コラム 三陸の過去の津波災害と高地移転  明治29年(1895年)6月15日に発生した明治三陸地震による津波の際には、高地移転は、一部の集落や個々の分散移転等限定的であった。また、時間の経過とともに危機意識が薄れ、漁業等の生活利便性を優先して被災地に戻る傾向があった。  昭和8年(1933年)3月3日に発生した昭和三陸地震による津波の際には、明治三陸地震後に現地再建した者、高地移転後に低地に戻った者や新たな低地占有者等が被害にあった。このため、昭和三陸地震からの復興に際しては、国や県の補助等により、相当広範に大規模な形で高地移転が行われた。  明治29年、昭和8年の2つの津波からの教訓  「高き住居は児孫の和楽 想へ惨禍の大津浪 此処より下に家を建てるな」 を伝える岩手県宮古市の姉吉に立つ「大津浪記念碑」  最初は元屋敷は余り甚だしく荒れ果てた為、原地に復興しようとする者もなかったと言うが、三、四年経ると誰かが一戸建ててみた。位置から言えば、漁をするにも、また耕地とて荒める川底や須賀の一部に過ぎないのであるから、便宜の点では小掛の比ではない。それに飲料水がどの程度悪質であったか、分析の内容も知らないが、一度村人に悪いと叫び出されると、矢も盾もたまらずに原位置に戻る傾向を生じた。かくして原位置に復興を遂げた村が、再び昭和8年の災害に遭っている。(山口弥一郎著「津浪と村」より抜粋)