汽船紫雲丸機船第三宇高丸衝突事件
宇高連絡客船の紫雲丸(総トン数1,480トン)と宇高連絡貨物船の第三宇高丸(総トン数1,282トン)とが、濃霧の中で昭和30年5月11日午前6時56分、香川県高松沖合において衝突した。
当日紫雲丸は、午前6時40分船客781人と貨車等19両を載せて高松を出航し、約10ノットの全速力で岡山県宇野に向かい、一方、第三宇高丸は、午前6時10分貨車18両を載せて宇野を出航し、約12.5ノットの全速力で高松に向かっていたもので、紫雲丸右舷船尾に第三宇高丸船首が前方から約70度の角度で衝突し、その結果、紫雲丸は沈没し、船客166人及び船長ほか乗組員1人が溺死又は行方不明となり、船客107人及び乗組員15人が負傷し、第三宇高丸は船首部に損傷を生じた。
多数の旅客を輸送する大型連絡船の海難で、死傷者の数が多かったこと、死亡した船客の多くが、婦人、子供、修学旅行の生徒達であったこと、レーダーという最新式の航海機器を装備した船舶間の事故であったことなどから、社会に与えたショックは大きなものがあった。
本件については、昭和31年1月17日神戸地方海難審判庁で裁決があったが、理事官から第二審の請求がなされ、同35年8月29日高等海難審判庁で裁決された。
神戸地方海難審判理事所の調査経過
神戸地方海難審判理事所は、早速職員を高松に派遣し、その日のうちに第三宇高丸の船体検査などを行うとともに、同船の船長以下5人の乗組員について事情聴取を行い、また、13日には高松地方検察庁との合同検査で紫雲丸の沈没地点、その状況などの実地検査を行った。
その後、関係者の事情聴取を進めるとともに、紫雲丸と同型船の眉山丸を使用して旋回圏の測定検査、沈没している紫雲丸の船体検査などを行い、これらの証拠を基に、神戸地方海難審判理事所は、審判関係人として受審人に紫雲丸次席二等運転士、第三宇高丸一等運転士兼船長、同首席二等運転士の3名を指定して事件発生から丁度1か月後の6月11日審判開始の申立を行った。
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引き揚げられた紫雲丸 |
神戸地方海難審判庁の審理経過
審判開始の申立を受けた神戸地方海難審判庁では、第1回審判を8月1日に開廷し、重ねること10回の事実審理を行って結審となったが、その間28人の証人調べ、また、実地検査3回を実施し、同31年1月17日裁決の言渡しが行われたが、当裁決に対し不服があるとして、理事官から第二審の請求が行われた。
高等海難審判庁の審理経過
高等海難審判庁においては、当時、洞爺丸他青函連絡船遭難事件が係属中でその審理に全力を挙げていたため、紫雲丸第三宇高丸衝突事件の審理に直ちにとりかかれず、ようやく昭和35年6月6日に第二審の第1回審判が開廷され、翌7月6日第3回審判が開かれて結審し、裁決言渡は、昭和35年8月29日行われ、その要旨は次のとおりである。
裁決
(船舶の要目)
船種船名 |
汽船紫雲丸 |
機船第三宇高丸 |
総トン数 |
1,480トン |
1,282トン |
長さ |
72.37メートル |
72.53メートル |
機関の種類 |
蒸気タービン |
ディーゼル式発動機 |
(関係人の明細)
受審人 |
紫雲丸次席二等運転士 |
第三宇高丸船長 |
第三宇高丸首席二等運転士 |
(損 害)
紫 雲 丸 |
右舷側外板大破口沈没、 船客164人及び船長外乗組員1人溺死、 船客2人行方不明、 船客107人及び乗組員15人負傷 |
第三宇高丸 |
船首材屈曲、 船首の外板及び舷しょう損傷 |
主文
本件衝突は、紫雲丸船長及び第三宇高丸船長の運航に関する各職務上の過失によって発生したものである。
理由
紫雲丸は、一等運転士兼船長が、船長として指揮をとり、船客781人、貨車15両、手荷物及び郵便物車4両を載せ、昭和30年5月11日午前6時40分、第8便として高松港鉄道第一桟橋を定時に発し、宇野における待合わせ時間15分間で3246列車に接続する予定で宇野に向かった。
出港に先立ち次席二等運転士は、高松桟橋無線係から、「今日は沿岸の海上では局地的な濃霧が発生するおそれがあります。視程は50メートル以下の見込みです。」との濃霧警報を受け、これを船長に報告し、同船長の命によりレーダーを用意してから船首に赴き出港配置についた。
船長は、同時43分少し前、機関用意及び出港部署を解き、次いで左舵を令し、徐々に回頭しながら高松港西防波堤燈台を左舷側60メートルばかりに通過した。宇高連絡船基準航路によると、中ノ瀬燈浮標以南の海域においては、上り便航路は高松港防波堤入口中央から0度500メートルの地点(イ点という。)に達し、それより311度の針路で同燈浮標にいたり、下り便航路はオゾノ瀬下端燈浮標を90度300メートルの地点から125度半の針路でイ点に達することになっていた。
船長は、同基準航路によらず、同時44分ごろ高松港西防波堤燈台の北微東(磁針方位、以下点で示すものは磁針方位、その他は真方位である。)約100メートルのところで北西に定針して間もなく10.8ノットの全速力で進行した。
次席二等運転士は、出港部署が解除になり昇橋してレーダーの使用を開始し、受信感度を調整して船長に渡した。同船長はレーダー・スコープをのぞき、「これなら、はっきり良く出ている」とうなづきレーダー・スコープを注視しながら指揮し、次席二等運転士は、三等運転士及び操舵手とともに船橋にあって見張に従事した。午前6時45ころ前路にあたり濃淡浮動の霧が濃く、視界が著しくしゃへいされているので、三等運転士は船長の命により霧中信号を開始した。
同時50分ころ第三宇高丸の長音1回の霧中信号を船首から少し右舷に聞き、船長の命により三等運転士が長音1回で応答した。当時レーダーによっても、第三宇高丸の映像をとらえ、その存在を知っていたが、直ちに機関を停止することなく依然全速力のまま進行し、また、無線電話によって、相手船との連絡を試みなかった。その後2回ほど第三宇高丸の霧中信号を聞き、その都度霧中信号を行って応答した。
次席二等運転士は、第三宇高丸の汽笛では相手船が右方へ替わるように感じたので、船長に「第三宇高丸は、女木島に突かけるようですね」といったところ、同船長は「そうだ」とうなづき、レーダー・スコープを依然注視していた。同時52分ころ操舵手が、女木島に並行したと報告し、間もなく濃霧の中に進入して展望が全くしゃへいされ、船長は、同時53分少し前機関用意を令し10ノットばかりの速力に落し、同時54分少し過ぎはじめて両舷機停止を令した。
このとき三等運転士は、船長の命により無線電話で第三宇高丸を呼び出そうとしたが果たさず、同時55分ころ船長はレーダーを注視したまま左舵を令し、操舵手は舵角15度の左舵をとった。同時56分少し前、レーダーについていた船長は「あらら、おかしい」とつぶやき、次席二等運転士、三等運転士、操舵手の3人は、ほとんど同時に右舷船首4点半約100メートルのところを紫雲丸の船橋のあたりに向けて進行してくる第三宇高丸を認めた。
船長は、右舵一杯を令し、同時56分右舵一杯に取り切り、船首がほぼ西微南に向いたとき、女木島217メートル頂から246度2,500メートルの地点において、第三宇高丸の船首が、紫雲丸の船尾から約23メートルのところに、前方から約70度の角度で衝突した。
第三宇高丸は、一等運転士兼船長が船長の職をとり、貨車18両を載せ、同日午前6時10分第153便として宇野鉄道第二桟橋を定時に発し高松に向かい、宇高大型連絡船下り便基準航路により、葛島水道をたどって南下した。
発航後10分ばかりして第三宇高丸は、無線電話で紫雲丸が受けたのと同様の濃霧警報を宇野桟橋長から連絡を受け、三等運転士はレーダーを用意した。
その後同時35分オゾノ瀬下端燈浮標を左舷側に通過したころ、船長は、前路に濃霧があるのを認めたので、中ノ瀬燈浮標を見ておこうと考え、女木島南端に向く120度に定針し、約12.5ノットの全速力で進行した。その後霧が次第に濃くなったので中ノ瀬燈浮標を見ておこうとしたはじめの考えをやめ、自船を基準航路に早く乗せるつもりで、同時40分130度に転針し、やがて濃霧に進入して展望がさえぎられ、霧中信号を開始したが、水手長ほか水手3名を船首に、操舵手を船橋に見張に立てたのみで、減速しなかった。船長と三等運転士とが、交互にレーダー・スコープを注視したり、霧中信号を行ったりして続航中、同時50分ころ三等運転士は、船首方向指示線上約2海里のところに紫雲丸の映像をはじめて認め、その旨船長に報告し、レーダーを同人に渡して前路の見張についた。
船長は、自らレーダーで相手船の映像を確かめ、そのとき相手船の長音1回の霧中信号を船首の方向にはじめて聞き、汽笛の音色や時刻などにより相手船が紫雲丸であると判断したが、直ちに機関を停止することなく依然全速力のまま進行し、また、無線電話によって、相手船との連絡を試みなかった。
首席二等運転士は、非番であったが、霧中信号が聞えたので、同時50分少し過ぎ自発的に昇橋し、船長の要請によりレーダーの操作にあたり、受信感度を調整のうえ、レーダー・スコープを注視したところ、船首方向指示線上で約1.5海里に紫雲丸の映像を認め、その旨船長に報告した。
船長は、紫雲丸と左舷を相対して航過しようと考え、同時52分140度に転針し、依然全速力のまま進行した。首席二等運転士はレーダー・スコープをつづけて注視し、その都度船長に報告し、同時56分少し前船首の見張人水手長が「見えた」と叫ぶと同時に、船長は、左舷船首約1点距離約100メートルのところに、船首を左転しながら自船の前路を右方に横切りつつ進行している紫雲丸を認め、機関用意を令すると同時に左舵一杯を令し、舵を一杯に取り切ったとき、前示のように衝突した。
衝突と同時に紫雲丸においては、船内電燈が全部消え、また端艇甲板の無線室後部に非常用交流発電機が備えてあったが、起動する余裕がなく、船内放送、船内電話、無線電話等は使用不能となった。
紫雲丸船長は、衝突後間もなく何等の指示を与えないまま、船橋右舷後部入口より端艇甲板に出て、損傷状況を確かめて船橋に引き返してくるとき、次席二等運転士とすれ違い、同人に「やったー」といって船橋に入り、その後その姿を見た者はなかった。
次席二等運転士は、衝突と同時に乗組員を指揮して左舷端艇のボート・ラッシングを解き、カバーを外してボートをつりあげ、ボート・チョックから少し浮いたとき、船体が急に左へ傾き、端艇の降下ができなくなったので、救命浮器を用意しようとしたところ、傾きのため救命浮器とともに海中に滑り落ちた。紫雲丸の事務長は次席二等運転士の指示どおり、船客の誘導につとめ、同船の三等運転士は衝突と同時に船橋でブザーを鳴らし、退船を知らせた。
紫雲丸の客室は上部遊歩甲板と機関室後方の車両甲板下にあるが、衝突当時船客の大部分は、上部遊歩甲板の客室及び同甲板上にいたところ、第三宇高丸の船首が紫雲丸に深く食い込んでいたので、約半数の船客は上下の遊歩甲板等から第三宇高丸へ乗り移り、残りは海中に転落し、あるいは船内から脱出し得なかった者もあった。
他方、第三宇高丸においては、船長は、紫雲丸の浸水を緩和するのと、船客の移乗を図るため、機関を全速力前進にかけ左舵一杯にとったままで紫雲丸を押し、両船一体となって移動していたとき紫雲丸が急激に左舷に傾きはじめたので機関を停止したが、午前7時少しすぎ紫雲丸は船首を150度に向けて、女木島217メートル頂から245度2,400メートルばかりの地点において、左舷に横転しながら沈没した。
船長は、衝突後直ちに救助を依頼し人命救助にあたったが、船客164人及び紫雲丸船長外乗組員1人は溺死し、船客2人は行方不明、船客107人及び乗組員15人は負傷した。
本件衝突は、紫雲丸船長が、宇高連絡船の上り便として、高松から宇野に向かうにあたり、宇高連絡船運航規程により、基準航路によらなければならなかったのに、これによらず、同航路の左側に著しく偏した針路で航行し、かつ、濃霧となった場合、海上衝突予防法第16条第1項の規定に違反して過大な速力で進行し、また、自船の前路にあたり第三宇高丸の霧中信号を聞いた場合、レーダーで同船の映像をとらえていたとはいえ、それのみでは、同船の動静について同条第2項の規定にいうところの、その位置を確かめ得たとはいえなかったのに、同規定に違反して、機関の運転を止めず、依然過大の速力で進行し、また、無線電話により相手船と連絡をとることなく、第三宇高丸に接近して船首を左転した同人の運航に関する職務上の過失と、第三宇高丸船長が、濃霧となった場合、同条第1項の規定に違反して過大の速力で進行し、また、自船の前路にあたり紫雲丸の霧中信号を聞いた場合、レーダーで同船の映像をとらえていたとはいえ、それのみでは、同船の動静について、同条第2項の規定にいうところのその位置を確かめ得たとは、いえなかったのに、同規定に違反して機関の運転を止めず、全速力のまま進行し、また、無線電話により相手船と連絡をとるなど注意して運航しなかった同人の運航に関する職務上の過失とによって発生したものである。
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