1 運営状況


(1) 運営路線

  わが国の国際航空事業は,昭和29隼2月,日本航空(株)が戦後はじめての国際線として,東京-ホノルル-サンフランシスコ線および東京-沖縄線を開設して以来,すでに10年の歳月をへ,現在では 〔III−8表〕のとおり,全日本空輸(株)が鹿児島-沖縄線を運営しているほかは,日本航空(株)がもつぱらその運営に当つている。

  これらの国際航空路線のうち,昭和38年度中に新規開設された路線はないが,既設路線においては,4月に東京-ホノルル-ロスアンゼルス線を1便増便したほか,7月から,沖縄線の使用機材をDC-6BからCV-880に,10月から,南回り欧州線の使用機材をCV-880からDC-8へ切り変え,また,同じく10月から,CV-880による東京-香港直航便を2便再開する等輸送力増強,国際競争力の強化を図つて来た。
  さらに,昭和39年4月には東京-ソウル線の開設が行われた。この路線の開設は,わが国のもつとも近い隣国である韓国との緊密な政治的,経済的,文化的関係の復活を,日韓国交の正常化とあいまつて側面から促進するものと期待されており,開設に当つては,日韓両国間に正常な国交関係がなく,したがつて航空協定の締結が困難な事情にあつたため,日本航空(株)と大韓航空公社間においてまつたくの民間ベースによつて開設準備が進められ,両国政府は,それぞれ相手国の航空会社の乗り入れを許可するといういわゆる行政許可の方法によつて行なわれたものである。
  このほか,6月末までに,東京-ホノルル-サンフランシスコ線を1便,東京-ホノルル線を2便,東京-香港線を2便それぞれ増便し,一方,東京-沖縄-香港線の沖縄-香港間を運休するに至つている。
  日本航空(株)は,この10年間,目ざましいテンポで路線の拡充整備を行ない,また,世界の大勢たるジェット化を達成する等機材の増強を図つてきた結果,昭和37年のIATA輪送ランキングにおいては 〔III−9表〕のとおり,IATA加盟91社中第13位にランクされるに至つている。これをみれば全世界の航空会社の中でもまれにみる急速な発展を遂げてきたといえるが,世界の国際航空の立場からみると,日本航空の受け持つ輸送上のシエアーは,ICAO統計の38年度上期実績によれば,ICAO加盟101カ国の航空会社が営む国際航空事業の総旅客人キロの約1.8%,総座席キロの約1.5%を占めるにすぎず,世界最大の国際航空会社たるパン・アメリカンの場合は,旅客人キロで17.1%座席キロで16.2%のシエアーを占めており,その差は、十数倍であるのを見れば日本航空の輸送力増強については今後なお格段の努力が払われねばならない。

(2) 輸送状況

 イ 概要

      昭和38年度における日本航空(株)の輸送状況ば 〔III−11表〕のとおりである。
      まず,運航キロは,2164万9000キロで,昭和37年度に比較して14%の増加であるが,昭和37年度の対前年度比19.1%に比較すると多少鈍化している。

      これは,主として,南回り欧州線の平年度化,太平洋線の増便および香港直行便の開設による増加があつた反面,DC-7Fによる貨物専用便を運休したことおよび大阪空港のジェット寄港が不可能なたあ,大阪〜沖縄線を減便したこと等によるものである。
      また,これを機材別にみると,昭和37年度に比較してDC-8が27%増,CV-880が13%増と大幅に増加しているが,DC-7Fの運航が取止めになつたほかDC-6Bが75%減と大幅に減少しており,国際線のレシプロ機の退潮を如実に物語つている。
      次に,旅客数についてみると,昭和37年度において若干伸び率の低下がみられたが,昭和38年度は,経済の活況および海外渡航の制限緩和等による日本人旅客の急増に支えられ,25万9730人(対前年度比32%増)と上向きの傾向を示している。しかし,外人旅客については,米国におけるドル防衛政策の一環としての自国機搭乗主義(いわゆるフライ・アメリカン)の強化,米国における観光客の国内および大西洋への再認識ムード更により根本的には,国際競争の激化によつて,日本航空(株)の伸び率の低下傾向があることは注目すべきことである。

      すなわち 〔III−12表〕にみるとおり,昭和38年度において日本人旅客ば,対前年度比37%増であるのに対し,外人旅客は,7%増と従来の増加率からすれば,非常に悪く航空国際収支上大きな問題となつている。
      また旅客人キロは,13億1573万9千人キロで,昭和37年度に比較して36%の増加となる。
      平均搭乗キロをみると,.昭和37年度には,短距離国際線である東南アジア線の旅客の急増のため,減少する結果となつたが,昭和38年度は,太平洋線北廻り欧州線等比較的長距離の旅客の増加が目立つたため,平均搭乗キロは,再び増加し5066キロメートルと前年度に比較して124キロメートル増となつている。
      また,旅客人キロを座席キロとの関連からみると,昭和38年度は座席キロが,22億2806万1千座席キロで対前年度比24%増と昭和35年度のジェット機投入以来の最低の伸び率(対前年度比35年度41%増,36年度42%増,37年度34%増)を示したが,旅客人キロは,従来は,座席キロの伸びに追いつかず常に供給過剰の激化を招いていたのに反し,昭和38年度は,対前年度比36%増と座席キロの伸び率を大幅に上回つたため,前年度とは逆に,座席利用率は,昭:和37年度の54%から59%に上り,日木航空(株)の収支改善に貢献した。
      ここで,東京国際空港における出入国旅客の動態にρいてみると 〔III−12表〕のとおり,日本航空(株)の積取比率は35年17%,36年19%,37年21%,38年24%と年々向上しているが,このうち日本人の積取比率は,昭和38年で42%(外人積取比率は18%)で自国機利用の一層の促進が必要であろう。

 ロ 旅客

      次に路線別に日本航空(株)の輸送状況をみると 〔III−13表〕および 〔III−14表〕のとおりである。
      まず,太平洋線においては,ロスアンゼルス線の増便等により,座席キロが対前年度比19%増の12億3508万2000座席キロに増加したのに対し,旅客人キロが27%増の7億4535万8000人キロと大幅に上回つたため,座席利用率は,昭和37年度の57%から,昭和38年度は,60%と向上している。
      旅客人キロが増加したのは,主として,ロスアンゼルス線およびホノルル線の増加によるものであり,それぞれ対面年度比50%増の4億3464万人キロおよび43%増の3087万8000人キロとなつている。なおロスアンゼルス線における座席利用率も63%とサンフランシスコ線(59%)に比較して高く,太平洋線におけるロスアンゼルス線の重要性が注目される。
      また 〔III−12表〕のとおり,太平洋線における日本人の日本航空利用率は,昭和38年61%と他の路線と比較してかなり高く,また,外人の積取比率も24%となつている。これは,一つには,同路線の便数が多く,運航密度が高く利用しやすいことによるものと思われる。
      日本航空(株)の国際線輸送に占める太平洋線の地位を座席キロおよび旅客人キロの路線別構成比にみると 〔III−15表〕のとおりであつて,これによれば南回り欧州線,北回り欧州線が整備されるにしたがつて,太平洋線の相対的地位は低下していることがわかるが,昭和38年度においても,旅客人キロにおいて56.6%,座席キロにおいて55.5%が太平洋線であつて,依然として,日本航空(株)の経営の中心であることに変りはない。
      北回り欧州線は,昭和37年度と比較して,座席キロがほぼ横這いであつたにもかかわらず,旅客人キロが41%増と著しい伸びを示したため,座席利用率も昭和37年度の40%から一躍56%と改善された。
      また南回り欧州線では,同路線が昭和37年10月から開設されたため,昭和38年度が非常に大きな伸びを示したようにみられるが,実際は,平年度化したものである。しかしながら,この路線においても,座席キロの伸び率よりも旅客人キロの伸び率の方が著しく,座席利用率は,昭和37年度の36%から,45%と向上している。
      東南アジア線は,10月に東京-香港直航便を運航したこと等のため,座席キロが対前年度比12%増となつたが,旅客人キロが他の路線ほど伸びずに15%増にとどまつたため,座席利用率の改善はほとんどみられなかつた。しかしながら,東南アジア線における座席利用率は,昭和37年度65%,昭和38年度66%と,他の路線よりもはるかに高い水準にある。
      先にみたように,日本航空(株)の国際線に占める東南アジア線のウエイトは,座席キロ,旅客人キロとも毎年低下する傾向にあるが,昭和38年度では,前者が16.6%後者が186%であつて,太平洋線についで日本航空(株)の主要路線である。
      また,沖縄線は,海外渡航の自由化に伴つて,沖縄の渡航地としての魅力も失なわれてきた事情もあつて漸次需要の減少する傾向にあり,すでに昭和38年度においては,前年度と比較して,座席キロで,10%減,旅客人キロで2%減となり,その相対的地位も次第に下つてきている。
      しかしながら,旅客人キロが座席キロの減少ほど落ち込まなかつたため,座席利用率は,逆に向上し,昭和38年度において61%となつている。

 ハ 貨物

      貨物については,DC-8の太平洋線就航に伴つて,太平洋線の貨物輸送は著しい供給過剰となり,し烈な競争の下にDC-7Fの運航を続けることは大きな赤字をかかえこむこととなるので,昭和38年4月にDC-7Fによる太平洋貨物便を廃止し,昭和38年度は,もつぱら,旅客機による貨物輸送を行つてきたが,38年度は,前年度と比較して,15%増の4373トン(トンキロでは19%増の3245万9000トンキロ)の輸送を行なつた。


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