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汽船洞爺丸遭難事件

 昭和29年9月26日夜半、台風15号が北海道南端付近に達し、これに遭遇した総トン数4,337トンの青函連絡船洞爺丸(乗客、乗組員等1,314人乗船)が北海道函館港において転覆し、159人は救助されたが、乗客1,041人、乗組員73人、その他の者41人の計1,155人が死亡した。
 また、この台風により、青函連絡貨物船十勝丸、日高丸、北見丸、第十一青函丸も函館港付近で転覆、沈没(乗組員計275人死亡)するなどして、全国では、1,130余隻の船舶が被害をこうむった。
 本件については、昭和30年9月22日函館地方海難審判庁で裁決があったが、これを不服として理事官から第二審の請求があり、同34年2月9日高等海難審判庁で裁決された。
 その後、同裁決の取消しを求めて日本国有鉄道が東京高等裁判所に提訴、更に、最高裁判所に上告したが同36年4月20日上告棄却の判決があった。

函館地方海難審判理事所の調査経過
 本件の調査を担当する函館地方海難審判理事所では、発生後直ちに調査が開始された。事情聴取は本船乗組員、青函連絡船運航管理関係者、生存乗客、日本国有鉄道関係者、気象台関係者など延べ200人に対して行われ、また、作成した理事官調書は2,025ページ、収集した書類等は133点1,010ページに及んだ。更に、審判開始の申立に向けて「洞爺丸の復原性について」の鑑定を依頼した。
 こうして事件発生から62日という短期間に調査を完了し、洞爺丸二等航海士、同二等機関士を受審人とし、日本国有鉄道総裁、青函管理局長、中央気象台長及び函館海洋気象台長をそれぞれ指定海難関係人として、昭和29年11月27日函館地方海難審判庁に審判開始の申立を行った。

函館地方海難審判庁の審理経過
 申立を受けた函館地方海難審判庁では、洞爺丸のほか当日遭難した他の青函連絡船の十勝丸、日高丸、北見丸、第十一青函丸の各遭難事件を併合し、第1回審判を昭和30年2月15日開廷した。
 第1回審判では、傍聴人167人が見守るなか、関係者全員が出席(代理人出席を含む)し、早速理事官から洞爺丸と同型船の検査申請が行われるなどして進められた。
 審判は、同年4月の1か月間に8回も開廷するなど集中して行われた結果、第1回審判から5か月後の同年7月15日の第30回審判をもって結審となった。その間、証人尋問47人、同型船の検査など実地検査7回が行われた。
 裁決の言渡しは、結審から約2か月後の、本件発生から一周年を前にした昭和30年9月22日に行われたが、この第一審裁決に対して、理事官からこれを不服として第二審の請求がなされた。

審判模様
審判模様

高等海難審判庁の審理経過
 高等海難審判庁では、第一審と同様洞爺丸ほか貨物船4隻の各遭難事件を併合して審理することにし、昭和31年4月6日第1回の審判が開廷された。
 第1回審判開廷当日は、遺族、報道関係者、一般傍聴者など審判廷の収容人員を超える200人もの傍聴者があったが、その後の審判においても毎回40〜50人の傍聴者があり、事故発生から1年半余を経過した時点でも、なお本件に対する世間の関心は高いものがあった。
 審理は、71人の証人調べ、6回の実地検査のほか鑑定依頼などを行って、昭和33年4月2日結審した。第二審における審判調書の丁数は、5,520ページ、提出された証拠書類等は64点3,297ページであった。これを第一審のものと総合計すると約2万ページとなり、このほかに図書、法令集、写真等事件関係の証拠資料があって一件記録は膨大な量となった。
 第二審の裁決言渡しは、昭和34年2月9日に行われたが、裁決書は、約300ページに及んだ。

 洞爺丸遭難事件の第二審裁決の要旨は、次のとおりである。

裁決

(船舶の要目)
船種船名 汽船洞爺丸
総トン数 4,337トン
資格 第三級船
航行区域 沿海区域
機関 二連成衝動反動式一段減速装置付蒸気タービン2基
長さ 113.68メートル
15.85メートル
深さ 6.80メートル
満載喫水 4.90メートル
満載排水量 5,285トン
航海速力 15.5ノット
最大とう載人員
旅     客  一等旅客定員  69人(寝台車とう載のとき91人)
二等旅客定員 297人
三等旅客定員 843人
  計   1,209人(寝台車とう載のとき1,231人)
 船     員         128人
 その他の者          35人
  合   計       1,372人(寝台車とう載のとき1,394人)
車両積載量 19両(15トン有蓋貨車)
救命設備
救命艇 10隻 定員595人
救命浮器 45個 定員990人
救命浮環 29個
救命胴衣 1,952個

 (関係人の明細)

受審人 二等航海士 二等機関士
指定海難関係人 日本国有鉄道総裁 青函鉄道管理局長 中央気象台長 函館海洋気象台長

 (損 害)

洞爺丸 船体転覆沈没、旅客1,041名、乗組員73名、その他41名、計1,155名死亡

主文
 本件遭難は、洞爺丸船長の運航に関する職務上の過失に基因して発生したものであるが、本船の船体構造、青函連絡船の運航管理が適当でなかったこともその一因である。

遭難事実の経過
 洞爺丸は9月26日午前11時5分下り3便として函館に入航し、鉄道桟橋第1岸に係留した。
 着岸後一応の荒天準備を行い、午後2時40分上り4便として就航のため船長以下出航部署につき、途中から引き返した第十一青函丸の旅客を移乗させたうえ出航しようとしたところ、停電のため陸上の線路と車両甲板とを連結する可動橋を取り外すことができず、そうこうするうち、同3時頃船長は時機を失したとして出航を見合わせることとした。
 このため輸送指令から旅客を降ろして離岸するように指示があったが、船長は同指令に要請して旅客を降ろさずにそのまま係留を続け、前示第十一青函丸の車両も積み取り、さらに旅客も逐次乗船させた。
 函館桟橋においては、午後4時の気圧示度が985.2ミリバールで雨を伴う東風10〜15メートル、同5時には982.6ミリバールで風力は急に弱くなり、雲が切れて晴れ間も見え、一見台風の中心に入ったような様相を呈したが、その後晴れ間も消え風向は南東、南南東と次第に右転し風力も徐々に強まってきた。
 船長は同5時40分頃、出航時刻を午後6時30分と決定して発表したが、当時函館港においては、巡視船りしり、連絡船第六青函丸、第十一青函丸、北見丸、商船第六真盛丸、第四南興丸及び富貴春丸等がいずれも待機しており、青森においても連絡船渡島丸及び羊蹄丸が出航を見合わせていた。
 午後6時25分頃、洞爺丸船長は昇橋し、第二岸に係留しようとして引船5隻を使用して着岸に難渋している石狩丸を見守っていたが、どうにか同船が係留し終るのを見て午後6時39分旅客その他計1,314人、車両12両(重量約313トン)及び郵便物171個を載せ、船首水倉、第一、二番水倉を空にし、第三、四、七及び船尾水倉を満水に、第五番水倉に約105トン、第六番水倉に約15トンの養缶水を保有し、舷側水倉右舷約60トン、左舷約40トンとして、喫水船首約4.55メートル、船尾約5.05メートル、船尾における乾舷約1.75メートルで離岸し、同6時53分頃函館港第二号灯浮標を左舷に見てぎょう航し、防波堤西出入口に向かった。
 防波堤に近づくにつれ波浪が意外に荒いことが判り、船長は「これでは危いから錨を入れる。」と言って同6時55分頃西出入口を通過し、風下に著しく圧流されながら西の針路でしばらく進行し、機関を種々に使用して風上に回頭し、同7時1分函館港防波堤燈台から真方位300度0.85海里のところに右舷錨を投下し、錨鎖を6節まで延出したが錨が効かないので、さらに左舷錨を投下、左舷7節、右舷8節とした後、同7時50分頃両舷8節とした。
 投錨したころ波浪はエプロン甲板と車両甲板の後端に時々打ち上げる程度であったが、その後波高は漸次増大して午後7時半頃には船体の縦揺れに伴い船尾の車両甲板に海水をすくうようになり、海水が同甲板上を船首の方へ流れるようになった。
 午後8時過ぎ、船長は、乗組員をして車両緊締具の増締め、開口蓋閉鎖の確認とスカッパーの疎通、盤木くさび等の取片付けなどに当たらせたが、開口部の閉鎖装置の現状が良好でなかったので、これらを完全に密閉できないでいるうち、その後波浪は増大する一方で、車両甲板上へ奔入する海水の量も刻々増加し、船体の動揺に伴って流動するので作業が危険となり、同8時30分頃作業員は遂に同甲板から引き上げた。
 このようにして、同甲板上の浸水は船首側で0.3メートルにもなり、船尾は全く海面下に没し、同甲板の両舷側にある通路にまで水密扉の間隙から海水が浸入するようになった。
 また、前示開口部から機関室、缶室等へ浸水が始まり、可能な限りの処置を行ったが、次第に浸水の量が多くなり、発電機が次々に運転不能となって、ビルジの排出も不能となり、同9時50分頃左舷主機が、次いで同10時5分頃右舷主機が運転不能となった。
 船橋においては、機関を種々に使用して船首を風浪に立て極力錨位を維持しようと努めたが、風は南西となって増勢し、午後8時頃から走錨を始め、波高も平均約6メートルに達し、防波堤に当たった返し波とによって錨地附近は複雑な波の撹乱の渦中にあって、同9時過ぎに左舷側への傾斜が増大、トリミング・ポンプの操作も空しく、左舷主機停止の頃から走錨の度も早くなり風浪を左舷側から受けるようになって船体は右舷側に傾き始め、次第にその傾きが大きくなったので、同10時15分頃船長は事務長に対し、旅客に救命胴衣を着用させるよう命じた。
 午後10時26分頃本船は、函館港第三防波堤燈柱から267度0.8海里、距岸約0.6海里、水深12.4メートル底質砂の地点において、後部船尾に三回ばかり軽い底触を感じ、船体は右舷側に45度あまり傾斜し、その後船首が次第に風下に右転して圧流され、波浪の来襲する毎に傾斜が大きくなって車両が転倒し、同10時45分頃、函館港防波堤灯台から337度2,500メートルの地点に右舷側に約135度傾斜し船底を海上に現したまま海岸とほぼ船体が平行の状態で沈没した。

結 論
 本件遭難は、その原因を探究すれば次のとおりである。
 台風は、氷山及びハリケーン等とともに航海に直接危険を及ぼすものとして、条約及び船舶安全法において、これに遭遇した船舶の船長は附近の船舶及び海岸局に通報すべきことを規定されているが、このことは、船舶が条約及び法に定められた基準の構造及び設備等をしていても、台風等に遭遇するときは航海に危険が予想されるから、船長は船舶及び人命の安全につき特段の注意を要することを意味しているのである。
 洞爺丸は、車両輸送のため船尾に大開口を有し、これにしゃ浪の設備がなく、車両甲板に機械室及び缶室等に通ずる多数の諸開口を有して、その閉鎖装置は運航の実情から防水が十分出来ない特殊な構造の船舶であって、台風第15号が船舶の運航に危険が予想せられ、且つ、相当の異状性をもって函館地方に来襲する旨の警報及び情報が気象官署から発せられ、定時出航を見合わせて待機している場合、船長は船舶及び人命の安全について特段の注意を払い、台風の風浪による危険が過ぎ去ってから通常の航海に出航すべきであったのに、函館港附近において、風は順転して次第に増勢し、南々西22ないし25メートル、突風は32メートルとなり、気圧示度は低下のまま停滞して台風が通過し去ったとは認められない荒天下に、船長が多数の旅客と車両をとう載して、青森向け函館を出航した同人の運航に関する職務上の過失に基因して発生したものである。
 本船が横転沈没するにいたった直接の原因は、防波堤外に出航し、暴風及び高浪のため操船が困難となり、投錨して機関及び舵を使用し船位の保持に努力中、風浪による船体の激しい動揺と振れ回りに伴い、船尾の大開口から車両甲板に波浪が奔入して、同甲板の諸開口から同甲板下の機械室及び缶室等には多量の海水が浸入するのを防止することができず、そのため諸機関が相次いで運転不能となり操船の自由が全く奪われ、排水能力が極度に低下して、復原力を減少しつつ走錨圧流されているうち、後部船底が底触し、風浪を側方より受けるようになって、さらに多量の海水が舷しょうから浸入し、遂に復原しなくなったことにある。
 本船は、船舶安全法上沿海区域を航行区域とする第三級船の資格の船舶であって、成規の検査に合格しているので同法上何ら違反の事実はない。しかし、第三級船の構造、材料及び寸法については、同法に一定の基準はなく、管海官庁が適当と認むるところによるのであって、このことは、第三級船の安全度はその航行区域に応じた適当な運航がなされることを前提として、その船舶の安全を保持できる最低限度の保証をしているに過ぎず、いかなる気象海象において運航しても安全であることを保証しているものではない。特殊な使用目的のため航行区域に応じた適当な運航をなし得ないような使い方をするときは、船舶使用者が使用の程度に応じて必要な安全度を保持すべきである。ところで本船は船尾の大開口にしゃ浪の設備がなく、それに続く車両甲板上の諸開口の閉鎖装置は風雨密程度で足るものとしその数が多いばかりでなく縁材は低く、また閉鎖装置は運航の実情から損傷を生じ易く、良好の状態に維持することが困難であり、かつ車両を積載して荒天に遭遇するときは閉鎖が極めて困難で、荒天準備としてこれを閉鎖しても海水の浸入を防止できないような構造のものであった。しかるに本航路は、北海道と本州とを連絡する重要な航路で、その輸送要請は極めて強いものがあるため一定のダイヤによって運航され、航海の危険が予想される荒天の場合も、一般船舶のように、早期に避難せず、現実に航海が可能な限り運航を継続していたものであって、過去において本船のような構造の車両甲板上に波浪が奔入することのある気象、海象に遭遇したこともあったのであるから、本船の構造は、本航路の運航の実情から適当なものでないといわねばならね。しかして、本件遭難において、本船車両甲板上の諸開口からの浸水を防止することができなかったことは、前述したように本船の横転沈没するにいたった原因をなしているのであるから、本船の船体構造が適当でなかったことは、本件発生の一因をなすものである。
 さらに連絡船の管理部門は、本航路が特殊な輸送態勢下に、特殊な構造の船舶を使用し、また特殊な乗組交替制をとっていたのであるから、連絡船の運航の実態をは握し、その特殊な事情に応じて安全運航に必要な措置をとることができるものでなければならなかったのに、連絡船の安全運航はすべて船長に委ぬれば足りるとし、管理部門はこれに介入すべきでないとする見解をとっていたため車両とう載区画の浸水に対処する構造の現状が本航路の運航の実情から適当でないことを認識できず、事故発生の危険が予想される異常な場合における安全運航について対策の必要なことの認識を欠き、したがって安全運航につき必要な配慮及び措置をなし得るような職員の配置及び権限がその機構になく、また異常の場合における職員の非常態勢勤務及び職務権限についての何らの定めもなかった。このような連絡船の管理機構及び方針は、国が本航路を経営していたころから本件発生にいたるまで長年にわたって行なわれていたものであるが本航路の運航の実情を考えると連絡船の運航管理は適当なものではないといわねばならぬ。しかして、本件発生当時、運航管理の要職にあるものが、台風第15号の来襲の警報が発せられ、連絡船の運航に危険が予想されて函館及び青森におけるすべての連絡船が定時出航を見合わせている状況を知りながら、部下職員をして非常勤務につかせることもなく、また出勤して自ら指揮することもなく、台風の荒天下に出航せんとする洞爺丸船長に何らの援助協力も行わず全く無関心の態度をもって臨み、当直の輸送指令は、出航した本船が台風の荒天下に主機関及び発電機が止まりつつある旨の報告を受けながら、それがすでに重大な事故の発生であることを認識できなかったため、直ちに上司に報告せず、本船遭難者の上陸の報告によって初めて事故の重大さを認識して、ようやく遭難者救援の対策を講ずるにいたったものであって、このように国鉄本庁及び青函局における連絡船の運航管理が適当でなかったことは、結局本件遭難のような重大な海難を発生せしめるにいたった一因をなすものである。
 指定海難関係人青函管理局長に対し、連絡船の船体構造及び運航管理の適当でないことにつき勧告すべきであるが、本件発生にかんがみ、その対策について審議研究し、船体構造及び運航管理の改善を計っているので同人に勧告の必要は認めない。

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