コラム 第1次産業革命とラッダイト運動  第1次産業革命は技術革新により大量生産の実現やコスト削減、品質の安定等、社会全体としては輝かしい側面を生み出しました。その反面、一部の労働者たちにとって不利益となる影の側面もあり、それに起因した出来事の一つがラッダイト運動(ラダイト運動)です(注)。  第1次産業革命以前の英国の織物工業地帯では手動の織機が導入されており、多くの労働者が職を得ていました。第1次産業革命により織機の機械化が進み、水力や蒸気機関を動力源とする紡績機が現れ、多くの労働者は職を失いました。技術革新による機械導入が高賃金の熟練労働者の失業と、不熟練の労働者の酷使や深夜までの労働等の労働環境の悪化を生んだと考えた労働者たちは、機械や工場建築物を打ち壊す行動に出ました。ラッダイト運動は単なる「打ち壊し」運動ではなく、労働環境の改善を求める労働者と経営者の集団交渉の形態の一つであったと言えます。  英国はこのような行動に対して最高刑を死刑とする法律を制定しましたが、ラッダイト運動は民衆の支持を受けていたため、打ち壊しは止められず、1811年から1817年の長期間にわたって続き、打ち壊しにより工場や機械破損の被害や、多数の死傷者や逮捕者が出る結果となりました。  時代は変わり現代において、ICT等の進化によって、人の手を介さずに様々なサービスを受けられる時代が到来しています。多くの人手で実施されていた仕事がICT等により自動化されることで、個人の雇用機会が次第に奪われるのではないかという懸念から、開発を阻止したり、サービスの利用を控えるという考え方があり、ラッダイト運動になぞらえて「ネオ・ラッダイト」と呼ばれることがあります。 注 機械編み機を壊したネッド・ラッド(Ned Ludd)という少年の名前が由来と言われています。