1. 2001年に発足した「国土交通省」に抱いたイメージについて
就職活動のために官庁訪問したのがは2000年でしたから、まだ省庁統合前でした。しかし、4省庁による「合同採用本部」が立ち上がっていて、採用担当者からも「国土交通省」発足前夜の興奮みたいなものが伝わってきました。日本は、バブル崩壊からしばらくした頃で、「追いつけ追い越せ」の時代から、いよいよ日本らしい成熟した社会を創ろうぜという空気感でした。そのような中、国や地域のカタチを作る仕事を一体的に進める国土交通省という新しい組織には大いなる期待を持ちました。入省後、最初に配属されたのが総合政策局政策課です。毎日のように「省庁統合のメリット」という言葉を耳にしました。空港・港湾の整備とそこまでの道路アクセスの改善を同時に進めていこうとか、都市部の渋滞を道路整備と公共交通充実の両面から進めようとか。政策のイノベーションが続々と生まれていたと記憶しています。一方、世の中は公共事業に対する批判がとにかく強かった。高度成長を支えてきた社会資本整備のやり方が少しだけ世の中に合わなくなっていたんじゃないでしょうか。自分たちの歴史を否定されたような気分の先輩もいたんじゃないかな。そういう大変な時期においても、国土交通省は新しい省庁として船出をしようというエネルギーに満ち溢れていたと思います。2. 印象に残っている国土交通省における出来事について
それはもうたくさんありますが、古いところでいくと、2003年の「美しい国づくり大綱」と「観光立国懇談会報告書」です。この二つの仕事は本当に面白かったです。例えば、それぞれこんな文章が書かれています。「我が国土は、国民一人一人にとって、本当に魅力あるものとなったのであろうか?都市には電線がはりめぐらされ、緑が少なく、家々はブロック塀で囲まれ、ビルの高さは不揃いであり、看板、標識が雑然と立ち並び、美しさとはほど遠い風景となっている。四季折々に美しい変化を見せる我が国の自然に較べて、都市や田園、海岸における人工景観は著しく見劣りがする。美しさは心のあり様とも深く結びついている。私達は、社会資本の整備を目的でなく手段であることをはっきり認識していたか?量的充足を追求するあまり、質の面でおろそかな部分がなかったか?等々率直に自らを省みる必要がある。」(美しい国づくり大綱) 「「観光」の語源は、中国の古典『易経』の「国の光を観る」にあるといわれている。『易経』は、一国の治世者はくまなく領地を旅して、民の暮らしを観るべしと説いている。民の暮らしは政治の反映であり、善い政治が行われていたならば、民は活き活きと暮らすことができ、他国に対して威勢光輝を示すことができるというわけである。つまり、「国の光を観る」という行為は「国の光を示す」という国事行為につながっていたのである。観光立国の推進に当たっては、まずはこうした「観光の原点」に立ち返ること、つまり「観光」概念の革新が必要になる。観光の原点は、ただ単に名所や風景などの「光を見る」ことだけではなく、一つの地域に住む人々がその地に住むことに誇りをもつことができ、幸せを感じられることによって、その地域が「光を示す」ことにある。そのように考えると、観光は、国づくりや地域づくり、町づくりと密接にかかわることが明らかになる。」(観光立国懇談会報告書) 心のあり様とか光を示せとか、こんなに「五感」に訴えてくる政策ってありますか。バブルが崩壊して10年、国土交通行政が転換していく、その出発点だったのではないでしょうか。
3. 印象に残っている自身が関わった業務について
2001年に小泉総理を本部長として発足した「都市再生本部」に出向しました。不良債権問題などで日本経済が苦しんでいた時代に、「既存の都市計画を白紙にする!」というなんとも大胆な政策で、東京や大阪の都市再生プロジェクトを推進しました。丸ビルや六本木ヒルズ、東京ミッドタウンなどが出来た時代です。平成の世が誇る良いまちがたくさんできました。2019年には、国土交通省都市局で“ウォーカブル”(居心地がよく歩きたくなるまちづくり)政策に関わりました。人口減少局面に入り、地方部を中心にまちなかにスペースが余ってきた。人口増加時代にはあふれるヒトやクルマをどう効率的にさばくか考えてきた都市を、広場・緑地やベンチ・カフェがあちこちにあって、お年寄りから子供までいろんな人がのんびり滞在できる都市に作り変えていく政策です。車中心から人中心の都市に向け、各地でウォーカブルという言葉が聞こえてくるのはとても嬉しいです。
それから、観光です。2010年、国土交通省の外局として観光庁が発足しました。訪日外国人旅行者数はせいぜい年間800万人(※2024年は3687万人)、そんな時代に観光立国の司令塔づくりに関わりました。その後に続く、アジアゲートウェイ構想やオープンスカイ政策などを通じて、閉鎖的と言われた日本がどんどん外へ拓いていきました。東日本大震災後にはインバウンド復興にも携わり、世界的スターのレディー・ガガさんを東京スカイツリーにお連れしたのは一番の自慢です(写真)。
4.国土交通省がこの25年で変わったこと/変わらないこと
(変わったこと)5.これからの25年への抱負について
マルコポーロの「東方見聞録」ってありますよね。あれは25年間の大旅行の記録なんです。イタリア・ジェノバからシルクロードを経て中国へ行って、中国滞在時に、黄金の国・ジパングを見聞きした。四半世紀って、歴史にインパクトを与えうる短くない期間なんですよ。 25年後の日本の姿って、おぼろげな姿しか想像できないけれど、過去を振り返れば、入省した25年前と今で決定的に違うのは、人口減少と地政学だと思います。 働き手が減る社会って、私が担当する地域交通だけでもすごいインパクトです。生活の足が確保できないし、インバウンド6000万人の足もおぼつかない。さらに加速度的に働き手が減っていくなかで、豊かな日本を全国津々浦々どう支えていくのか。運輸に限らず、建設、介護、小売等々生活サービス全般にわたる大きな課題です。テクノロジーの力も借りて、何らかの道筋をつけることができれば、役人冥利につきますね。 また、国際情勢の変化も見逃せない。2回の大戦の反省にたって構築された戦後体制が揺らいでいる。不安定な国際情勢においては、防衛力、経済力に加えて、価値を発信する力が重要になってくるでしょう。ソフトパワーとしての観光の役割はさらに高まるのではないでしょうか。 国土交通省発足の時、「人が動く 国土が躍動する」というキャッチコピーがありました。最近、あまり聞かなくなってしまったのですが、人口減少時代にぴったり。二地域居住みたいな面白い政策領域も出てきました。人口減少と聞くと、縮小とか撤退とか、後ろ向きな姿勢になりがちですが、「現場」や「地域」を起点に、一人一人がもっともっと動き回るダイナミックな日本を作ることができれば、黄金の国・ジパングもはっきりとした姿を現すんじゃないですか。6. これからの国土交通行政を担う世代へのメッセージ
「人生100年」と言われる時代です。わたしもまだまだ若手なんですよ。まじめな話、老いも若いもなくなっていくんじゃないですか。「これからの人生において、今の自分が一番若い!」そういう気持ちでこれからもやっていきたいと思っています。 私が入省したときは、役人はプロデューサーだと言われました。裏方に徹し、大成功してもこっそりほくそ笑むのがかっこいいぞと。でもいまは、もっともっと外へ発信したほうがいいかもしれませんね。みんなを巻き込みながら、ワクワク・ドキドキ、あれもこれも背伸びして、青天の未来を作れたら最高です。