第1節 新たな市場の開拓・拡大 ■1 インフラシステム海外展開  第1章でも見てきたように、我が国では少子高齢化に伴う人口減少による国内市場の縮小が予想される一方で、世界のインフラ需要は膨大であり、今後の更なる拡大が見込まれている。このような背景から、我が国の経済成長を支えていくためには、インフラシステムの海外展開を進めて世界の膨大なインフラ需要を積極的に取り込んでいくことが重要である。以下では、インフラシステム海外展開の状況を分析・考察する。 (1)世界のインフラ需要と国際競争 (旺盛な世界のインフラ需要)  第1章で見たように、経済協力開発機構(OECD)によると、2030年における世界のインフラ需要は年間2兆3,260億ドルに上るとされている。  このうち、鉄道、空港及び港湾の整備需要を見てみると、2015年-2030年の年平均(4,300億ドル)は2009年-2015年の年平均(2,330億ドル)から約1.8倍の伸びが見込まれている(図表3-1-1)。 図表3-1-1 世界の鉄道、空港、港湾整備需要の伸び  また、アジアのインフラ需要に注目すると、2010〜2020年の11年間で約8.2兆ドル(年平均で約7,500億ドル)が必要と推計されている注57。  このようなデータより、世界のインフラ需要は膨大であり、拡大傾向にあることがうかがえる。 (インフラ投資資金の不足)  一方で、旺盛な需要に対する資金供給の差(いわゆるインフラ・ギャップ)が、国際的な課題として認識されている注58。新興・途上国では年間4,520億ドル注59のインフラ・ギャップがあると推計される。資金不足を埋めるにしても、各国の自国資金のみでは厳しい財政事情から困難であり、民間資金の活用が必要と考えられている。 (インフラシステム海外展開の意義)  以上が世界のインフラ需要の動向であるが、我が国のインフラシステムを海外に展開することには、1)売り手(我が国)と、2)買い手(相手国)それぞれにメリットがある。 1)我が国の経済成長の実現  インフラシステム海外展開は、第1章で見たようにGDP及びGNIを押し上げ、我が国の経済成長に貢献する。整備したインフラが現地でストック効果を発揮することで、日本企業の海外進出の側面支援につながることも考えられる。  また、IoTなどの新技術を活用した市場の開拓を含め、海外の旺盛なインフラ需要を積極的に取り込むことにより、我が国企業体質の強化、価格競争力・生産性の強化につながる効果も期待される。  さらに、産業別の生産波及効果の大きさ注60を見てみると、鉄鋼(2.79)に次いで輸送機械(2.77)が2番目に大きい(図表3-1-2)注61。また、製造業以外では建設(1.95)も大きい。これらの数値は国内における需要の増加に対応するものではあるが、インフラ海外展開を通じ、こうした産業のパイが拡大することによって、国内の他産業にも多くの波及効果をもたらすことが示唆される。 図表3-1-2 産業別の生産波及の大きさ 2)相手国・国際社会への貢献  1)は売り手、つまり日本にとっての意義であった。しかし、それだけではなく、整備したインフラがストック効果を発揮することで、相手国の人々の暮らしが豊かになることも非常に重要である。  図表3-1-3のとおり、人間開発指標(HDI:Human Development Index)とGDPは、ともにインフラストックと比例関係にあることが示されている。 図表3-1-3 インフラと社会開発・経済成長との関連性  インフラは本来現地のものであり、相手国の風土、文化等を含めたニーズを踏まえ、最適なインフラシステムを提案していくことが求められる。  我が国と相手国の成長という「win-win」の関係にとどまらず、質の高いインフラの海外展開を通じて、都市問題、環境、防災等の地球規模の課題解決に貢献することが我が国の地位向上に資すると考えられる。 (海外インフラプロジェクトのリスク)  以上のような意義がある一方で、海外におけるインフラプロジェクトには特有のリスクが伴う。  まず、図表3-1-4左側のイメージのとおり、国内同様、インフラ事業は巨額の投資を要し、その投資回収に大変長い期間がかかるというリスクがある。他に、図表3-1-4右側の表のとおり、大きくは政治リスク、商業リスク及び自然災害リスクがある。例えば、インフラの場合、相手国政府が大きく関与している場合が多く、新興国においては、政府による契約違反や途中でのルール変更といった事案が多く発生する(義務違反リスク・制度(変更)リスク)。また、計画どおりに利用者が増えるかどうかという需要リスクもある。 図表3-1-4 海外インフラプロジェクトの主なリスク (インフラ市場を巡る熾烈な国際競争)  旺盛な世界のインフラ需要を巡る国際競争は熾烈を極めている。例えば、世界の鉄道車両メーカー売上高を見てみると、中国が旺盛な国内需要、高いコスト競争力、外交政策等を背景に、従前より力をもっている欧州企業(ビッグ3)を圧倒している状況である(図表3-1-5)。 図表3-1-5 世界の鉄道車両メーカー売上高(2013年) (2)「質の高いインフラ」の海外展開  我が国のインフラの最大の強みは「質の高さ」である。日本では昔から「安物買いの銭失い」という言葉で表されてきたように、少々値段が高くとも、使いやすく、長持ちし、品質の良いものを選ぶべきという考え方がある。  我が国は、2015年5月に安倍総理大臣から「質の高いインフラパートナーシップ」を発表するとともに、同年11月には、質の高いインフラ投資のための円借款手続の迅速化等の制度拡充を発表するなど、政府を挙げて質の高いインフラ投資を推進しているところである。  インフラ海外展開における我が国の「質の高さ」としては、インフラが使いやすく長寿命でライフサイクルコストが低廉であること、納期を遵守すること、環境・防災面へ配慮していること等がある。また、ハード面の高い技術力はもちろんのこと、制度構築、人材育成支援等のソフト面の取組みを併せて行うこと等も貢献している。さらに、相手国に対する円借款供与等の支援プロセスのスピードアップにあたっては、上記の「質の高いインフラパートナーシップ」に係る制度拡充を活用し、競争力強化を図ることとしている。  こうした我が国の強みを活かした「質の高いインフラ投資」を推進することには、我が国企業が海外で新たなインフラシステム受注を獲得することで日本経済の活性化につながるのみならず、相手国にとって使いやすく、長く使われるインフラの整備につながるという意義もあり、我が国として今後も取組みを一層進めていくことが重要である。 (ハードの高い技術力とソフト面の強み:新幹線〜日本の誇る高速鉄道システム〜)  日本の高速鉄道システム「新幹線」は、1964年に東海道新幹線が開業して以来、多くの優れた実績を残しており、我が国が誇るべき「質の高いインフラ」のひとつと言える。新幹線の主な優位性としては、以下のようなものがあげられる(図表3-1-6)。 図表3-1-6 新幹線の比較優位性  1)安全性:乗客の死亡事故は51年間ゼロ。地震検知システムも導入。  2)信頼性:東海道新幹線の最高運行頻度は15本/時間と高頻度運行にも関わらず、平均遅延時間は1分未満。  3)効率性:大きく軽量な車両を採用。一方でトンネル等土木構造物は小さく、建設費は安価。  また、こうした新幹線の優位性には、車両や信号といったハードの技術力はもちろんのこと、オペレーションやメンテナンス等ソフト面での優れたノウハウも大きく貢献している。  この他、新幹線の車内清掃が近年注目されている。東京駅での新幹線の折り返し時間は12分程度で、乗降車の時間を除くと、折り返しの準備作業時間はわずか7分しかない。その間にスタッフは原則1人で100席以上ある1両の座席回転、窓・テーブル・通路等の清掃、座席カバーの交換、忘れ物のチェック等をこなす。それだけでなく、列車が到着する前にはホーム際に一列に整列し、到着する列車へ一礼、さらに乗降客への一礼も欠かさない注62。こうした作業の正確さ・素早さ、そして礼儀正しさは、米CNNで「奇跡の7分間」として報道され、絶賛された。  日本の新幹線方式は、台湾を縦断する高速鉄道として海外で初めて採用され、2007年の開業以降、こうした高い安全性や信頼性を維持している。国家的プロジェクトである高速鉄道における新幹線の導入は、我が国のインフラに対する信頼の表れといえよう。台湾高速鉄道の受注においては、1999年の台湾大地震等を踏まえ、我が国鉄道システムの安全性・強靱性がポイントとなった。また、開業に当たり、台湾人スタッフに対する技術指導も行い、ソフト面でのフォローも行った。こうした我が国に対する信頼の積み重ねにより、2015年12月には、我が国とインドとの間で、ムンバイ・アーメダバード間高速鉄道に新幹線システムを導入することで合意に至った注63。さらに、高速鉄道のみならず、都市鉄道や橋梁など様々な分野において、我が国企業が信頼を得て受注に成功している。 (我が国のノウハウを受け継ぐ人材育成:マタディ橋〜コンゴと日本の友好の架け橋〜)  マタディ橋は、日本の円借款によって建設され、完成から30年以上にわたりコンゴ川唯一の橋としてコンゴ民主共和国の経済を支え続けている(図表3-1-7)。途中には、同国の政治的混乱により、日本人関係者の引き上げを余儀なくされた時期もあったが、そんな中でマタディ橋を守り続けたのが、バナナ・キンシャサ交通公団(OBEK)の職員たちだった。彼らは、現地に残された維持管理マニュアルを頼りつつ、日本に戻った関係者と連絡をとってアドバイスを受けながら、自助努力による維持管理を続けた。OBEKの職員を衝き動かしたのは、共に働き、その技術と精神を伝えてくれた日本人が去った後は自分たちが維持管理しなければ、という責任感だったという。  2013年6月、マタディ橋完工30周年記念式典が開催された際、当時の日本人関係者は自費で現地に駆けつけ、OBEKの職員と橋の上で再会して涙し、「完成したばかりのよう」と感嘆したという。  日本のインフラ整備は、人材育成や制度構築支援といったソフト面の取組みまで含めたパッケージで提案できることに強みがある。我が国企業にとってのビジネス環境整備の側面にとどまらず、構築した制度の運用やインフラが出来上がった後の維持管理、あるいは、相手国が自立的にインフラを整備・運営できるようにするための技術移転まで含めたアフターケアを行うことで、インフラの効用を最大化し、長期的な相手国の成長にもつながっていく。マタディ橋の物語は、日本のインフラ海外展開がインフラそのものを作るだけでなく、より長期的な視点から、人と人との関係や仕事への誇りまでもつくり上げ、我が国のインフラを現地に根付かせることの意義を教えてくれる。 図表3-1-7 マタディ橋と地図 (3)政府及び国土交通省の戦略・計画  インフラ海外展開に当たっては、熾烈な国際競争のなかで、民間の自己努力のみならず、トップセールスを含めて官民一体で戦略的に市場を獲得していくことが求められている。 (インフラシステム輸出戦略〜政府の戦略〜)  政府は、2013年5月に「インフラシステム輸出戦略」を決定し、2010年時点で約10兆円のインフラシステムの受注を、2020年に約30兆円に拡大することを目標と掲げており、2014年時点では受注額は約19兆円まで増加している(図表3-1-8)。 図表3-1-8 我が国のインフラ受注実績と分野別内訳 (国土交通省インフラシステム海外展開行動計画)  インフラ海外展開における国土交通省の大きな役割に鑑み、「国土交通省インフラシステム海外展開行動計画」を2016年3月に策定した。  本行動計画は、政府全体の戦略である「インフラシステム輸出戦略」に基づき、国土交通分野の計画を詳述するとともに、国土交通省が今後インフラ海外展開を更に強化していく際に重要となる以下の点を明確化したものである。 【要点1】地域・国別の取組み方針策定  各地域・各国ごとに国土交通省関係の焦点となるインフラ海外展開プロジェクトを整理し、これに基づき、より効果的なトップセールスも含めた戦略的な働きかけを実施する。ASEAN経済共同体(AEC)の発足や環太平洋パートナーシップ(TPP)協定の合意によって、今後の更なる経済成長が見込まれるASEAN地域に関しては、「絶対に失えない、負けられない市場」、まさしく主戦場として徹底的かつ最大限の努力を行うこととするなど、地域・国別の取組方針を記載し、特に各国において新たな受注を獲得する観点から、今後3〜4年間に注視すべき主要プロジェクトを明記している。 【要点2】ソフト面の取組み強化  我が国はライフサイクルコストが低廉で、使い易く、長寿命であるといったハード面のみならず、ソフト面での支援を併せて行うことが強みであることから、ハード面の整備に併せ、国際標準の獲得や、相手国の制度構築支援及びその運営等に関わる人材育成支援等ソフト面の取組みをパッケージで推し進める。 【要点3】PPP事業への参入促進  世界の膨大なインフラ需要を公共投資だけで賄うのは困難であり、民間資金の活用事例が多く見られるようになってきており、大きな事業機会となっている。このため、国土交通省では官民ファンドである株式会社海外交通・都市開発事業支援機構(JOIN)を2014年10月に設立したところであり、今後JOINを最大限活用し、民間企業の海外展開を積極的に支援していく。 【要点4】建設産業の海外展開推進  我が国建設企業の海外受注実績は、2014年度に過去最高となる1兆8,153億円を記録するなど(図表3-1-9)、我が国のインフラ海外展開に当たってのキーインダストリーの1つであり、今後も建設産業の果たす役割が大きいことを踏まえ、ビジネス環境整備やトラブル対応等の取組みを進めていく。 図表3-1-9 我が国建設企業の海外受注実績の推移 【要点5】国土交通省関連の中小企業等とその技術の海外展開支援強化  中小企業等の海外展開に向けた意欲喚起を図るとともに、海外進出のきっかけを作る等により、その潜在的需要を引き出すなど、積極的に支援していくことが重要であり、中小企業等の技術についても、大規模インフラ案件のトップセールスを行う機会に併せてビジネスマッチングを行う等の取組みを進める。 【要点6】価格や対応スピードにおける競争力向上  相手国の目線に立つことを徹底するとともに、「質の高いインフラパートナーシップ」の展開における制度拡充策を最大限活用し、価格面、スピード面での競争力を強化する取組みを進める。 【要点7】「質の高いインフラ」を効果的にアピールするためのプロモーション活動強化  インフラ海外展開に当たっては、我が国の強みである「質の高いインフラ」を相手国の政府首脳、高官、国民に対して積極的にアピールしていくことが不可欠であり、効果的かつ戦略的な広報等を進めていく。 【要点8】情報通信技術等の新技術を活用した新たな海外展開に向けた取組み  IoT、AI、センサー等の情報通信技術の進展やビッグデータの活用等の新たな技術の展開の取り込み、新交通システムや先進的なまちづくりなど、我が国が独自性、優位性を有するインフラシステムの積極的な打ち出しが重要である。 【要点9】我が国企業がグローバル企業として更に進化していくための取組み  膨大な海外のインフラ需要を更に取り込むため、我が国企業がグローバル化に対応した企業体質や事業推進体制を強化していくこと、より強力な海外戦略を明確化していくこと等が重要であり、国土交通省は「行動計画」を実行に移すとともに、より多くの民間企業が海外展開に乗り出しやすくなるような環境整備等に取り組んでいく。 注57 アジア開発銀行(ADB)(2012)「Infrastructure for Asian Connectivity」 注58 OECD(2011)「PENSION FUNDS INVESTMENT IN INFRASTRUCTURE: POLICY ACTIONS」、世界銀行「Toward an effective PPP business model : An eight-point for closing the infrastructure gap」等 注59 世界銀行(2015)「Infrastructure Investment Demands in Emerging Markets and Developing Economies」 注60 産業連関表の逆行列係数表の列和(タテ方向の合計)を指す。逆行列係数とは、ある部門に対して新たな最終需要が1単位発生した場合に、当該部門の生産のために必要とされる(中間投入される)財・サービスの需要を通して、各部門の生産がどれだけ発生するかの大きさを示す係数。 注61 鉄鋼は自部門への効果が大きい(2.79のうち2.19が自部門への効果)。 注62 遠藤功(2012)「新幹線お掃除の天使たち 「世界一の現場力」はどう生まれたか?」 注63 詳細はコラムに記載。