次世代の都市生活を語る懇談会 議事要旨 

 

 第一回  平成11年7月2日(金)15:00〜17:00 都市計画会館  

『少子高齢化が都市に及ぼす影響』(大江委員)

『住宅需要について』(森泉委員)

 

 第二回  平成11年9月27日(月)10:00〜12:00 麹町会館 ガーネット(3階) 

『子どもを健やかに産み育てる住宅環境』(白石委員)

『高齢社会の法律問題』(田島委員)

 

 第三回  平成12年1月18日(火)10:00〜12:00 麹町会館 ガーネット(3階)

『日本の景観を考える〜諸外国と比較しつつ〜』(犬養委員)

『フィンランド等の都市景観について』(大野委員)

 

 第四回  平成12年5月15日(月)15:00〜17:00 麹町会館 ガーネット(3階) 

『都市における自然とのふれあい』(井手委員)

『都市の自然環境』(森下郁子委員)

 

 第五回  平成12年7月17日(月)15:00〜17:30 建設省 4階会議室

『障害者は高齢社会の水先案内』(大熊委員)

『都市における個人の権利と公益』(小幡委員)

『快適な都市生活のための人づくり』(小澤委員)

 

 第六回  平成12年11月29日(水)16:30〜18:30 三番町供用会議室 

『コミュニティとエンパワーメント

            〜新しい就労と家庭・コミュニティとの調和〜』(栃本委員)

『21世紀の都市生活』(森下慶子委員)

         懇談会報告書について議論

 

 第七回  平成12年12月14日(木)13:00〜14:30 建設省 第一会議室(3階)

懇談会報告書について議論

 

 

次世代の都市生活を語る懇談会 趣旨

1.趣旨

 日本の都市住民は豊かさを実感できていないとよく言われる。その背景には、都市や経済社会が急激に変貌していく中で、人々がそれぞれの「個」にふさわしいライフスタイルを確立できずにいることが大きな原因と考えられる。

 人々が真の豊かさを実感するためには、個々人がそれぞれの価値観や生活観に立脚しつつ、家族形態の変化や、情報通信技術の発達などの新たな社会の潮流を踏まえた新しいライフスタイルを見出していくことが必要ではないだろうか。

 そのためには、家族、職場、地域といったいろいろな面において、多様な生き方を人々が選択できる(選択性)と共 に、年齢や家族などの変化に応じてそれを変えられる(可変性)ことが必要ではないか。そして、都市は人々にこのような選択と変更の可能性を提供する場としてますます重要となっていくのではないかと考えられる。

 当懇談会は、このような趣旨を踏まえ、人々のライフスタイルの変化を見通しながら、次世代(20〜30年後)の都市生活をなるべく具体的に描きつつ、それにふさわしい都市の姿と役割についての展望を明らかにし、都市政策への反映を図ることを目的とする。

2.進め方及び検討項目

 今後の都市生活を考える場合、重要と考えられるいくつかの項目(例えば家族・家庭生活、職場・就業構造、地域コミュニティーの姿)について、今後約2年間にわたって7回程度議論、検討。

 毎回2名程度の委員に話題提供を頂いた後、懇談を行う。

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第一回議事概要 (話題提供・発言要旨は、建設省の責任において要約してあります)

1.開 会

2.建設省山本都市局長挨拶

3.委員紹介

4.座長選任 (金平輝子座長を選任)

5.金平座長挨拶

6.議 事

(1)資料確認と趣旨説明

(2)事務局資料説明  

   ○都市計画制度の概要  

   ○少子化、家族、生活、住まいに関するデータ

 

(3)話題提供1 

『少子高齢化が都市に及ぼす影響』(大江委員)

 ○1989年に合計特殊出生率が1.57を記録したとき、“少子化”という言葉が出てきた。

 ○昨年の合計特殊出生率は1.38、親の世代に対して子供の世代は7割の規模に縮小。

 ○2世代で 0.7× 0.7で、大体5割まで減ってしまう。

 ○現在の出生率の低下は晩婚化・非婚化が原因。

 ○シングルの住宅の市場は大都市圏の中で非常に大きくなってきている。

 ○今後の高齢化は大都市で進むということが大きな問題。

 ○東京圏の高齢化は区部を最初にして、だんだんと周辺部に向かっていく。

 ○高齢化の部分に若い世代がミックスしていくという既成市街地を、どういうふうに理解するか、どう対応するかということが問題になってくる。

 ○人口が減少する中で大都市の拡散した市街地をどうメンテナンスするかという問題も出てくる。

 

(4)話題提供2

『住宅需要について』(森泉委員)

 ○世帯形成の遅れと少子化による将来相続できる可能性ということで、人々が今よりもっと長期間借家に住むようになるのではないか。

 ○少子化による労働市場の変化、技術進歩に対応するための就業構造や産業構造の変化の変化により転職が増加する。それに伴って転居するため、21世紀は社会のモビリティが21世紀は増加するだろう。

 ○従って、これからもっと良質な借家が必要になる。

 ○独立した精神の高齢者がふえてくると、子どもとは隣居・近居で対応する。

                     →近くへ転居してくる子ども世帯又は高齢者に良質な借家が必要。  

 ○若年層の持ち家志向の低下は貯蓄率の低下につながり、豊かな環境への社会資本の投資が難しくなる可能性がある。

 ○リバースモーゲージ普及の一番のネックは子供がたいてい賛成しないということ。

 ○リバースモーゲージが普及すると若者の持ち家志向は高まってくるだろう。

 

(5)意見交換(発言要旨のみ掲載)

[少子・高齢化に関する意見]

 ○結婚するのが遅くなった理由は、いい男といい女がいなくなったということではないか。偏差値教育の結果、みんなが一様になってきて「あの人のために一生一緒にいたい」と思うような“差”を教育の中でなくしてしまった。 

 これから20年後は教育の制度が変わってきて、社会が変われば、比較的早くに取り戻せる。

 ○きょうの話は、この30年間くらい、我々がやってきた郊外化の結末という気がする多摩ニュータウンなど、これから一番高齢化が進むのは分譲地。区画整理などはゆっくり街が成長するので、いろいろな世代が入っているので楽だが、均質な郊外住宅地は猛烈に高齢化社会になる。

[家族のあり方に関する意見]

 ○建設省の用意した資料で「老後を子供に頼るかどうか」というので、「頼るつもりはない」というのが多くなっているが、本音はちょっと違う部分があるのではないかと思った。

 ○世代間のコンティニュイティーというか、連続性とか、そういうものは重要。これから21世紀のポストモダンの社会というのは案外コンティニュイティーを重要視する可能性があるかもしれない。

 ○育児の必要性が生じたないしは親の介護の必要性が生じた場合、大体3割くらいの方が親の近くや介護サービスの整った地域に移動するという数字がある。

 ○リバースモーゲージがどのくらい定着するかというのが日本の文化的なことなどがあって難しい。武蔵野市は子供と同居が少ないのである程度普及した。

[コミュニティの動向に関する意見]

 ○子供がいないと、コミュニティの活動はぐっと少なくなる。

 ○若い人のコミュニティは、空間的に存在せず、テレコミュニティで、メールでやっている。都心回帰がどのくらい続くのか、居住制度の場所性みたいなものをどういうふうに考えればいいのかということが気になる。

[その他価値観の変化に関する意見]

 ○個性が尊重されるようになって、人の生き方にも多様化が認められると思うので、いろいろなニーズに応じた選択肢の多いものをそれぞれの分野で準備していけたらいいのではないか。

[住まいの質等に関する意見]

 ○一世代のご夫婦が住んだらもう壊して更地にしてしまう位、日本の家の耐久年数は短く、それが結局ごみをものすごく増やすことにもつながっている。社会的な資本としていい家を回していく世の中になると、みんな家が買えるようになるのでは。

 ○リバースモーゲージをするようになると、住宅ストックをよくキープしようというインセンティブが働く。アメリカの人などはモビリティが高いので、新しい住宅を買うということはむしろマイナーで、古い住宅を買う。そのために、住んでいる住宅のメンテナンスをよくやる。

 ○日本もモビリティが高まると住宅の売買も盛んになるから、よく保とうというインセンティブ、資産価値を高めようというインセンティブが働くのでは。

 ○良質な借家の必要性は、つくづく感じている。なぜ集合住宅が貧しいのか、そして日本の住宅の総合としての町並み貧しいのか、それが非常に気になっている。

 ○フィンランドなどは決して豊かな国とは思わないですが、本当に集合住宅が豊かである。そして、たくさんの女性が専門職について働いていて、子供もいて、集合住宅の中に子供を預ける施設があって、ご主人と一緒になって子供を育てる。そういった風景を見ていて、なぜなのかというのが不思議なので、それを今回は考えたい。

[議論の進め方に関する意見]

 ○「夢がある話をする」ということが、これからの都市を考えていく上で一番大事なこと。

 ○「30年後をおおむねイメージする」と書いてあるが、例えば少子化とか持ち家の話は非常にサイクルが長い話なので納得がいくが、30年後に推定できるものはおよそ何だろうかとちょっと疑問を感じる。例えば、69年に50万人集まったウッドストック、あの30年後にアメリカ人がこんなに金儲けで、若者がビジネススーツで、金、金、金というふうになるとは思わなかった。若者は30年前ヒッピー世代だった。例えば『2001年宇宙の旅』でもキューブリックの映画の巨大なハルというコンピュータは小型になって個人の家で実現している。それから、家の中で見たい映画を見られたらいいなと思ったのが中学生くらいですが、今は現実になっている。待ち合わせ場所に間に合わないから、車の中で相手に電話をかけられたらいいのに思っていたら、もう電話をかけられる時代ですね。だから、長期的視野と同時に10年くらいも手前に合わせて考えたらどうか。

 ○多様化しようと建設省が張り切っているので、個室はあった方がいい、借家はあった方がいい、高級老人ホームも欲しい、欲しいものをいっぺん全部並べてみたらどうか叶うかどうかは別として、いっぺん夢のようなまちを言ってみたらどうか。

 ○建設省のここにいらっしゃる方が「金も権力も十分にあれば、こんなまちをつくってやる。これがすごいだろう」というのを見せていただくと、すごく楽しいのではないか。

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第二回議事概要  (話題提供・発言要旨は、建設省の責任において要約してあります)

1.開 会

2.建設省山本都市局長挨拶

3.委員紹介

4.資料説明(建設省)

  高齢化に関するデータ

 

5.話題提供1 『子どもを健やかに産み育てる住宅環境』(白石委員)

 ○高齢化と少子化は表裏一体。少子化は全国的だが、大都市圏で顕著に進展している。  

 ○子どもを産まない理由として、住宅にまつわる要因が大きい。

 ○男女間に結婚についての価値観の差があり、適齢期の人が結婚する状況になっていない。

 ○住宅には、寝室・子どもの勉強部屋・収納スペースなどの不足という問題がある。

 ○住宅にかかる費用が大きく、家計への負担が重い。

 ○民間賃貸住宅居住者が、現実の子どもと理想とする子どもの数の乖離が一番大きい。

 ○賃貸住宅の入居に際し、子どもの有無による入居差別が行われている。

 ○民間賃貸住宅の質の向上が優先課題。持ち家との格差を是正していく必要がある。

 ○集合住宅では、低層やタウンハウスのニーズが非常に強い。

 ○子育て中の親が社会的接点を保てるような、住宅の周辺環境の施設配置などが必要。

6.話題提供2 『高齢社会の法律問題』(田島委員)

 ○高齢者の財産管理と身体介護をどのような方法で行うかが問題となっている。

 ○本人保護と調和する形で、新たに自己決定の尊重、あるいは残存能力の活用、ノーマライゼーションという理念を取り入れた法改正が行われることになった。

 ○新しい制度は、後見、保佐、補助の3類型。他に任意の後見制度も新たに設けられる。

 ○現在の扶養事件の傾向は、年々減少傾向にある。

 ○高齢者自身ができるだけ自助努力、あるいは公的な福祉を利用して生活していけるようにするため、リバースモーゲージの確立等、いろいろな制度の整備が望まれる。

 ○有料老人ホーム契約問題点等で、ホームの的確かつ十分な情報が適切・適正な方法により提供がなされることなどや、入居者の利益が守られる仕組みをつくる必要がある。

 ○高齢者が消費者被害に巻き込まれるケースが多くなっている。

 

7.意見交換(発言要旨のみ掲載)

[高齢社会の法律問題に関する意見]

 ○少子高齢社会において、個人同士がコミュニティをつくり、友だち同士で暮らすという新しいスタイルが出てきている。そのような社会状況の中で、後見人制度を始めとして、親族だからということで特別な立場に立たされるケースは減っていく。

 ○家庭裁判所が任意後見監督人を通じて任意後見人をきちっとチェックするので、チェック機能を持たせることができることになって、任意後見の制度が活用されると、社会的に有用なのではないかと思う。

 ○後見制度のようなものがはっきりしていれば非常にいいので、今後そういう方向がもっと法律的に固まるといい、という印象を非常に強く持った。

[住宅に関する意見]

 ○自分の所属する属性・就業形態・年収の・家族構成によって子育てを支援する施策に対する重視度が違うが、すべての人たちの基盤という意味で、住宅が優先課題と思う。

 ○全然子どもを持たない、あるいは結婚しないということに対して、魅力ある都市づくりがどういうふうに効果があるのか。価値観が非常に多様化していて、住宅問題の改善だけでは無理があるという感じがする。しかし、第二子以降を考えるときには、住宅の問題というのは非常に大きいのではないか。

 ○家賃助成などの様々な住宅施策により、都心に近いほうの区部では若い世帯の若干のつなぎとめができている。問題なのは、市場メカニズムに大きな借家というのは合わないので、大きな借家は少ない。そのため、ある程度の行政の介入は必要ではないか。

 ○日本の賃貸住宅は高くて、貧しい。リーズナブルな価格の良質なものをつくってほしい。そして、一律な使い方をもっと個性的にできないだろうか。

 ○まずは歩ける家づくり、住宅づくり。日本は災害の多い、特に地震の災害が多いことを考えれば、中層の建物を考えるべき。

[都市の安全性に関する意見]

 ○都心などの高層建築物による風害というのをもっと注目すべきである。高齢者などにとって、風害の影響というのはすごく大きいと思う。今後の都市生活、あるいは都市計画の中では、高層ビルを建てれば建てるほど、足元だけではなくて、都市全体の安全性というものについて是非配慮していただきたい。

 ○風害の対策として、高層建物をもっと離し、高い木を複層で植えるなどの方法もある。

[交通・移動に関する意見]

 ○次の世代の高齢者というのは、かつて遊んだところに行く可能性が強いと思う。

 ○高齢者が安全に暮らせるまちづくりを考える中で、車の免許の年齢制限などについても将来的には考えざるを得ないのではないか。

 ○バスは高齢者がひとりで街に出て行って、少し行動範囲を広げるという中では一番安全な乗り物なので、バスを非常に活用したまちづくりというのが必要なのではないか。

 ○TDMみたいなものを使いながら、バスが走りやすいような道路づくりをしていく。そういうものも一緒にしたまちづくりというものが必要になってくるのではないかと思う。

 ○これからの高齢者は遠いところにも出かけるようになるので、今までは諦めていた文化施設などにも今後は行くことも考え、高齢者のまちづくりは考えなければならない。

 ○交通機関のエレベータなどの設備状況は、設置数ではなくて、今後はより使いやすい位置ということが大事になってくる。今までのデザインは点でしかやられていないから、面でないためまだ不具合がある。これからは面で考えていくということがとても大事。

 ○車の免許について、個人の自由・移動の自由と社会における責任という両方の観点があるので、両者が共存する方法を考えていくほうが、未来に希望があると思う。

 ○サンフランシスコはバスが便利で非常に高齢者に住みやすい街。

[都市のあり方に関する意見]

 ○今までの社会と違って、都市化に伴い、社会的な場や社会性の意味及びその保持を如何にするのか、というところが少子化問題と高齢化問題に共通していると思う。

 ○近くに公園や遊び場がほしい、老人が歩いて行ける範囲にみんなが集まれる場所など、都市の曖昧な空間が欲しい。

 ○もう少し自然に、いろいろな他人と遊べる場所、遊べる手法、遊べる商売などそれが街の中にないと都市をつくった意味がない。どんな人も遊べる場が必要ではないか。

 ○高齢者にとって、ある活動が社会的にできることが必要で、そのために国ができることは、場を確保すること。

 ○75歳以下は年寄りではない。現代の元気老人のことを考えると、わびしい高齢社会より、逆に、バリアがあったほうが何倍か元気なのではないか。

 ○高齢者向けの小さな公園がほしい。その場合も周囲の住民を巻き込んでつくること、運営すること、管理すること、この3点を一緒にやると、そこでまたコミュニティもつくれるのではないか。

[人間関係について]

 ○今の子どもたちは人間関係のつくり方が非常に下手。その人たちが年をとった時に、コミュニティとか家族も一体どうなるか不安。 

 ○若い人たちに、もっと人との関わりがつくれるような訓練の場が必要。マネージャーを育てる、そういう訓練の場が必要なのではないか。

[子育てに関する意見]

 ○江戸川区のように環境が良ければ、子どもが増える。

 ○公共賃貸住宅にいる人たちのところで子どもの数が増えている。子どもを育てるのは親だけではなく、地域もある。古い住宅公団などの賃貸は子供達への自然監視が行き届いているから、むやみな建て替えが本当にいいのか。そこのところを政策として是非見直すべきではないかと思う。

 ○職場を含めて日本の社会には根強い家父長制があり、子育てや女性が働きづらい状況を作っている。

[行政のあり方に関する意見]

 ○政策で考えると、住宅政策とエンゼルプランが、相互に関連性を持たせてやられているということが全くない。そういったものをどうクリアしていくかというところを是非、考えなければならない。

 ○市民活動やこれからの市民参加で、いろいろな意見が行政に届け、行政の縦割りを埋めていくことができる。

[資料に関する意見]

 ○今後、西暦で統一してほしい。

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第三回議事概要 (話題提供・発言要旨は、建設省の責任において要約してあります)  

1.開 会

2.建設省山本都市局長挨拶

3.資料説明 建設省の景観施策,日本の都市と海外の都市に関するアンケートについて

 

4.話題提供1 『日本の景観を考える〜諸外国と比較しつつ〜』(犬養委員)

  日本の都市景観について、諸外国の景観と比較しつつ、スライドを用いて説明。

 ○暮らしの中で使う場所が美しいということが非常に大事なことで、特に環境が人間を作るから景観を美しく変えていきたい。

 ○かなりの地方自治体が景観条例を制定しているが、個性ある街づくりができていない。

 ○日本中の景色を醜くしている沿道の看板。宣伝用ののぼりは日本の悪癖の一つだと思う。

 ○日本の景観を害しているものの代表がコンビニエンスストアーと自動販売機。

 ○日本では不要なガードレールがあるうえに、花や鳥などの絵が付き、過剰装飾。

 ○敷石にタイルを張るなど、日本人はミクロの部分にとても凝る。

 ○景観というのは一つの部分だけをきれいにしても不十分で、全体が美しくなければならない。問題は全体を計画する人がいないということなのではないか。

 ○デザインに凝っていても、これが広告で破壊されている例もある。文字の暴力というのも景観の中にあると思う。

 ○街並みをよく整備しても、商店などの一軒が非協力的なことをするだけで全体の景観を阻害する。

 ○東京の大手町は東京の中では唯一、看板や広告がなくてすっきりした通りだが、やや非人間的で、ロマンティックな感じはしない。

 ○外国の特徴として、余計なものが何もない。日本は有名な観光地でも広告、看板、土産物屋などが多く、目に付く。

 ○都市景観と水というのは切っても切れないものだと思う。水辺の考え方が日本と外国は全く違い、官が管理する日本と、市民のものである外国。人工物をつくる日本と、片や自然のまま。自然のままでいいところに手を加えるというのが日本ではないか。

 ○道路の景観では、日本のトンネルの絵は醜く、不必要。

 ○ヨーロッパの道は車種別レーン表示で非常にわかりやすいが、日本の道は標識等が非常多くて、どこが本当に危険かわからないし、読み切れない。

 ○公共の景観のために個人の景観への責任も必要だと思う。

 ○日本の景観のこれからを考える時に、デザインとは何かをもう一度検討することが必要。

 ○私権と公共の景観との対立にどう対処するか、その基準を考えていかなければならない。

 

5.話題提供2  『フィンランド等の都市景観について』(大野委員)

  フィンランドの都市景観について、スライドを用いて説明。

 ○古い街並みを保全しつつも、現在も生きた形になっている。他に余分なものはない。

 ○古い街並みを保存する時には、手仕事が大事。

 ○日本は自転車道が確保できていないことが気になる。これからの街づくりにおいては、道はできるだけ自転車が通れるようにし、自転車を大切にしてもよいのではないか。

 ○ヘルシンキは高層ビルがあまりなく、緑が多い(35%は緑地に被われている)。緑が多いことが非常に快適な都市環境をつくっている。

 ○道路の他に『街並みを作っているものに周囲の建物がある。フィンランドの建物は一般に外観はそれほど凝っていないが、街並みに溶け込むような形で作られている。

 ○インテリアデザイン、そして建築デザイン、外の環境デザイン、こういったものが全体でつながっていく生活環境としてレベルが一定し、統一されている。

 ○フィンランドは地下空間の使い方を大切にし、駐車場やプールを地下に造っている。日本でももっと地下空間を利用し、地上はできるだけ自然な感じを残すことも必要。

 ○全体のトータルなイメージが都市の環境を作っていくのに大切ではないかと思う。

 ○枯れ枝を積み重ねただけのアートも街中にある。日本の公共デザインでは絶対に実現しない手法と思われる。

 ○アパート(賃貸と分譲が約半々)の値段は賃貸が1,250円/u程度(一般的なヘルシンキの住宅は60u程度)。分譲の値段は21万2,500円/u程度なので、2,500万円前後で買える。安い理由の一つは、市が全体の50%以上の土地を持っているということ。

 ○仕事の後に楽しむことが近場でできる。仕事の場と生活空間としての楽しめる集合住宅地ができればよいと思う。

 ○郊外には森の中の都市と言われる場所もあり、森の中に埋もれたような感じで、実に自然を大事にする。これはフィンランド人の本来の気持ちだと思う。

 ○都市環境というのは、次の世代にいいものを作って残していきたい。生活の仕方、室内建築、外の環境が一体になった良質なものを残すべきであって、そういったものが子どもたちの人格の形成に大変影響があると思う。

 ○日本でセンスの悪い人が多いのは、子どもの時から建築物、周辺の環境などに対する文化としての備えがなかったためではないか。一般的教養として都市環境が自然に皆に備わっていくようにしなければならない。

 

6.意見交換(発言要旨のみ掲載)

[景観における私権の規制などに関する意見]

 ○日本では私権の絶対性として、自分の所有権、財産のところは本来自分が好きにやっていいはずであって、なぜ規制を受けなければいけないかという意識が非常に強い。例えば、自分の家が奇抜な色を使って非常に目立つような存在になっていることをむしろ喜ぶ、というような感覚がある気がする。

 ○法律によって規制するという考え方もあるが、法律と、人々の法律の受け止め方や社会性などから、何でも法律で決めて無理やりやらせられるというものでもない、というところが難しいと思う。

 ○広告や看板について、営業をする側の立場では、目立ってお客さんを呼ばなければならない、生活がかかっている、となる。それは一つの価値観ではあるが、およそ全国民的にはどうか、という疑問がある。

 ○景観というのは、本当に形だけを見せたらよいのか、それともそこに住んでいる人の心をストレートに表現した街の方がよいのか。社会の多様性を考える場合、景観をどのように統一感が出るようにしていくかが問題。これらについて国民的な合意を得ていくには、もう少し議論を要する。法律や条例だけではいけない。

 ○景観を害する看板をどうして規制できないのか、と思う。

 ○例えば、屋外広告物の是非などについて自分たちで調整してかなければならない。そうしなければ、この問題は解決しないのではないかと思う。「私」を基にして「公」ができていくという、そういう「公」の作り方を実践しない限り、うまくいかない。

 ○景観が美しいか美しくないかということと同時に、そこが行きやすい空間、人々が生活しやすい空間であるかどうかというのは非常に大事なことで、自分たちで決める問題。

 ○日本というのは都市計画、あるいは美しい景観の街づくりをするのが本当に難しい国ではないかなということを痛感した。何を美しいと思うか、何が便利だと思うか、何がいいと思うか、その価値観が様々。国民が役所に頼る体質で、なんでも役所がやってくれると期待しておきながら、それに従うかというと、権利意識が強いところは強く、特に土地とか不動産ということになると、自分の我を通そうとする。

[景観の問題などに関する意見]

 ○マンションなどで外から見える場所に洗濯物を干すことはよくない。しかし、ふとんを干さないと我慢できないという人が非常に多くいる。日本人的な生活習慣の価値観をこれから21世紀に向かってどのように全部なくすことができるのか。そのような意味では日本的な部分を考えながらやっていかなければならない気がする。

 ○経済学の分野で住宅や都市に携わっている人達の中には、欧米の都市よりもアジア的な都市の方が気に入っている、と言う人が結構いる。

 ○価値観の合意形成という問題は非常に難しい。ある都市を欧米型にしたとしても、それは実はその世代に生きる人の価値観の形成に過ぎない。地区計画などもそのような恐れある。

 ○奇抜なものをつくると評価されるようなところがあると思われる。非常に凝った、周辺の環境に絶対似合わないというような建物を建てる、という傾向が強い。

 ○欧米の社会や都市の形態というのは、色々な意味で問題も持っているから、そういう意味では日本的な乱雑なものもよいのかもしれないが、全て欧米流ではなく、中間的というような何か日本的なものがあるのではないか、という気がする。

 ○小学校の教育など初等教育で都市景観に関することを教育していくことが必要ではないかと思う。

 ○土地とか地域が次の世代に継いでもらうものであると同時に、前の世代のものを継承するということだから、そのことで言うと、町の昔の雰囲気を生かした形での設計というのは重要。それによって、突飛な建物は減らせると思う。

 ○暮らしの景観、暮らす立場から見た景観というものが今の都市はどうなのか、という話題がまだあまり出てないという気がする。

 ○欧米対日本、あるいは欧米対アジアという価値観の問題。日本における近代化の過程の中で景観の問題を含む欧米的価値観というものを是としてやってきたということをもう一度疑ってみる必要があるのではないか。

 ○日本国民がもう少し、公のことを真剣に考えなければならない。自分のことだけしか考えないとか、役所に任せるのではなくて、公のことをみんなで考えて、少しずつ自分たちが我慢するということがあっても、大事にしていくものは守っていこうというような姿勢をもつ国民性がもてるように教育していなければいけないと思った。 

[都市計画のあり方などに関する意見]

 ○日本の都市計画が悪かった。準工の隣に住居地域、住居地域の隣に一挙に第一種低層、という場合もある。

 ○都市計画を立てる場合、そこにおける生活はあまり見ていない。そういうところまで踏み込んだ計画はなされていない。

 ○昔から住んでいた人たちの空間とある程度連続性を持たせた形で設計していくことも必要。そうすることにより、老人にとっても生活しやすい都市になる。

 ○フィンランドの場合、土地の先買権というのがあって、都市計画がとてもうまい具合に行くという背景があるように思う。

 ○ヴェニスやスウェーデンでは、ある区間以内には自動車は入って来られないようにしてあり、その中は子どもやお年寄りが安心して歩けるというようなことが都市づくりに使われている。

 ○都市づくりにおいて、日本は都市計画をする時に、お年寄りが街の中でそのまま要介護になっても住み続けられるような場所を作らずに、どこかその街の縁のほうに老健施設とか特養ホームとか老人病院を作って、暮らしから切り離してしまう。人間としてたしなみがないというような街づくりのような気がする。

 ○日本人は他人と同じようにしなければならないといつも思っているにも拘わらず、家を建てる時は他人と違うものを作るのは不思議。

[行政などに関する意見]

 ○日本は建設行政においても、欧米からいろいろのことを学んだのだろうが、それをそのまま取り入れた分と、捨てた部分があるのではないか。街並みを同じようにするとか、都市の中に色々なコミュニティに必要なものを入れていくということがなぜ捨てられてしまったのか。捨てるには捨てるだけの理由があったのだと思う。

 ○過剰と思われるほど道路にガードレールを設置したり、河川改修、堤防を設けたり、防護柵を作っているのは、個々の具体的な訴訟の場での裁判官の判断が、被害者の救済というほうに目が行きがちになって、全体のことを考えるよりは、個々のケースで被害者の救済ということに価値を置いて、工作物の設置管理者の責任を重くしていくという傾向がどんどんエスカレートしていった結果と思う。司法に携わる者の一般的な社会常識につながる教育ということも、もう少し司法の教育面で考えていったほうがいいのではないかということも個人的に感じた。

[これからの都市の景観に関する意見]

 ○看板、幟、提灯というのは情報化されていない前時代的な買い物行動がある上での現象ではないかと考えられる。今後、ITなど情報化が進展すると、物の流れ、組織のあり方、施設の立地、人々の買い物行動まで規定されていく。そうなると、看板とか幟、提灯が果たして有効であり続けるのであろうかと、と考える。

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第四回議事概要   (話題提供・発言要旨は、建設省の責任において要約してあります)  

1.開 会

2.建設省山本都市局長挨拶

3.資料説明 「都市環境への取組みについて」 

 

4.話題提供1  『都市における自然とのふれあい』(井手委員)

 どのような都市、もしくは人間にとってどのような暮らしの空間を作ったらよいか、についてスライドを用いて説明。

 ○日本のカエルはどのような種でも絶滅の危険性が非常に高い状態。その理由は成体の移動距離(250m〜500m)の範囲内に水、林や草地といった生活空間が必要だが、その生活空間がかなり危ない状況にあるため。淡水魚はカエルよりももっと危ない状況にある。

 ○目、耳、鼻、肌、舌を働かせて欲しい。雨に濡れた土のにおいは春の特徴。

 ○30年後には都市の暮らしに歳時記を取り戻したい。自然とのごく当たり前の触れ合いが都市の中でできないか。特に毎日の外出時に感じられる都市にはできないか。

 ○コンクリートで護岸された街の中の小さな川という風景でも生きる救いとしている人もいるのだから、都市の中の自然にはどれほど大きな可能性があるか。

 ○ストレスを感じた時などに人間以外の生き物にふと触れることが何らかの役に立つ。

 ○自然には、必ずそこにあるという「安心感」、時間的にも空間的にも非常に開けた「静けさ」がある。

 ○今の殆どの日本人は小学校までで生き物経験を終えてしまうので、小学生の行動範囲内(半径2km)にできるだけ多様な自然を確保したい。

 ○中学生、高校生のライフスタイルに自然との触れ合いを増やしたい。

 ○都市の自然の効用には、社会参加の機会の創出がある。自分が存在する空間(自然・社会・文化)への理解が所属感を、所属感(役立ち感)が生き甲斐を育てる。

 ○オランダ(人口1,590万人)では市民が自然環境調査を行なっている。鳥、両棲類、爬虫類、植物といったそれぞれに全国的なNGO組織があり、参加者は5万人以上いると推計される。日本自然保護協会の会員数は1万7千であり、関心度の違いが明白。

 ○オランダでは農地の自然回復を行なっている。肥料や農薬を減らしたりする自然回復を図る協定を結び、それに伴う収量の金額の減収分がEU・国・州等から補助される。

 ○オランダの制度では、自然回復の目標レベルは農家が自分で決める。自分の土地で出てきた目標生物を調査し、自然の種類が多く出るほど、補助金額が増える仕組み。

 ○横浜市の「市民の森の愛護会」では、現在合計23個所、面積438haを横浜市域に確保しており、民有地のままで市と10年間の保全協定を結んで行なっている。森の下草刈り、枝打ち、枯枝の処理などは、市から管理費委託という形で委託を受けて実施する。

 ○活動を継続させるのに最も大きな障害が相続。愛護会は林の管理をするだけではなく、季節ごとの行事や自然観察会などを行って、コミュニティ形成を図っている。

 ○成功するNPOの条件は、明確な事業目的を持つこと、多様な資金源を持つこと、立派な理念を持った理事会を持つことなど。また、行政は本当に永続性を持って事業をやるつもりのあるNPOと、そうではない市民層をどのようにすくい上げるかが大事。

 ○大掛かりな自然回復をやっていくことは、事業としても管理としても、行政の手には負えないので、住民や市民が自分の環境は自分でつくるという意識を持って取り組んでいくことがこれから重要であり、30年後にはこれが当たり前になっていることが望ましい。

 

5.話題提供2 『都市の自然環境』(森下郁子委員)

  都市生活においての自然環境の位置付けや生態系の保全について説明。

 ○民主主義の根底は多様性の原則であり、地球環境の解決にはこの多様性が大事。本来、多様性はバリアフリーではなくて、バリアを築くということ。

 ○自然を保全しようという時に省庁ごとに感覚が少し違う。環境基本法における自然の保全は、「立ち入らない」ということがひとつの目的になっている保護の思想であり、生態系を壊す外来種などは駆除するという考え方。河川法では、自然は回復していくものとして、工事をしても自然が自分で戻っていく力をどれだけ残すかということに視点が定まっている。農林省、都市局、下水も含め、自然の保全というのは、もともとあった自然を失したところに自然を回復するので、今まであった生態系が戻るわけではない。農林省が入っている自然保全地域は環境庁や建設省が言っている自然の保全と全く違う。

 ○都市が水系全体の自然環境の中でどういう位置を占めているかを、都市の環境づくりというもので考えると、全域の少なくとも流域全体の自然環境の保全につながる。

 ○現実に飛んでいるホタルをずっと維持しながら、「毎年ホタルが飛べる環境を作っている」という充実感と、「また見られてよかった」という未来につながっていく。そういうものが重なった時にはじめて、快適さというものが出てくると思う。

 ○都市工学は今まで、利便性と安全性を追求した、非常に技術優先の世界であったが、そこに欠けているのが快適性の評価であり、その快適性はこれからの都市工学が追い求め、そして今までの利便性と安全性との間にバランスをとらなければならない項目である。

 ○快適性は、過去と未来と現実という過程の中に初めて生まれてくる心ではないか。都市に生きものがいるということは、やはり快適性を表現できる大事なことだから、その快適性を表現するために、これから何をしていくべきかを考えていかなければならない。

 ○下水道の施設やたんぼも作るなどしているが、そこだけに終わらずに、どのように他の水域と、そして他のものとつながっているか、また、つなぐということをもう少し考えれば、広がりが出て、それから生まれてくるものは少し次元の違うものではないか。

 ○上から見て木が植わっているところには必ず水があるはずだというのは、砂漠の思想。「植物があれば必ず水があるはず」、「水があれば必ずそこに動物があるはず」という考え方が日本の風土から動物をいなくした大きな役割を果たしているので、街道筋の植物の意味を生態学的にもう少し理解してほしいと思う。

 

6.意見交換(発言要旨のみ掲載)

〔「都市の自然」のあり方などに関する意見〕

 ○最近はガーデニングブームだが、それは都市内に何か不足しているためか、または「自然」に対して目が向き始めたためか。

 ○自分たちで維持すべき環境と、我々が手を出してはいけない環境、受け入れるべき環境などとの間のどこで線を引くか。

 ○公共地の活用についてはもう少し何か工夫が必要であり、現在は子供の目で見ても、行政の都市の自然への対応は「ひどい」というケースも目にする。

 ○都市における自然との出会いや自然環境などを考える時に、生態系との関係で考えると、生態系の残っているところについては、もうこれ以上壊す必要はないのではないか。

 ○都市で一旦破壊されたものについて、我々は緑や自然に似たものを求める。それも一種の快適さであるし、作った自然環境でもあったほうがいい、という考え方がありうる。

 ○ガーデニングはそれぞれ自分の所有地で楽しむので、これからはコミュニティとしての取り組みが必要ではないか。都市においてはそれも一種の自然環境と呼ぶことができる。

 ○常に管理をしていないといけないのが「作った自然」。自然はその周辺に住んでいる人、作る人の考え方のレベルが上がるほど、高度な美しさを持つものにできあがるので、都市の中の自然環境や作られた環境の美しさで、そこの住民の文化意識レベルが測られる。

 ○最低限、自然環境を守っていくには、今あるものを減らさないということしか方法がないので、今あるものが何かということがわからなければならないが、学校では何があるのか、どのようなっているのかということを教えない。

 ○地域にとって大切なシンボルになっているものがたくさんあるので、これからは都市づくりの際に建設省は、民俗学やそこの郷土史を研究している人たちと、この地域ではどのような形で人と植物などの生き物がつき合っていたか、これからどのような形だと都市的な空間になった中で付き合えるのか、などを考える必要がある。

 ○そこにあって当たり前のものがあるのが「自然」。他所から別品種を持ち込むことは人間が「作ったもの」であって、「自然」ではない。都市においては「自然」が少なくなってきているが、都市にしかないものもあるので、それが「都市の自然」である。

 ○都市に人間が住むことにより、本来ならば自然の中に含まれている窒素やリンなどがいびつになったところに生えてくる生物があるのが「都市の自然」。

 ○「違う自然」を作ってそれを子どもたちに「これが都市の自然」と言うことは嘘の理科教育をしていることになる。自分の目の前で見たものを観察しながら、都市の姿を理解して育つことによって、異なる「自然」を見た時に「自然」の多様性を理解してほしい。

 ○都市景観賞をも取ったせせらぎの緑道は午後5時過ぎると水が止まってしまうが、父親が子どもに「これが川だ」と教える。そのような「嘘の自然」はやめるべきである。

 ○住民は公園などの管理を無理やり押しつけられることを嫌う。そのため、住民の意識と一緒に空間を育てていくという時間が必要。

 ○地縁やコミュニティが駄目になってきているところをある程度再生していくことで、これからの高齢化社会の受け皿となり、同時に都市の中の自然について今どこに何があるのかわからないといった状況は解決していけると考える。

 ○一旦自然が壊されて都市が既にできているところに、都市の人たちの目に、快適に映る安らぎのようなものを別に作る必要もあるのではないか。

 ○都市に生まれた子供たちはこの都市が故郷だから、都市に昔の日本の田舎がなくてもよいではないか。「都市の自然はこうなのだ」と割り切って、都市の環境に合った「都市的な自然」を作っていけばよい。

 ○都市に田舎のものを持ち込んで「自然だ」と言うから嘘になるので、都市には都市の生態系をしっかり教え、田舎の人が田舎の自然を理解し、両者の違いがわかればよい。

 ○ヨーロッパやアメリカの都会の自然というのはすべて作られたものであると思う。

 ○「都市の自然」はヨーロッパのように緑が多くて、非常に手入れされているイメージだが、実際は住民の意識の差が非常に大きく、垣根ひとつとっても正反対に考える人もいる。この点から、都市の自然についての意識を子どもの時から考えなければいけない。

 ○現代の子どもたちは自然と触れ合う時間もなく、オタマジャクシなどを気持ち悪いものと感じるようになってしまったことについて危機感を持つ。

 ○世田谷区のような今やもう郊外と呼ぶには市街地になりすぎている地域においての「自然」とは、公園あるいは中小河川を暗渠化した上につくる緑道などの施設系のものでしかなく、善悪はともかく、そういったものを整備して行かざるを得ない。

 ○施設系のものについて、コミュニティの中に「皆で管理しよう」という機運があれば、そのコミュニティに任せ、そういう形が出てこないコミュニティであれば、公的な管理をする。このように現場毎で判断し、できるところは地元住民に任せればよい。

 ○市街地の中での「自然」をある程度残していかざるを得ないが、その場合でも、地域のスケールに応じた、あるいはそれぞれの地域コミュニティのあり方に応じた対応策がとれるようなことを市区町村・都道府県・国という分担の中でやってほしい。

 ○子どもの教育とか情操とかいう意味においてペットを飼うことには意味があるが、都会においてペットを持てない家庭が増えていることは問題。マンションや公共交通機関など日本を作っている一つ一つの部分で、生きものを排除している状況にあり、これを直さずに川だけ自然保護をしても何ら人間的成長は子どもに望めない。

 ○日本人は本当に自然が好きか?自然な「自然」が好きな国民ではないか、と感じられる。

 ○動物を都会で見慣れていないために、都会の人は動物への恐怖がある。

 ○日本人は自分さえよければいいという発想があるように思える。自分のものだからいい、という発想があるために自然が守られない。

 ○自然相手は手間と時間がかかるものなのに、役所の担当職員が短期間で変わり、そのたびに振り出しに戻ってしまうので、もう少し情緒を持って対応できないか。

 ○時間がないと自然と付き合えないか?土と時間をどのように現代の子供に持ち込むべきかを考えなければならない。

 ○西洋の街には中庭があり、あの空間の中に緑がある。日本でも建蔽率をギリギリやれば中庭ができ、緑ある空間にできるかもしれない。

 ○都市の真ん中で暮らしていると、自然というものから隔絶して生活があると思う。

 ○新宿御苑も「作られた自然」であるが、これは「本当の自然」と同じくらい大事。その大事なものを壊して作ったものは元には戻らないから、管理・保護・再生をどうするかなど考えるべきことが大変たくさんある。

〔その他自然全般に関する意見〕

 ○日本には自然の川はなく、その実際の管理も漁業組合が行なっている。建設省は漁業組合の意見と市長の意見だけしか聞かない。それを理解しないと、自然環境は守れない。

 ○オランダでは、州や日本の建設省に当たるところに生物職の職員が必ずいて、設計基準の作成、あるいは作った施設のモニタリングなどを担当する。

 ○環境庁が緑の国勢調査をし、日本のメッシュの調査はすごいものがある。建設省が行なっている水辺の国勢調査も、世界中の人が敬服するほどのものでレベルは世界一。

 ○日本のこの素晴らしい調査をうまく使う人がいない。新聞社でもうまく使えていないのは、社内に生物職がいないことが原因ではないか。

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第五回議事概要 (話題提供・発言要旨は、建設省の責任において要約してあります)

1.開 会

2.建設省山本都市局長挨拶

3.資料説明 「まちづくりと地域コミュニティ」について

 

4.(1)話題提供1 『障害者は高齢社会の水先案内』(大熊委員)

スライドを用いて障害者や高齢者のケアの実態を国内外の事例から説明。

 ○キーワードは3つ。1つ目は「ノーマライゼーション」という本当の意味。2つ目は次世代のまちづくりには「障害を持っている人たちの言葉に耳を傾けていくこと」が非常に重要であること。3つ目は「コミュニティに住民が入っていく手立て」。

 ○「ノーマライゼーション」は、どのような障害者や高齢者であっても、人はノーマルライフを送る権利を持ち、社会の側はそれを支える責任を持つ、という権利と責任の考え方。

 ○今の日本の高齢者は都心から遠い老人病院の中で、衣食住がアブノーマルで、家族もろくろく訪ねて来ない、役割も心もないアブノーマライゼーションという状況。

 ○他の国では病院の数が減っているが、日本だけ異常に増えている。その原因は都市から隔離された老人病院と精神病院。そこに寝たきり老人と呼ばれる人たちがいる。

 ○15年前より何度か北欧の国々を視察しているが、これらの国々には「寝たきり老人」という言葉はない。日本で言う寝たきり老人と同じ状態の方がいても、コペンハーゲンでは「介護が必要な年金生活者」と呼んでいた。

 ○日本型福祉というのは、お嫁さんとか娘さんと言われる人がお年寄りを悪気はなくても、寝かせきりにしてお世話をしている。

 ○デンマークなどで良好な国民生活の基盤を作っているのが都市政策、都市計画。つまり、街の中の一番便利なところに保育園とケア付き住宅と郵便局と店がある。

 ○車椅子だけでなく、乳母車にとってもバリアフリーのまちづくりはとても大切。

 ○デンマークでも以前は高齢者に対して立派な施設を作っていたが、暮らす場所等を本人が決めるという政策変更が行われた。その結果、公的支出も少なくて済んだ。既存の家については、台所や風呂場、トイレの改修とともに、外に出られる仕掛けが作られていた。

 ○日本においても街中で暮らすことは、立地が計画的になされたデイサービスセンターへ車椅子で行って、食事をし、そこで人と会い、食事という文化を楽しむことができる。

 ○日本の建築基準法は、燃えなければいい、つぶれなければいい、ということだけで、人生の質などをこれまでなおざりにしてきたように思える。

 ○デンマークの場合、特養ホームも住居の一種という考え方で大体1人当り20uの個室に住んでいる。家具などできるだけ思い出のものを持ち込んでいる。これは痴呆のお年寄りにとっては非常に良いこと。

 ○日本では、精神病院の痴呆病棟にいる痴呆性老人とされる人はカーテンを引きちぎるなどの理由で部屋が殺風景になり、この殺風景な部屋がますます病状を悪化させている。

 ○日本にある老人保健施設などの設計思想は間違っていて、病院のような高い天井、白い壁、大きな食堂という、非日常的な空間になっている。それが痴呆症状を悪化させている。

 ○デンマークでは特別養護老人ホームの中に、家族的な6人程度のグループを作り、スウェーデンでは建物そのものを小分けにして、グループホームで痴呆のお年寄りのお世話をする。小人数でゆったりした、あまり日課などのない暮らし、という環境でとても落ち着いている。

 ○スウェーデンでは不特定多数の人が利用する建物や新設住宅のバリアフリー化を法律で義務付け、それ以降に作られたものは全てバリアフリーになり、将来の経費が大いに削減された。これを推進したのが障害を持った人たちであった。

 ○日本でも、障害を持っている人たちがまちづくりで活躍している。

 

(2)話題提供2 『都市における個人の権利と公益』(小幡委員)

 ○自分が所有している土地というものについて、国民はみな思い入れがある。例えばまちづくりでも「自分の土地である」という考えが常にあって、障壁になることがよくある。

 ○「個人の権利と公益」といった問題をどう考えていくか。日本の土地所有権について、呪縛的な観念が若干あるかもしれないが、21世紀はそのままではないかもしれない。

 ○法律は国柄・伝統的な国民性で成り立っている。ヨーロッパと日本の街並みの違いは、土地についての国民の考え方が相当に違っていることも大きな理由であると思う。

 ○都市の基盤的施設には、私人が立ち退かない場合、強制的に取り上げる権限を非常に古くから与えられていて、どこの国でもそのように都市は発展してきた。

 ○土地収用法についてドイツやフランスでは、それほど抵抗なく当然に適用を考えるが、日本ではほとんど使われない。使う場合は公共事業において地権者との関係が非常にこじれた場合であり、できれば使いたくない。そこに国民性が表れている。

 ○都市における住み方を考えると、街並みに合わせるための色彩の規制や景観などについては、現段階では必ずしも賛成は得られない。

 ○日本では「街並みの中で目立つ家が良い」と言う人がいるが、その考えには街並みを整えるという発想はない。街並みとの調和を考えずに目立つことのみを考える。

 ○建築基準法は良識ある人は守っているが、守っていない人が多すぎて、何もできない状態。違反建築物が多過ぎるため、取り締まれない。

 ○今までは法律で厳しくできない場合、行政指導を用いていたが、明確に法律化あるいは条例化しなければならない。しかし、実際の条例は罰則がないなど非常に緩い。

 ○建築協定も一つの方法。宅地造成して売り出す前に分譲地で建築協定を締結し、分譲時に購入者に守らせる。例えば、最低敷地面積を定め、細分化されていかないようにする。

 ○小規模なところでは、皆が合意する形で地区計画を作る。公益と個人の権利を考えた場合、個人が参加する形で計画を作ることは、日本的な所有権絶対的な観念を打破するひとつの道筋である。

 ○実際に外国の街並みを見る日本人が多くなってきているので、所有権絶対の観念について、若い人から徐々に考え方は違ってきているのではないか。土地は個人が完全に自由に使うというものではなく、すでに様々な形での公益的な制限が入っている。後はもう少し踏み込むかどうか、という時代に入りつつあるのではないか。

 ○地区計画あるいはNPOを住民参加の原則で使うということはありうる選択だと思う、最終的には、それを後押しするような形の立法が必要になってくるのではないか。

 

(3)話題提供3 『快適な都市生活のためのひとづくり』(小澤委員)

スライドを用いて持続可能な地域づくりと教育を説明。

 ○今の日本の教育にはイマジネーションとクリエイティブな力を育てる教育が遅れている。

 ○持続可能な地域づくりは、基本的に市民力や市民の主体性を育てる。

 ○日本人はどのように自分たちの地域を作るべきかわかっていない。

 ○環境教育は自然保護をする力をつけること。好奇心を喚起しながら、知識・理解やコミュニケーション能力などのスキルを身に付けさせることにより、多元的な見方ができることがとても大事。人工的な環境と自然環境とのバランスや生態系というものを考えなければいけない。

 ○日本の教育は知識伝達型・注入型の教育が主だった。それを21世紀には、探究・創造・創出・表現を重視する教育観に変わっていくだろう。

 ○様々なアクティビティの中から、子供たちが気づく、関心を持つように促す。その上で子どもたち自らが調べ、考え、そして実践していく。これにより、自分自身も変わる、あるいは社会を変えていくことができる。

 ○子どもたちには直ちにまちづくりはできないので、どのような能力をつけていくか、ということがとても大事。

 ○ドイツでは、子どもたちと一緒に校庭改善をするプロジェクトが行われた。プロジェクトの進行とともに子どもの心が癒され、そして学びの空間を自分たちで作っていった。そして、自分たちに環境を改善する力があるということに気づいた。

 ○イギリスの場合、校庭改善をするトラストを作って、造園家や建築家などがサポートしながら、子どもたちに力をつける、表現能力もつけていく、という実践が行われている。

 ○日本ではビオトープを作る場合、肝心のデザインやアイディアを出すところを大人だけでやってしまいがち。イギリスやドイツの場合は、アイディアを出すところから子どもが参加している。

 ○ボストンの子どもミュージアムは建物自体が倉庫を使ったリサイクル。様々な街や様々な暮らしがあることを、異文化体験をさせながら展開するようになっている。

 ○イギリスの環境教育の中身は、単に環境教育だけではなく、市民教育もクロスカリキュラムとして行われている。数学や国語などのメインのカリキュラムに対して、環境教育、市民教育、健康教育などがクロスカリキュラムとしてある。

 ○街ウォッチングを通して、子どもたちは小さな自然の中からも色々なものを発見していく。ここで体験・発見したことをまちづくりマップに残して、そして表現をしていく。

 ○日本のまちづくり教育について、未来をイメージしてそれを具体的な形に作っていく時、解決の道は一つではなくて、色々な発想があると理解させることも必要。

 

(4)意見交換(発言要旨のみ掲載)

〔高齢社会に関する意見〕

 ○高齢になり限られた能力しかなくても、自分らしく生きることを生活の中で追求できるのは、スウェーデンやデンマークのほうが素晴らしいという印象を受けた。

 ○スウェーデンやデンマークは理想形で、それを日本に当てはめて考えると、どこまで踏み込むかは、財政問題が非常に大きいので、国民的な議論をしなければいけない。

 ○日本の痴呆老人のための施設の中には人権を無視したようなものがある。それでは痴呆はよくならない。特養ホームは、日本では相部屋が当たり前だが、欧米先進国では、個室が基本で、相部屋があると認可されない。

〔個人の権利と公益に関する意見〕

 ○共通の価値観が持てるかどうかは重要。街の色彩の善し悪しにも影響すると感じた。

 ○公益と個人との権利のせめぎ合いのようなことも、どのようにその価値観が共有されていくか、ということが難しいと感じる。

 ○価値観を共有することは、市町村単位くらいだと合意が得やすいのではないかと思う。 ○景観について、価値観は共有できていないと感じる。それは歴史や国民性に起因する。

 ○日本は我慢を求め、人の扱いがすごく粗雑な国だと思う。

〔人づくりに関する意見〕

 ○子どもの参加は非常に重要だが、何らかの形で親子ともに参加することができないか。

 ○一般の小学生にも実際の環境共生住宅などを見て考える授業があればよい。

 ○子どもは自分が興味や関心を持った箇所を調べると、自分で学び力をつけていく。日本の教育は興味や関心を抑え込むような教育になっているが、親が力で押え込むことをしないようにできれば、子供が自分で力をつけると思う。

 ○総合的な学習時間はイギリス風のクロスカリキュラムで、教科縦割りにしない。まちづくりは、福祉問題や環境などと統合されて行われるから、横断的な学習ができる。

 ○中学・高校は家庭科が男女共修なのでそこでまちづくりを取り扱えばよい。街ウォッチングをしながら、一緒に価値観をぶつけ合って、解決の道を見いだしていくことができる。小学生なら学級新聞などを使って家庭にフィードバックすることもできる。

 ○子どもの感性や感受性を豊かなものにしたいが、学校教育だけでは限界がある。家庭と連携をとっていかなければいけない。

 ○プロセスを共有していく学習、対話型の学習も大事。デンマークでも伝統教育というものがある。

〔住民参加に関する意見〕

 ○アメリカでは2万人の小さな町であれば、140人程度の市民がボランティアで集まって、その素人集団が約4年かけて全部の都市計画のマスタープラン作りをする。

 ○日本の「参加」がアメリカ的な参加まですぐに行き着けるとは思わないが、そのためには多少の法律的なものが必要ではないか。

 ○欧米のまちづくりには、その基本の部分にキリスト教の「互いに愛し合いなさい」、「自分がしてもらいたいと思うことを人にもしなさい」という精神が常にある。

 ○行政がすべきことを自治会という名で住民に押しつけているということもよく耳にする。「コミュニティ=自治会」と考えることは時代遅れ。

 ○これまでまちづくりに取組んできた市民団体が、「今までの縦系列の流れに組み込まれたくないから、NPO法人になりたくない」と言っている。このようにまちづくりに積極的なの人たちの声が、都市計画を立案する際に届かなくなってきていることは残念。

〔その他の意見〕

 ○相続による宅地の細分化のために住環境も悪化する。今あるものがますます乱れていくことについて何かできないか。

 ○街は多くの人たちの生活や人生そのものを決めてしまうところなので、住民の生の声が建設省へ伝わるようにしておかなければならない。

 ○「都市計画の資質」や「市民力」という言葉は本当に大事な言葉だと思う。

 ○住民参加を消極的に考える自治体の職員が非常に多い。彼らのスキルを向上させるために国は何かしなければならない。

 ○今の大人が「自分たちが自分の環境を変える能力がある」と思わせるための規制緩和のような政策を是非とって欲しい。

 ○住民が発意した時に、それを実現できるコミュニティというものがどうしたらできるか、ということを是非考えて欲しい。

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第六回議事概要 (話題提供・発言要旨は、建設省の責任において要約してあります)

 

1.開 会

 

2.(1)話題提供1 『コミュニティとエンパワーメント(新しい就労と家庭・コミュニティとの調和)』 (栃本委員)

 これからの時代は「よき仕事」と「よき家庭」、「よき仕事」と「よき地域コミュニティ」を築くべきことを説明。

 団塊の世代が高齢者層に入るので、これからどのような福祉が求められるかを考えなければならない。

 「新しい就労と家庭・コミュニティとの調和」がキーコンセプト。つまり、良き仕事と家庭との調和が肝要(家庭責任、コミュニティへの責任)。

 通常の仕事ではなく、"unpaid work"が重視される。

 社会的弱者の「保護」から「サポート(自立支援)」へ、が福祉のポイント。このサポートはそれを受ける人の住む地域で行われなければならない。

 徐々に国民の意識が変化し、自分で守ろうとし始めた。

 児童、青年、働く母親、サラリーマン、障害者、高齢者など全国民が何らかの問題を抱え、力が剥奪された形になっているので、市民のエンパワーントが必要。例えば、経済的には豊かであっても、心理的、社会的、文化的には力を取られてしまっている。

 エンパワメントはその地域で、しかもフォーマル以外の仕事でなさればならない。

 住民の生活需要を何らかの形で満たしていくようなコミュニティ・サービスが必要。それはNPOなどにより行われる。

 福祉観の変化に伴い、都市生活のあり方が当然に変化してきている。

 夫婦共稼ぎでは可処分所得は増えるが、労働時間が増え、掃除などの家庭責任の時間やコミュニティ活動の時間が削減される。

 オランダモデル(1.5モデル)においては、夫婦どちらが主として働くものではなく、意図したパート就労(積極的パート勤務)がなされ、コミュニティ活動もできる。このようなことから「オランダの奇跡」とも称された。

 市場経済におけるインフォーマルな仕事(シャドーワーク)、市民社会でのコミュニティ労働と家族労働の3つが重要になる。

 主婦のエンパワメントなどにより、地域を主体的に変えていくようになった。

 市民のエンパワメントにより、高齢者や障害者なども無理ない仕事ができるようになる。

 

(2)話題提供2 『21世紀の都市生活』 (森下慶子委員)

最近の都市をめぐる新しい動きから21世紀の都市生活を展望した。

a.都市を語り合える人々の登場

 都市づくりを熱く語る人達が全国的に増えてきた。

 街についての情報に詳しい人も多い。これは街についての情報があふれているとも言える。

 海外旅行が一般化し、海外の都市を目にする機会も多いので、都市を見る目が鋭くなっている。

 今まで都市づくりに携わらなかった女性なども参加し、自由に意見を言えるようになった。

 地域間交流ができるようになった。

 黒部市では全市に亘る街づくりが行われ、非常に多くの住民が参加し、それが行政も動かした。

 アンケート調査の「もう一度生きたい町」は、国内では京都、金沢、東京の順、海外ではパリ、ニューヨーク、ベネチアの順。「行きたくない町」は、国内では名古屋、大阪、川崎の順、海外ではロサンゼルス、シンガポールの順。いずれも地域の個性など街の魅力を形成するものを有しているかどうかがポイント。

 NPOの活動は多様化している。行政はこのNPOと一緒に都市づくりを進めていかなければならない。

 社会化、すなわちオープンになってきた学会もある。

 学校もその地域に出て授業を行ないことや地域の人に授業をしてもらうなど、地域化してきた。

 まちづくり会社は株式会社や有限会社など形態は様々で、大きな役割を担っているが、小さい町では1社のみというところもある。これは良い面も悪い面もある。

 都市を真剣に考える政治家が求められる。

 市民変化は激しい。一度動き出すとその速度は速く、行政はその動きに着いていかなければならない。

b.都市空間の変換時代

 都市経営・都市運営・都市空間などでは、今まで「日本スタイル」というものがなかった。

 官・民・公の協働システムにおいて、「公」とは何かを明確にしなければならない。

 ホームページなどを利用したコミュニティ型行政では、情報量が多くなると、底の浅いものになってしまう恐れがある。

 大都市では電車やバスがより発達するので「半車社会」の都市生活になるかもしれない。

 空間の変換システムでは、価値を変えられたところが成功する。その例が早稲田商店街で、環境問題をテーマに商店街の価値を変えた。

 アリーナなど大規模空間は、維持費用などが多くかかるので、その活用を真剣に考えなくてはならない。

 面白い、楽しい、安心、美しいなどの価値観が変化してきてい。

 NPOだけでは都市づくりは無理。行政がいかに手助けしていくかが重要。

 

(3)懇 談

インフォーマル組織はNPOなど既存の組織。これらは参加している人の都合でできるもの。

 これからは、働き方は"unpaid work"を顕在化させることが重要。

 主婦は潜在的パワーを有している。コミュニティ活動に参加すれば、エンパワメントになる。

 21世紀、次世代はITが重要。ITが進歩すれば、家から一歩も出ないであらゆる用事が足せるようになるとも考えられ、社会を変えることになる。

 高齢者はITを使用すれば生活を楽しむことができ、若者は選択の幅がより広がる。また、活動などの世界も大いに広がる。

 意識ある住民がいるところにはコミュニティがうまく機能する。

 旧来の町内会が無くならない限り、本当のコミュニティはできないのではないか。行政が本来すべきことを町内会の女性がやらされる傾向がある。

 ゴミシステムがなかなか整備されないのは、男性がゴミに興味がないからではないか。

 港区のある地域では外国人ばかりが居住しているところがあり、また、別の地域では日本人コミュニティに外国人が溶け込めない場合もある。

 オランダなどでは外国人にもコミュニティに自然に入っている点は上手いと言える。日本人も都市にフレキシブルに取り入れていかなければならない。

 バーチャルなコミュニティを作ると、逆に本音で語り合えるかもしれない。

 住民の意識を変えることが非常に重要。日本は新しいものを作るのではなく、今あるものを活用し、管理することを事業化しなければならない。そうしないと、世界から置いて行かれるかもしれない。

 都市づくりには、公共事業だけでなく、市民の金も入れる必要がある。例えば、土地を買い取って行う方法には限度があり、定期借地権などの方法を活用する。

日本は学校に過大な期待をしている。子供に社会性を教えるためには、様々な年齢層の人達を集める必要がある。

 行政などはそれぞれの果たす役割が明確ではない。一方、日本人は意志を明確にしない場合があり、個人個人が意見を明確にさせなければ、行政サービスなどを受けられなくなるのではないか。

社会において、個人益のみを追求すると、それすらもマイナスになることがある。コミュニティ益も大切にしなければならない。

 職業倫理が確立された専門家は、エゴを持つ住民との関係で重要。

 「公」について話し合う場がない。冷静に話し合う場が必要で、しかも皆が他の意見を聴く姿勢が必要。

 市民の参加の段階において、行政側の認識と市民側の認識とが食い違うこともある。

 一般の人は街づくりに興味がない。それは子供の頃から、一般市民としての意識が足りないためではないか。コミュニティのあり方と関わってくる。

 

3.本懇談会のまとめについて

事務局より、素案を事務局の方で作成し次回懇談会で議論すること、各委員の発表及び議論をテーマ別にまとめること、という方針を説明し、骨子案を提示。

委員の意見)

 ありふれた言葉ではなく、新しい表現を工夫して欲しい。

 日本の30年後のイメージは明るいものばかりでない。夢や希望ばかりではなくマイナス的なものも盛り込むべき。

 

事務局案について委員の承認を得る。

 

4.建設省山本都市局長挨拶

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第七回議事概要 (話題提供・発言要旨は、建設省の責任において要約してあります)

1.開 会

 

2.議 事 (報告書案について)

 

[報告書全体について]

 タイトルは「報告」でなく「提言」にすべき。

 楽しく読めるようにビジュアルにして欲しい。

 1テーマ当たり1ページか2ページ、ページ毎にすれば見やすくなる。2ページにまたがり、余白ができた場合には、図表や写真を入れればよい。1章、2章、3章と番号をつけな方がよい。

 用語解説の(注)は、各項目の末尾に付けてはどうか。その際、例えば「ノーマライゼーションとは?」というように表記を工夫してはどうか。

 「わが国」、「国民」という堅い表現は本懇談会の趣旨には合わない。「国民」は「人々」のようなやわらかい言葉にすべきではないか。

 

[「はじめに」について]

 個人がライフスタイルを変更しない選択も認めることも重要。

 ここで掲げられている7項目(少子化、住まい…)は本文の7つのテーマと一致しないので、次の文を付け加えるべき。「この項目について協議した結果、以下の9つのテーマに絞り込むことにした。」。

 提言を提出したから次世代の都市生活に対する議論が終わりなのではなく、引き続き、まちづくりについて意見・情報交換等を積極的にやっていく旨の文章を加えて欲しい。

 建設行政やまちづくりにこれまで関わってこなかった委員が選ばれ、女性が多かった。これらの委員が自由な発想で語り合ったことを書くべき。

 本懇談会では、各委員の話題提供、議論の進め方など、全てにおいて委員の自由に発表、議論をした旨の文章を入れるべき。

 

[本文の内容について]

 自然の香りの回復」など、タイトルを工夫したことを評価する。

 「子どもをたくさん持たない夫婦が増えている」とばかりは言えないのではないか。私の周りでは3人以上の子どもを持つ人が増えている。

 景観に関する文章で、「欧米型の整然としたまちがよいのか、アジア型の雑然としてはいるが賑いのあるまちが良いのか」とありますが、欧米が整然とした景観で、アジアが賑いのある景観というのはおかしい。ニューヨークやサンフランシスコ、みんな整然としているけど、賑いがある。だから、この表現はよくない。

 個人や民間だけでなく、行政も景観を醜くしたことも書くべき。

 「まちのルールづくり」が最後のテーマになるのはいかがなものか。個の確立を目指す提言の締めくくりが「ルールづくり」というのはおかしい。

 「公益的な制限」が「まちのルールづくり」の締めくくりになっているのはいかがなものか。新しい公益の姿を皆で創り上げていくという趣旨を最後に述べるべき。

 

[「おわりに」ついて]

 「おわりに」タイトル名は、本懇談会の委員の総意を表さない。前向きのイメージが出るタイトル名にすべき。例えば、「『次世代の都市生活』に向けて」はどうか。

 次世代は必ずしも明るいとは限らないが、たとえ快適でなくても、「明るく元気に人々が主体的に取組む」旨の文章を入れて欲しい。

 都市の未来を考え続けている人がいるのが大切であることが伝わるようにして欲しい。

 

 

<報告書の取りまとめ、公表時期については座長一任が提案され、委員は全会一致で承認>

 

 

3.都市局長よりお礼の言葉

 本懇談会は、平成11年(1999年)7月に第一回会合を開催し、7回にわたり各委員の先生方から様々なテーマについての発表、そして自由なご議論をしていただきました。

 21世紀を迎える現在、次世代の都市はどうあるべきかについては、経済の視点や施設整備の視点から議論する会合は、ここ数年数多く開催されました。本懇談会においては、そのような視点ではなく、人々の目線から見て、わかりやすい、具体的な話から議論を始め、私たちの子どもたちがになう次世代の都市の具体的な姿についてご議論いただきたい。更に、ご議論の中からこれからの都市行政に活かすべきことが現れましたら、我々行政に対して御提言をいただきたいと思い、本懇談会を開催していただいたものでございます。懇談会の運営においては、委員の先生方の自由な意志と発想を大切にしたいと思い、他の懇談会や審議会とは全く違った形で開催していただきました。

 私はここを言いたい、ここが重要だと思われるテーマについて、各委員の先生方に選んでいただいてご発表いただいたところですが、それはとりもなおさず、将来の都市を考える際、委員の先生方が重要な点なので議論すべき、と認識されているテーマであったかと思います。

 本日の議論を伺うと、本懇談会のまとめがテーマごとになりましたのも、委員の先生方が選ばれた重要なテーマについて、警鐘を鳴らすと同時に、次世代の都市についての提案が盛り込まれた提言になるということで、我々としても大変ありがたいものがいただけると思っております。

座長におかれましたは、各会議において議論の進め方で大変ご苦労・ご苦心いただきました上に、最後のとりまとめにおいてもご迷惑をおかけしますが、よろしくお願い致します。

 来年1月から国土交通省に変わりますが、このご提言をいただきまして、次世代の都市のあり方、都市生活のあり方について検討し、具体的な施策につなげていきたいと思っております。

 最後に、委員の皆様におかれましては、長期間にわたりまして、大変熱心にご議論いただきましたことを厚くお礼申し上げます。

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