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下水道

旧下水道法成立から現行下水道法制定まで

 

1.旧下水道法の成立

下水の排除が良好でないと、雨水による浸水問題を起こし、停滞した汚水により環境が不衛生になり伝染病発生の原因ともなる。また都市の美観をそこない居住条件が悪くなる。このための施策として下水道がわが国に導入され、明治33年に下水道法が制定された。

この法律では、土地を清潔に保つことを目的とし、事業は市町村公営で、新設には主務大臣の認可を要することとされ、その後の下水道行政に大きな影響を与えた。法律制定と前後していくつかの都市が下水道建設に着手した。中でも、明治14年に着工した横浜のレンガ製大下水や、明治17年に着工した東京の神田下水は汚水排除も含めた本格的な下水道であり、その管渠の一部を卵形渠とするなどわが国における近代下水道の先駆となるものであった。

 

横浜のレンガ製大下水
横浜のレンガ製大下水
明治時代の下水道事業
明治時代の下水道事業

2.明治大正時代の下水道

この時期は、下水排除のみを目的とした下水道でさえなかなか進まず、事業着手都市数も少なかった。衛生環境整備の面で上水道が優先されるという財政上の事情もあり、また、下水道への国民の関心が低かったこともその原因であった。このような背景の下にあって、明治時代には5都市が、大正前半には不況対策として横浜市等11都市が着手した。このなかで単なる排除でなく汚水対策として初めて大正11年東京三河島処理場で標準散水ろ床法による処理を開始したことは特筆すべきことであった。

 

大正11年に日本で初めて標準散水ろ床法で汚水処理を開始した三河島処理場
大正11年に日本で初めて標準散水ろ床法で汚水処理を開始した三河島処理場

3.昭和初期の下水道

昭和に入るとさらに30数都市が失業対策のために下水道事業に着手した。昭和15年には約50都市に達し、下水道による排水面積26,393ha、排水人口506万人となった。

下水処理場供用開始年表
下水処理場供用開始年表

昭和の時代は、明治、大正時代に着手した都市が続々と処理場を供用開始した時代でもあった。ここで注目されるのは、1913年英国で開発された活性汚泥法がわずか17年後にわが国で採用されていることである。

また、昭和10年に下水試験法、昭和13年に放流下水の水質基準、昭和14年には工場排水を下水管に放流できる水質の許容限度が定められるなど、下水道整備が軌道に乗り、制度が整備されはじめた。しかし、戦争という外部要因によりその芽がつみとられ、以後回復のために相当の期間を要した。

4.戦後復興期の下水道

昭和21年から22年にかけて公共事業は戦災復興事業を中心に進められたが、昭和23年度からは公共下水道に対する国の財政補助も戦前と同様に行われるようになり、ようやく戦争による長い空白を経て再び下水道建設に取りかかる時代が訪れた。

東京都の例をみると、昭和24年には戦後の復興工事はほぼ完了している。これは排水設備を設置した家屋の8割が焼失したが、公共下水道そのものの被害は軽微であったことによる。25年には東京都市計画下水道が決まり、戦後の拡張計画の一歩を踏み出している。

戦後は短い停滞の期間はあったが、日本経済は順調に復興し、産業活動の活発化、人口の都市集中が進んだ。これに伴って水需要が拡大し、国の政策として水資漁の確保が急務となった。昭和21年から昭和33年までは、この水の供給問題解決に比重がおかれ、下水道は相変らず国の重点事業とならなかった。