2 事故の原因


  47年中の航空事故の原因としては,操縦者の操作の誤り,判断の不適切等人為的なものが多く,全事故の約67%(48年5月31日現在調査中のものを除く。)を占めている。
  主な航空事故の事故原因は,次のとおりである。
 (1) 46年7月3日,北海道横津岳付近で発生した東亜国内航空(株)所属YS-11A型機「ばんだい号」の事故については,運輸省に臨時に設置された事故調査委員会によつて調査が実施されていたが,47年12月18日調査が終了し,次のとおり調査結果が発表された。
  本事故は,同機の操縦者が,函館NDBの北方約5海里の地点上空を同NDB上空と誤認し,かつ1回の施回降下によつてハイステーシヨンを2,500フイートで通過しようとしたため,その飛行経路が西方にひろがり,この間,強い南西風によつて同機が予想以上に北方におし流されたことによるものと推定される。同地点を誤認した理由は,風,温度及び高度による修正をしなかつた社内飛行計画の函館NDBの通過予定時刻が,降下中に1分修正したにもかかわらず,更に2分遅れた結果となり,同機の操縦者がADF指針のオーバーステーシヨンの指示を相当に期待していたところへ,当時の気象状況によるADF指針の大きなふれ,又は,回転等があつたためと考えられる。
 (2) 47年5月15日,東京国際空港で発生した日本航空(株)所属DC-8-61型機の事故原因は,雨のため滑りやすくなつていた滑走路において,滑走路に正対しないまま離陸滑走を始めたこと,航空機の偏向の初動を発見するのが遅れたこと,更に偏向修正のためのステアリング及びパワーの使用操作が適切でなかつたことによるものと推定される。
 (3) 47年5月30日,北海道月形町分監山で発生した横浜航空(株)所属セスナ402A型機の事故原因は,機長が局地的悪天候に遭遇して,誤つた気象判断のもとに山岳部の地形を知らないまま,その上空の飛行を継続したことによるものと推定される。
 (4) 47年6月14日,インド・デリー空港付近で発生した日本航空(株)所属DC-8-53型機の事故については,インド政府によつて調査が実施されていたが,48年6月21日その調査結果が次のとおり発表された。
  本事故の原因は,「当該機が異常に高い降下率で進入降下していたことに運航乗務員が墜落寸前まで気付かなかつたことである。何故異常降下したのかその原因は明確でないが,もし,運航乗務員が計器指示を十分クロスチエツク(相互確認)していたら本事故は避けられたかも知れない。」と推定されている。
 (5) 47年9月24日,インド・ボンベイにおいて発生した日本航空(株)所属DC-8-53型機の事故については,インド政府によつて調査が実施されていたが,48年9月15日,その調査結果が次のとおり発表された。
  本事故の原因は,視程が低下しつつある状態下で,目視周回進入中の機長の飛行手順は不適切であり,また,アプローチ及び管制塔管制官の管制手順も不適切であつたため,JL472便はボンベイ空港滑走路09と錯覚してジエフ空港滑走路08に誤着陸したものである。
 (6) 47年11月28日,モスクワ・シエレメチエボ空港において発生した日本航空(株)所属DC-8-62型機の事故については,ソビエト民間航空省内に設置された事故調査委員会により調査が実施されていたが,48年1月17日,その調査結果が次のとおり発表された。
  本事故の原因は,同機が離陸の際,離陸安全速度(V2)に到達以降,乗員が航空機を臨界仰角以上にいたらしめ,それにより速度及び高度を喪失したものである。
  航空機が臨界仰角以上になつたのは,次の状態のいずれかの結果としてである。
 イ 飛行中誤つてスポイラを出し,それにより揚力係数の最大数値を低下させ,また,航空機の抗力を増大せしめたこと。
 ロ エンジンの防氷装置のスイツチを入れない状態で,インレツトが凍結したかもしれないため,第2又は第1エンジンが異常な作動の下で乗員による飛行機の操縦が適切に行われなかつた。(機首あげ操作をした。)


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