c被害者と家族c··-----------•ー-•ー-•ー-•ー-•ー-•ー-•ー·•ー-•ー-•ー·•ー-•ー·•ー1L.-----------・ •ー-•ー-•ー-•ー-•ー-•ー-•ー·•ー-•ー-•ー·•ー-•ー·•一な刺激を与えないといけない•••など。最近では、早期離床、早期リハが常識になりつつあると思います。事故まで元気だった家族が、いきなり寝たきりになり、それが数年も続く•••そんな現実に耐えられる人はほとんどいません。精神科医で作家の帯木蓬生(ははきぎほうせい)さんが言われた「ネガティプ・ケイパビリティ」(すぐに答えのでない事態に耐える能刀)が大事と思っています。コラム②「意識障害が長引いているご家族を介護されている方へ」全国遷延性意識障害者・家族の会代表桑山雄次,; 23 私の二男は、1995年、小学校2年生の時にスピード違反の車に撥ねられ、頭部を強打し遷延性意識障害者となりました。事故から2了年を超え障害の極めて重い方の家族会活動を始め、全国組織を結成し18年目になりました。家族会に来られた方の中には、10年以上も回復しない人がいるということに絶望を感じた、そんなに長く頑張れない、また、回復できない人が集る会には入りたくないという方もいました。障害を受け入れることはとても難しく、事故から2了年を超えた私も、患子の障害を受入れることは出来ていないと思います。(1)事故直後のこと事故直後、二男があの世とこの世の境をさまよう中、何も手が付きません。面会時間も限られ、濃厚な医療が必要で家族はほとんど手を出すことが出来ず、非常に厳しい日々でした。ともかくこの時期に必要なことは、①介護者の身体とこころの健康を保つこと、②親しい友人や親戚に助けを求めることだと思います。助けてくれたり、こころの支えになってくれる人はいると思います。また絶望しないで、⑧様々な情報を集めていくことです。この①〜⑧は、回復への長い闘いを通じてずっと変わらない3本柱だと思っています。この時期にナスバ療護施設の情報を得ることが出来ればベストです。遷延性意識障害者になるかもしれない重症者で、回復が思わしくない場合には、ナスバ療護施設で集中的なリハビリを長期間にわたり受けることができると思います。(2)事故から数か月を経過したとき第三次救命救急病院では、「救命」を終え、転院を既に言われている時期になります。この時期は、家族や周囲の方々との関わりが大事になります。特に「五感への種々の刺激」は大事です。この辺りの知識は、紙屋克子先生やナスバ療護施設の実践から学びました。遷延性意識障害者は安静第ーや寝かせたままではなく、様々また、口腔ケアは大事で、肺炎予防につながります。看護師に聴いてみて下さい。口腔ケアと職下は非常に関連が深く、口腔ケアの書籍は読まれたら良いと思います。一方で、患者の仕事や学校のことも考える時期になります。家族は「後遺症が残る」ことは考えたくありませんが、病休や休職、休学などの他に、社会復帰がどの程度可能かなども考えねばならない時期になります。ま厄患者のみならず、家族の生活のことも心配になります。意識が定かでない患者は、一般病院で発症から3か月経過後の「脱却率」(意識障害から意識を取り戻す確率)は5□10%と言われますが、ナスバ療護施設の脱却率は26%もあることがHPでも公表されています。(3)事故から3□4年経ってしまったとき「もっと治療はないのですか?」「一生、このままでしょうか?」「なぜ、この子が事故に遭わねばならなかったのでしょうか?」などの質問を受けてきましたが、残念ながら確たる回答はありません。この時期に在宅にするのか、長期療養型病院や施設を利用するのかを選ぶことになります。地元の家族会とつながることで地域の有益な情報を多く得られると思います。家族会は孤立を防ぐことをメインに活動しており、会員には施設入所の方や、合は在宅でも近々入所を考えている方もいます。在宅の場合は、市町村の障害福祉課の窓口か、介護保険を利用するなら高齢介護課の窓口に、在宅福祉サービスの申込みを行う必要があります。障害者手帳の取得が必要ですが、「手帳の取得」=「症状固定」となり「手帳の取得に抵抗がある」と言われた方が何人もいました。そのようなときは「手帳は『しばらくはこの状態が続く』ことで交付されるもので、良くなれば返せばよい。」と私は言います。少数ではありますが、良くなる方もおられました。手帳がないと車いすも全額自己負担になります。その他、利用出来るサービスを役所で確認するとよいのですが、教えてもらえないこともあるので、勉強するか家族会に聞くことになります。ナスバ介護料の請求もできます。
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