを大事にして、そこに責任を持って対応する、解決にあたるっていう意識も非常に浸み渡ってきているんじゃないでしょうか。まだ縦割りの文化が残っているのではとも言われていますけれど、幅広いことを知らざるを得なくなってきているというか、自分のところの政策だけ見ているだけでは済まない省庁にもなっているなと思うので、幅広い素養が皆に求められている、そういう組織にだいぶ変わって来ているような感じが私はしています。
田中
お互いに学ぶところを学びながら相乗効果が現れている最たる例というのが、災害対応ではないかと思いますね。現場の対応も大事ですし、民間の事業者との連携といったことも必要なところは、国交省として運輸省と建設省が一緒になったことの統合メリットみたいなものがすごく出ている分野なんだろうなという感じがします。
塩見
そうですね。それぞれの良さっていうものがあって、そこを学び合って、お互いに底上げをしている、だからトータルでは良くなっているということなんじゃないかなと思います。災害の話も今出ましたけれど、やっぱり災害のときにどう対応するかっていうのは国交省の力量が世の中に試される瞬間だと思います。その能力が全体として上がってきていると思いますね。
これまでに携わった印象深い仕事など
塩見
そんな国交省で働く中で、私個人として特に印象に残っている仕事が二つありまして、一つは、社会全体の高齢化に対応することです。これは今に始まったことではなくて20年前からずっと言われていることですけれども、その高齢化の動きをいち早く政策に取り入れようとしたのが、私が政策課の課長補佐のときで、当時勉強したのがユニバーサルデザインの社会を作ろうということでした。今ではユニバーサルタクシーとか当たり前のように使われていますが、当時は「ユニバーサルって何?」というような時代でした。その当時から高齢化を見越していろいろなことを高齢者などの目線でも考えようということをやってきたなと思います。もう一つは、公共事業はどちらかというとモノを作ることが中心になるんですが、そういうモノだけじゃなくてソフト面をもっと大事にしようということで、国交省になって以降すごく普及してきた考え方かなと思います。その当時、予算の使い方を効率的にという話の中から、ソフトをもっと組み合わせて効果を最大化しようということがだいぶ言われるようになってきていて、それが国交省の中にも広まって、今ではハードだけっていうことじゃなくて、ハードソフト一体ってわざわざ言わなくても、当然ソフトと組み合わせていい仕事をやろうということになっていると思います。政策課では、安全・安心のためのソフト対策をどう強化するかという仕事も任されて、安全・安心っていうとすぐ設備を作ろうということになりがちなんですけれどね、そうじゃなくてソフトの面で、情報とかそういうもので国民の安全をどう守るということを勉強したのも非常に印象深い仕事の一つです。田中さんも、何か社会との関係で思い出深い仕事などはありますか?
田中
そうですね、災害の関係でもあるんですけれども、これも東北にいたときに、只見(ただみ)線が11年間止まっていたものが全面運転再開する際に、1日に40人しか乗らない鉄道を維持するためには何が必要かということで、地域コミュニティと一緒に観光振興策を考えたことがありました。これが個人的にはとても印象深くて、まさに役所の机上の空論だけではうまくいかないので、地元の人を巻き込みながら直接話をしながら、いろいろ作り上げるっていうところ、これがすごく面白かったですし、国交省では現場が大事というところにも繋がると思いますが、地域の人の中に入り込んで直接お話を聞くようなところが、本当に大事だなと改めて実感しましたね。
塩見
そうですね。昔の交通行政はどちらかというと直轄直営でやることが多かったんですけれど、私がちょうど茨城県庁で交通担当の課長をやっていた頃、1998年(平成10年)ぐらいから、地方自治体と一緒にやろうという方向性が出てきて、それでもなかなか自治体に体制が整っていなくて、当初だいぶ苦労をしていたと思います。でもやっぱり交通の問題っていうのは地域のありようそのものだと思います。そこに皆さんも気付いてきて、今では自治体も国が主体となっている仕事も自分ごととして考えるように変わってきましたね。
田中
この25年の年月が経つ中で変わってきたなと思うこととしては、まだまだ道半ばではあるんですが、働き方がだいぶ変わってきたのかなという点もあります。ちょうどコロナ禍で大変だった頃、Microsoft Teamsがまだあまり浸透してなかったときに、私が関わっていた省内の働き方改革推進室の中でTeamsをどうやって本格化しようかという話がありました。今までオンライン会議をやったことがなかった働き方改革本部とか総務部長会議とかを無理やりオンラインでやりましょうといった形で始めていったんですが、それがきっかけでだんだんTeamsが広まっていったあの過程が印象深く、しかも若い人たちが新しいツールをどうやって活用するかみたいなことをボトムアップで一生懸命考えてくれたというのが印象深いですね。
塩見
省内の働き方改革の推進は、田中さんの国交省での仕事の中での大きな成果の一つと言えるんではないですかね。長年仕事をやっているといろいろなことに携わってきて、私も自分のことを振り返ると、どの部署にいたときも、何か必ずこんな大きなことがあったなという忘れられない出来事がたくさんあります。なので、いずれの仕事も自分の糧になっていてありがたいなと思っているわけですけれども、その中でもあえてこういうことをやってきたということを申し上げると、一つは建設業の産業行政の中で、働いている人の処遇を良くしようということに力を入れてきたというのが、自分なりに頑張ったことかなと思っています。最近では当たり前のように賃上げとか労務費の引き上げとかありますけれど、私が建設業の設計労務単価というのを担当している室長だったときに、それまでずっと下がり続けてきた労務単価を大幅に引き上げるというのをかなり思い切ってやったことがあるんです。周りからはこんなことやって大丈夫かってだいぶ言われたんですが、まあきっと大丈夫なんじゃないかなと思ってやっちゃったんですけれど、それが今の建設業の世界の賃上げのムーブメントにつながっていまして、それはやってみてよかったなと思っています。もう一つ、これは茨城県庁にいるとき、今東京とつくばを結んでいるつくばエクスプレス(TX)ってありますよね、あれを作るのが私の仕事でした。宅鉄法(大都市地域における宅地開発及び鉄道整備の一体的推進に関する特別措置法)というのがありまして、旧省庁の頃は運輸省と建設省の統合プロジェクトの象徴のように言われていたんですが、それを現場で実践して開業に目処を付けるというものです。用地の確保が十分に進んでいないところもありましたが、なんとかこぎつけて、事業スキームも当初のものではなかなか進んでいかないのをなんとか改定をして、今もその事業スキームを変えることなく経営ができていると聞いています。あの仕事をやったときは現場の用地交渉にも行きましたし、フレーム作りでほかの自治体の人とも相談しましたし、当時の鉄道局ともだいぶ話をしまして、いろいろな人の力を借りて、プロジェクトを形にすることができています。本当によかったなと、そしてTXは今でも経営がよくて・・・。
田中
TXの経営はすばらしいですよね。鉄道路線だけではなくて、並行して街づくりもうまく沿線が開発されてすばらしいなと思いますし、流山市などはその後、子育てしやすい街として発展している。あれも原点はTXの整備が関与しているんじゃないかと思います。
塩見
そうかもしれませんね。国交省の仕事っていろいろあるけれど、やれば将来にわたってすごく影響・効果が及ぶ分野が多いですよね。自分はいつかいなくなっても、やった仕事は残るっていうことだと思います。
塩見
これまで私たちが関わった仕事などについて話してきましたが、これからも後輩の若い人たちにはいろいろな仕事にチャレンジしてもらって、国交省をもっともっと盛り立てて頑張っていってもらいたいと思いますよね。今回この対談をするにあたって、国交省発足当時の1年生(2001年(平成13年)入省者)のインタビューを読んでみて、当時の思いなんかも少し垣間見ることができましたが、田中さんは若い人たちのことをどう見ていますか?
田中
国交省1期生のインタビューを読んで、すごいなあと頼もしく思ったと言いますか、彼らにしてみれば先輩が経験していない幅広い業務に、突然飛び込まないといけないということだった思うんですが、25年を経て国交省をとてもポジティブに捉えてくれているということが嬉しかったですし、安心しました。ワクワク・ドキドキしながら、あれもこれも背伸びしながらやっていきたいというようなコメントもありましたけれど、エネルギーが溢れているインタビューだなと思って大変楽しく読みました。
塩見
そうですよね。新しい役所が生まれることへの当時の期待とか高揚感があったと言っている職員が多くて、みんな発足1期生としての誇りとか気概を強く持っているなと、非常に心強く感じますよね。
田中
インタビューでは、何人か運輸省・建設省・国土庁に興味を持っていたという話があって、こういうところは私もそうだったので同じキャラクターなんだなと思って嬉しかったですし、皆さんサッカーとかフラメンコとか料理とか、仕事だけじゃなくて個人の時間もすごく充実しているというところも強みだなという感じがしました。
塩見
なるほど、国交省の1期生であると同時に、旧省庁の時代からの大きな政策の積み上げの延長を担っているという両方の側面があると思います。国交省っていったいどんな役所なのかと、それを「遺伝子(DNA)」という人もいるのかもしれませんけれども、私が思うには、先ほどお話が出ていたような現場力とか、民間の人たちとのお付き合いとか、さらには生活や経済活動と幅広く、しかも密接に関わるというのが、統合した後の国交省の守備範囲でもあるし役割でもあると思います。そういう大きな土俵の中で、国民のニーズを汲み取って、その幸せのため元気のために解決策を具体的に考えて提案ができる、それが国交省のやるべきことだし、将来にわたって若い人にもそういう仕事の仕方を大事にしてもらいたいと思います。
田中
「遺伝子」という観点では、インタビューの中で、職員のキャラクターが国交省になっても変わらないというコメントもあったと思うんですけれど、あと、仲間感があるという言葉も印象的だったんですが、国交省のチームみたいなものはすごく安心感があるし頼りがいがあって、これが国交省のいいところだと私も思っています。困ったときに同期にメールをしたら手の空いている人が助けてくれたというエピソードもありましたけれど、運輸省・建設省から始まって国交省でも変わらない恵まれた環境というのは、私も強く感じています。今の職場である国際部門でも、何か困ったことが発生するときに、やっぱり皆さんとても親身に話を聞いてくれたり、上司を含めて、そういう暖かいところがあるからこそ、現場で何かあってもすぐに対応できるし安心して頑張っていけるというのが国交省なんじゃないかなと思いますね。
塩見
そうですね。全く私も同感ですね。仕事は大変なことはたくさんあります。で、世の中仕事が大変だと仕事を辞めちゃうという人もいるかもしれないですけれど、自分の経験からいうと、仕事が大変であるっていうことと、その仕事を辞めちゃうっていうことの間には何かもう一つ、職場に居づらいとか話がしづらいとか、別の要素がないとそうはならないと思っています。そうじゃなくて、どんなに大変でもみんな一緒に頑張っているとか、暖かく包まれているような気持ちになれるとか、そういう職場で仕事ができているときは、意外と頑張れるんじゃないでしょうか。
田中
本当に私も同じように感じていて、仕事は大変かもしれないけれど、この人たちとなら一緒にいても楽しいなということはあると思うんですよね。だから、働き方改革とか効率化とかそういうのは、やりがいを感じるかどうかも大事なんですが、職場の中の幸せ感、幸福感みたいなことも大事にした方がいいなと思いますし、そういう雰囲気を作れる要素っていうのは、国交省の中にもちゃんとあるんだろうなと、この1期生たちの言葉からも感じられたので、なくさないようにしないといけないなと思います。
塩見
そうですね。我々上司も意識しなきゃいけないし、若い人たちがそういう思いを持ってくれているんで、それを伸ばしてあげたい、育ててあげたいなと思いますね。
これからの世界で国土交通省に求められる役割
塩見
そんな若い人たちにもっと頑張ってもらう中で、これからの国交省をどのように展望するかということも議論しなきゃいけないなと思いますけれど、予言者じゃないんで将来どうなるかは分かりませんが、国交省のこの幅広い領域、そして生活や経済に密着しているという仕事の性格はおそらく変わらないと思います。ですから、現場のことをよく理解して、一つ一つの課題の解決策を考えて、行政ですから、どこをどうボタンを押したら政策が実行されて本当に社会を変えていけるのかを理解する力をしっかり身に付けて、実践していってもらいたい。その先に、国交省が評価される世界が待っているというような感じが私はしているんですね。今後の国交省について、何か思いがありますか?
田中
そうですね、やっぱり、災害・安全に対する意識は変わらないと思いますし、社会課題がこれからますます深刻になる中では、現場力を大事にしないといけないですし、国民や地域の人たちの立場に立てるか、その先を皆さんと連携しながら提案できるかということでの役割が非常に大きくなっていくと思います。また、私の今の担当業務でもあるんですが、世界への貢献とか、世界と共に課題解決をするみたいなところも、これからもっともっとできるところはあるのかなと思っています。今まで何十年も、高度経済成長時代以降、日本は割と世界の中で途上国に何かしてあげるというような立場であったと思うんですけれども、今後は日本も海外から学ばないといけないし、一緒に課題解決をしていくような世界との繋がりは、これからさらに大事になってくるのかなと考えています。1期生のインタビューの中でも、例えばICAO(国際民間航空機関)で国際社会を引っ張っていくという話もありましたが、ICAOだけではなくて、自動車とか海運もあれば、UN‒Habitat(国連人間居住計画)のようなところも含めて、国際社会に貢献したり、国際社会と共に活躍できる場所というのはいろいろ出てくるので、若い人たちはぜひそういうところにも手を伸ばして世界と繋がってもらいたいなと思います。
塩見
そうですね。日本自体が、国交省に限らず、その経済で世界を引っ張っていくという時代ではもうなくなっていますよね。信頼と共感を持って日本と付き合ってもらえるような、その一翼を国交省も担えるのではないかと。お金でどうこうっていうことじゃなくて、外国の国民の方に役立つ仕事が直接できるということになれば、我々国交省に対する外国の期待というのも高まってくる、そういう仕事を我々はやっていると思います。世界のためになる国交省、ちょっと言い過ぎかもしれませんけれどね。
国土交通省の働き方改革とは
塩見
また、先ほどの話にも出ましたが、昔に比べると働き方改革もだいぶ進んで来ましたけれど、それでもまだまだやっぱり外部の人に会うと「役所は大変なんでしょう?」っていうようなことを言われたりしますよね。そう思われているということだと思いますが、我々はどうやってこの働き方改革をもっと進めて変わっていかなきゃいけないのかということについて、何か思いはありますか?
田中
そうですね、いくつか私が考える論点があって、まずは働き方改革の根本的なところで大事にしたいのは、国交省の職員が幸せに働いていること、それが一番重要なのかなと思っています。効率化をするから幸せになるとか、生産性が上がるから幸せになるのではなくて、幸せに働いていたら、おのずと生産性が伸びていくということは、例えば慶應義塾大学の前野隆司先生という幸福経済学を研究されている方もおっしゃっているんですね。この生産性を上げろみたいなのは上から目線であって、個人の立場からすると幸福であることが一番だろうっていうことをおっしゃっているんですけれども、国交省としても職員が本当に幸せか、この仕事をすることによって職員がちゃんと幸せになれるかっていう意識も大事なのかなということをよく思います。その職場にいて幸せに感じられたら、皆さんどんどんいろいろな工夫をして仕事をしてくれるというところがあると思うので、そういう意識をこれからも持てるようにしたいなと考えているんですけれどもね。ただ、その中で、非常に国交省で難しいのは、転勤とか働き方の多様化にどう対応するかということです。これから中長期の視点で、AIなど様々なデジタルツールも活用することによって、どこでも国交省の仕事ができるみたいなことも目指していけるといいですね。東京にいて地方の仕事をするとか、逆に地方にいて本省の仕事をするとか、そういうことができるようになると、女性も男性も、子育てをしている職員も介護をしている職員も、もっと働きやすくなるのかなと感じていて、そういうところがその職員の幸福度にも関わってくるんじゃないかなと思います。これは、なかなか私たちの時代では解決できなかった問題なんですが、今後ぜひ何とか変えていって、すべての職員が幸せに仕事ができる職場にしてもらえるといいなあというのを期待しているところです。
塩見
幸福のために仕事をするっていうことですね。これはかなり昔の人から見ると大胆な改革かもしれませんね。
田中
逆転の発想みたいなものですね。
塩見
国交省も含めて国家公務員全体についてかもしれませんが、外部から、やっぱり大変な職場だと、長時間労働が当たり前だと見られているのは不幸なことだと思うので、田中さんが言うような、国交省自身が変わっている、変わろうとしているということを、対外的にもっと知ってもらえるような努力を我々はしなきゃいけないと思いますね。知ってもらうためには、これはやや手段論になるかもしれませんけれど、正解がどこにあるかは別にしてですね、その思い切って変わっているということを大胆に打ち出せばいいんじゃないか。本当の解はもっと低いところにあるのかもしれないんですが、外に向かっては、やっぱり高いレベルを打ち出していかなきゃいけないと思いますね。制度上なかなか難しいとかいろいろ意見はあるんだけれど、思い切って無理してでもやってみると、そうするとその後は、おのずと適正なところに落ち着いていくんじゃないかと思うんですよね。その大胆に変わってみるというところを、我々としてチャレンジしてみてもいいんじゃないかなんて思いますね。
田中
働き方改革に関連しますけれど、塩見さんの総合政策局長としての大きな仕事として、「ジェンダー主流化」(社会的・文化的な性差(ジェンダー)の平等実現を目的として、男女で異なる課題やニーズを踏まえて、あらゆる政策や事業などを立案・実行していくこと)の取組みに踏み切ってもらったのが、私は個人的に嬉しかったですね。もう6年ぐらい前ですが、私が地方創生推進事務局に出向した際に、「あなたは女性と街づくりの観点で、地方創生に何が必要かよく考えなさい。」と当時の先輩から言われてですね、いろいろ考えたときに、世界では街づくりでも「ジェンダー主流化」という観点があるけれど、日本にはあまりないなと思っていたんですね。それが6年を経て、第一歩を踏み出したということが、国交省における私の役所人生の中でもエポックメイキングな出来事でした。「ジェンダー主流化」も、今後の働き方改革とか女性の活躍推進に繋がっていく話であって、それを国交省が先頭を走ってやっていると私は思っているので、そういう役所であるということを後輩の皆さんも誇りに思って推進してもらいたいです。
塩見
「ジェンダー主流化」では、まさにフロントランナーだと思いますね。ほかにも、新しい政策の実現手段とかフィールドはたくさんあるので、その中から一つでも二つでも何か成功例を作り、それを起爆剤にしてさらに広げていくという仕事の仕方ができるといいのかなと思っています。
これからの国土交通行政のビジョン
塩見
最後に、国交省の若い後輩たちに向けて我々も期待を託さないといけないのですが、何をメッセージとして残していくかですね。私は、人口減少社会というものに対する対応がまだまだ十分ではないと思っています。インフラもそうですし、社会の仕組み、いろいろなルールも含めて、全てを作り直していくことがおそらく必要になってくる。発想もだいぶこれまでとは違うことが求められると思います。だから0から制度を作り直すぐらいのつもりで、大胆に考えて挑戦してほしいなと思います。我々が仕事を始めるよりもずっと前、戦後すぐの昭和20年代後半から30年代初め頃、現在にも続く基本的な法律制度ができた時代がありました。それに匹敵するぐらいのことを、今このタイミングで考えなきゃいけなくなってきている。人口減少社会というのはどういうものなのかということが、ようやく人々の気持ちの中で分かるようになってきたと思うからです。一人だけでやっても物事はうまくいかないけれど、みんなが同じように考えているときは、大胆なことをやって、この先50年必要な制度をしっかり作ると言う議論をやってみてもいいんじゃないかなと思います。我々はそこまで残念ながら仕事ができないなとは思いますが、若い人たちはこのあと20年、30年と仕事をやっていくことになる中で、人口減少社会への対応をぜひ大きなテーマとして、ライフワークとして、0から作り直すまさに「中興」をしてくれるような仕事をぜひやってもらいたいなと思います。ほかに何かありますか?
田中
まさに時代の転換点に来ているんだと思います。今までの制度というのは、経済が右肩上がりになっていて、これからもどんどん拡大していくというのが前提になったシステムだったと思うんですけれども、今後は、それとは逆の動きになります。現状を維持するのも無理だということからすれば、発想を変えていかないとこの社会の課題に対応できないというところになりますので、そこは塩見さんからもあったように、0から作り直す、今までとは逆転の発想をしないといけない、想像力をいろいろと働かせなければいけないと思います。国交省は、いろいろな部局があり、いろいろな職種の職員がいる総合力のある役所でもありますから、知力を結集して、新しい道を切り拓いてもらいたいと思いますし、人口減少というところでどうしても暗く考えがちかもしれないんですが、逆にこれをポジティブにとらえて、この際だからこそできるみたいな発想を持って、日本の活性化に繋がっていくことがあるといいですね。
塩見
社会全体を変える力を持ちうるのが、国交省の組織じゃないかと思います。その原動力は、繰り返しになりますが、幅広い分野を所管している、いろいろなステークホルダーの人との付き合いがある、課題が分かる、解決策を打ち出せる、そしていろいろなバックグラウンドの人が国交省の中にもいるということです。そういういろいろな人とのコミュニケーションの中で、いい発案とか、どこをどう押せば物事が動くのかということが分かるのが、国交省の組織のいいところだと思います。ぜひ若い人たちには、いろいろな仕事を幅広くやって経験を積んでもらいたい。その中から初めて生まれてくる発想というのもあると思います。経験を広げてもらった上でいい仕事をやって、職業人生の中でこれを自分は成し遂げたというものを一つでも二つでも多く実現してもらえるように、私たちも応援をしていきたいですし、必要な環境整備を我々もしっかりやっていかなきゃいけないなと思いますね。
田中
国交省の仕事は、どれをとっても私たちの日常生活に直結していますから、何かをしっかりやれば、必ず国民の皆さんの幸せに繋がるという意味で、やりがいがある仕事であることはこれからも変わらないと思いますので、ぜひ新しい時代での幸せな生活を目指して、総合力を結集して頑張ってもらいたいですね。私たちも、国交省でずっと長く仕事ができるわけではなくても、またほかの立場でも、国交省の今後の行政・政策をしっかり応援していきたいなと思います。
塩見
そうですね。いつまでたっても国交省応援団でいるようにしようということですね。ぜひそうしたいと思います。今回は、国交省発足25年目の節目の機会ということで、いろいろなお話ができましたね。ありがとうございました。
田中
ありがとうございました。