3 日米航空協議


 昭和27年の日米航空協定を基礎とする日米航空関係には、長年にわたり「参入企業数」及び「路線設定の自由度」について日米の航空企業間に不平等が存在していた。これを是正するため、51年以来断続的に協議が行われてきたが、米国が既得権の維持と追加権益の交換を強硬に求めてきたため、平等化を達成することができなかった。
 こうした状況の中、平成8年4月の合意により貨物分野における平等化が前進したことを受け、旅客分野についても協議が開始されたが、物別れに終わり双方が制裁案を発表する事態となった。日本側は事態の打開を図るため、内閣総理大臣から米国大統領に対して交渉者のレベルを上げて話し合うことを提案し、これを受け、9年1月以降11回に及ぶ次官級協議が行われた。この結果、10年1月30日に大筋で合意に達し、合意となった内容を記した文書への藤井運輸大臣とスレーター米国運輸長官による署名(3月14日)及び所要の手続きを経て46年ぶりに平等化が達成されるところとなった。
 今回の合意では、相対的に自由な権益が認められるいわゆる先発企業の数が、これまでの米国3社、日本1社から双方3社ずつとなり、路線設定の面においても、これまで日本側が厳しく制約されていた以遠権について日米の航空企業間で平等化が図られる等両国企業間で平等な競争条件が整ったことになる。
 今回の協議の過程において、日本側からの「日米の航空企業間の平等を前提とした機会の拡大」の提案に対し、米国側は路線、便数等を航空企業が自由に設定できるいわゆる「オープンスカイ協定」の締結を主張した。これに対し、我が国は、「オープンスカイ協定」は、言葉の響きとは裏腹に、独占・寡占を助長する等公正な競争条件を阻害する内容を有しており、受け入れられないとの立場をとった。特に、同協定案は世界の航空市場の約37%(旅客人数ベース)を占める米国内市場を米国企業に留保したまま約1%(同)を占めるに過ぎない日米間の国際航空市場のみを開放しようとするものであり、米国企業が両市場間で行う内部補助等を抑制しない限り公正な競争が全く期待できないこと、米国が主張する反トラスト法による救済も長年の係争を経て事後的にしか得られないこと等の日本側主張に対しては、米側も有効な反論をなしえず、また、これらの日本側主張はその後米国自身が国内の航空分野について同様の観点から政策の再検討を開始したことにより裏付けられるところとなった。結局米国側は「オープンスカイ協定」の締結を断念せざるを得なくなったが、その過程でこれらの問題点が明確化したことにより、米国から同協定締結の受入れを求められている関係諸国にも大きな影響をもたらすことになるものと考えられる。
 さらに、今回の合意では日米の航空企業間の双方について輸送力等の拡大が図られたほか、共同運航(コードシェア)の枠組みが日米間で初めて認められたため、現在世界の航空企業の間で進められている企業提携(アライアンス)の流れの中で、我が国航空企業も一層積極的な展開を行うことが可能となった。
 今後においては、この新たな合意の下で、日米の航空企業が公正で平等な競争を展開し、利用者の利便が一層向上することが期待される。


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