第1節 住宅・社会資本をめぐる情勢の変化
今から50年あまり前、我が国の国土は荒廃の中にあった。戦争の残した甚大な被害に追い打ちをかけるように、台風や地震などの自然災害が当時の我が国を襲い、戦後10年間は、ほぼ毎年千人を超える死者・行方不明者が出た。また、復旧のためのセメントや鉄鋼などの資材が極度に不足していたこともあり、住宅も道路も何もかもが不足していた。こうした状況から出発して、我が国が今日ある姿になるためには、各分野における多くの先人達の膨大な努力が必要であった。そのような努力の中で成し遂げられた戦後の発展を基盤の部分で支えていたのが、住宅・社会資本であった。
我が国の住宅・社会資本の整備水準は、50年あまりにわたる整備の結果、地域や施設によって未だに立ち遅れているところはあるものの、着実に向上してきた。当初、住宅・社会資本が絶対的に不足していた時代には、行政に求められるものは比較的画一的で把握が容易であり、また、絶対的不足の中で整備効果も費用と比較するまでもなく明らかであったため、行政は迷いなく住宅・社会資本整備を進めることができた。しかし、基礎的な部分の整備が進むにつれ、整備効果に対する満足度が逓減するとともに、それ以上の水準に整備する際の国民の要求も多様化して、すべての人が満足する整備を行うことは次第に難しくなりつつある。また、今後これまでのような経済成長が期待できない中で、限られた財源を誰のためにどう使うかという点も意思決定を難しくしている要因である。
こうした時期に当たって、我が国の経済社会にも大きな変化が起きている。
バブルが崩壊した現在、我が国はバブル期に先送りしていた低成長型経済構造への移行への対応や、国際化・情報化の中で進行した国際標準化に関して待ったなしの状況に置かれている。新たな経済社会構造の構築が模索されている中で、雇用慣行の面における年功序列的な賃金体系の変化や最近の厳しい経済情勢の下での雇用不安の広がりなど、これまで個人の拠り所であった職業生活を取り巻く環境も変わりつつある。その中で、少子・高齢化、国際化、地球温暖化といった状況変化は、その影響の不確実性も手伝って悲観的にとらえられ、社会の閉塞感につながっている感がある。また、経済社会活動の基盤を支えてきた住宅・社会資本についても、少子・高齢化による投資余力の減少、バブルの影響による土地住宅市場の問題などの状況変化に対応した課題を抱えているとともに、住宅・社会資本に関する行政についても自らの役割を再認識した上で多様化するニーズへ的確に対応していくことが求められている。
しかし、こうした厳しい情勢の中でも、経済活動については状況変化を契機として地域に目を向けた新たな潮流が生まれてきている。また、少子・高齢化等の状況変化についても必ずしも悲観的にとらえる必要はなく、むしろこれを新たな社会構造構築の契機とする潮流も生まれてきている。次節ではこのような潮流をヒントに、次世代のイメージを素描する。
第2節 次世代の素描
まず、高齢者像をどのように捉えるかは様々な見解があるが、少なくとも、少子化と相まって我が国の人口に占める高齢者の割合が増大することは事実であり、この高齢者層の動静が次世代の我が国のあり方に関する鍵を握っていることは間違いない。高齢者には社会的弱者としての側面もあるが、次章以下で述べるように、一般に考えられているよりも健康であり、社会参加意欲も高く、資産も自由になる時間も持っている。したがって、今後増加が見込まれる高齢者層を社会的弱者として画一的に捉えることには問題がある。ただ、共通していることは高度成長やバブルを体験する中で、日本人が得たもの、失ってきたものを身をもって知っている世代であるということである。この意味でこれまでの経済社会に対して冷静かつ批判的な視点を持つとともに、自然や伝統といった高度成長の過程で我々の生活から疎遠になったものを見直す中から、自分の原点を取り戻そうとしている人も多いものと思われる。このようなことから、これからの高齢者は長い人生の第2ステージにおいて、個人の能力や経験を活かした自立性の高い経済社会活動や自然や伝統との関わりを指向する可能性があるのではないだろうか。また、少子化についても、労働力人口の維持の観点からは悲観的な材料ではあるが、一方で女性の自由時間の増大、受験競争からの開放による逞しく次世代を生き延びる子供を育てる教育・社会環境の創造など、プラスの側面にも目を向ける必要がある。
情報化に関しては、社会の中で様々なネットワークが拡大し、情報の共有化が進展するに従い、情報は社会経済活動にますます主体的な役割を果たすようになりつつある。地域や業種や属性を超えて情報がやりとりされることにより、情報ネットワークは単なる情報の共有を媒介する機能に止まらず、相互に情報が編集され、新たな発想を生み出すことを助けるシステムとして機能し始めている。この情報ネットワークの充実により、我が国の国土に、地域条件や組織に制約されない柔軟で機能的な連携が構築され、新たなタイプのコミュニティや事業機会が創出される可能性がある。また、集積の低さや大都市からの距離といった不利な条件を抱えていた地域社会に、今までにない発展の機会がもたらされようとしている。
また、国際化の進展により、企業の経済活動領域が拡大し、産業の空洞化等の問題が起こっているが、さらに国際的な相互依存関係が深まる中でアジア経済の変動等、国際的な経済動向が我が国経済社会の活動全体に影響を及ぼすようになっている。このような外からの影響に由来する不確実性が高まる中で、持続的安定性と自立性を求め、地域に根ざした地域循環型の経済活動が見直される可能性がある。
また、地球環境問題への対応が迫られる中で、技術的な対応に止まらず、生態系の循環の中で人間活動を見直そうとする機運が高まると考えられる。そのような中で、自然に対する理解を深め、自然に対する畏怖と自然の慈愛をより身近なものとする生活様式が求められるようになると考えられる。
以上のような次世代の素描は、いずれも現在までに現れ、指摘されている兆候に基づいて想像の範囲で描いてみたものに過ぎない。現実の姿がどのようになっていくかを現時点で予想することはなかなか困難である。このような前提の上でありうべき将来像のいくつかをまとめてみると、今後は、
へと移行する可能性があると考えられる。