機船第拾雄洋丸機船パシフィック・アレス衝突事件
第拾雄洋丸(総トン数43,723トン)が、ライトナフサ20,831キロトン、プロパン20,202キロトン及びブタン6,443キロトンを載せ、昭
和49年10月22日サウジアラビア王国ラスタヌラを発して京浜港川崎区に向い、翌11月9日東京湾中ノ瀬航路に入り北上するうち、台湾籍の船長ほか船員
28人が乗り組み、鋼材14,835キロトンを載せ、木更津港を発してアメリカ合衆国ロスアンゼルスに向け航行中の、貨物船パシフィック・アレス(総トン
数10,874トン)と、同日午後1時37分ごろ、中ノ瀬航路の北境界線のわずか北方で、衝突した。
衝突の結果、第拾雄洋丸は、衝突箇所に大破口を生じ、衝突と同時に積荷のナフサに引火して火炎を噴き上げ、ナフサが流出して右舷側海面が火の海となり、
パシフィック・アレスも火炎を浴びて瞬時に船首楼及び船橋が燃え上がり、第拾雄洋丸は、次々と爆発が起きるなか港外に向けて引航されるうち、第二海堡付近
で座洲し、その後東京湾外に引き出されたのち、海上自衛隊による砲、爆、雷撃により同28日午後野島埼南方沖合で海沈された。
なお、本件衝突により第拾雄洋丸では、乗組員5人が死亡、7人が負傷した。
また、パシフィック・アレスは、船首部を圧壊し、甲板上構造物を焼失したがのち修理され、1人が負傷して救助されたものの、その他の乗組員28人すべてが死亡した。
本件は、海上交通の輻輳する東京湾において危険物を積載した大型船が引き起こした海難で、多くの犠牲者を出したばかりでなく、積荷から大火災となったことなどから、政府、海運、造船、石油等の関係業界はもとより、一般社会にも大きな反響を呼び起こした。
本件については、昭和50年5月23日横浜地方海難審判庁で裁決があったが、これを不服として理事官、雄洋丸船長及び補佐人(雄洋丸側)から第二審の請求がなされ、翌51年5月20日高等海難審判庁で裁決された。
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焼損したパシフィックアレス |
パシフィックアレス士官サロン |
横浜地方海難審判理事所の調査経過
本件は、大型船の海難で多数の犠牲者を出し、積荷の危険物から火災、爆発が生じるなど、社会に与えた影響が大きいところから、直ちに指定重大海難事件と
認め、特別調査本部を11月10日横浜地方海難審判理事所に設置し、当面審判開始申立予定を約1か月後の昭和49年11月末日と目標を定めて調査に着手し
た。
その頃、雄洋丸の船体は、事故から70時間過ぎた12日昼になっても、火勢は衰えず小爆発を繰り返し、一方パシフィック・アレスは、船体の火災が鎮火した後、事故から15時間(10日朝)ぶりに乗組員1人(機関士)が救助された。
調査は、関係者の事情聴取から取り組むこととし、特に事故発生後3日目の12日には、雄洋丸の乗組員38名中33名の生存者のうち30名について、理事
官総動員で質問調書を作成するなど精力的な調査を行い、その結果、11月30日には審判開始の申立を行うことができた。
これらの証拠を基に、横浜地方海難審判理事所の理事官は、関係者のうち、第拾雄洋丸船長、同三等航海士、同次席三等航海士及びおりおん一号船長の4人を
それぞれ受審人に指定し、また、雄洋丸船舶所有者及びパシフィック・アレス運航者の2人をそれぞれ指定海難関係人に指定し、更に、本件の審判には、参審員
の参加を必要と認めるから、これを請求するとして、横浜地方海難審判庁に審判開始の申立を行った。
横浜地方海難審判庁の審理経過
横浜地方海難審判庁は、昭和49年12月26日に第1回の審判を開廷し、報道関係者約30名、一般傍聴者約50名が見守るなか、受審人、指定海難関係人
及び補佐人全員出席のもとに開廷され、その後、審判の経過に伴って、横須賀港C・3係船浮標係留中のパシフィック・アレスの船体損傷状況、本牧船舶通航信
号所の横浜港内交通管制室のレーダ等についての実地検査等を行い、昭和50年4月4日開廷の第9回審判をもって結審となった。
横浜地方海難審判庁は、同年5月23日、報道関係者約50名、一般傍聴人約70名が見守るなか、裁決を言渡したが、
これに対し、雄洋丸船長、雄洋丸側の補佐人及び理事官から、不服があるとして第二審の請求が行われた。
高等海難審判庁の審理経過
高等海難審判庁では、第二審の審判を開廷するに当たって種々準備を進めているおり、第二審では船員の過失のみを問うのではなく、広く海上交通制度のあり
方についての審理を願い、安心して航海できるよう原因を明らかにして欲しいと言った趣旨の、要望書や電報が海難審判理事所に寄せられるなど、本件の第二審
審判への関心は深いものがあった。
第二審は昭和50年8月26日から審判を開始、同年12月17日結審、昭和51年5月20日に裁決言渡が行われた。
裁決
(船舶の要目)
船種船名 |
機船第拾雄洋丸 |
機船パシフィック・アレス |
総トン数 |
43,723トン |
10,874トン |
長さ |
227.10メートル |
154.10メートル |
機関の種類・馬力 |
ディーゼル機関1個・18,400馬力 |
ディーゼル機関1個・8,400馬力 |
(関係人の明細)
受審人 |
第拾雄洋丸船長 |
第拾雄洋丸三等航海士 |
第拾雄洋丸次席三等航海士 |
おりおん1号船長 |
指定海難関係人 |
第拾雄洋丸船舶所有者 |
パシフィック・アレス運航者 |
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(損 害)
第拾雄洋丸 |
船体炎上し爆発、 乗揚後湾外に引出し、 砲、 爆、 雷撃が加えられ沈没、 乗組員5名死亡、7名火傷 |
パシフィック・アレス |
船首部圧壊大破、 雄洋丸からの火炎に包まれ火災となり乗組員28名死亡、 1名入院加療 |
主文
本件衝突は、パシフィック・アレスの不当運航に因って発生したが、雄洋丸船長の運航に関する職務上の過失もその一因をなすものである。
理由
雄洋丸は、ライト・ナフサ、プロパン、ブタン合計47,476キロトンを積載し、昭和49年10月22日サウジアラビヤ国ラスタヌラを発し、京浜港川崎区に向かった。
翌11月9日伊豆大島燈台の北西方約2海里のところで、船長は、昇橋して操船に当たり、浦賀水道航路中央第1号燈浮標から180度1海里付近において進
路警戒船おりおんと会合し、巨大船であることを示す黒色円筒形の形象物及び危険物積載船であることを示す第一代表旗の下にB旗を船橋上方に掲げるととも
に、レーダ・マスト上に点滅する紅燈1個を掲げ、当直中の二等航海士のほか、三等航海士及び次席三等航海士も補佐につけ、主として二等航海士をレーダ看守
に、三等航海士をおりおんとの連絡に、次席三等航海士をエンジン・テレグラフの操作にそれぞれあたらせ、また、操舵中の甲板手のほか甲板員1人を見張りに
立たせ、正船首よりわずか右舷約1,000メートルのところにおりおんを位置させて進行した。
同1時18分ごろ中ノ瀬航路第1号燈浮標を左舷正横200メートルばかりに並航したとき、船長は、本船の港内全速力がおりおんの全速力よりも勝っている
ことを知っていたが、中ノ瀬航路では速力の制限はないし、一方通行であるから大型船が反航船として航路内に入ってくることもあるまいと考え、港内全速力の
まま続航した。
しかしながら、中ノ瀬航路で反航船に行き会うおそれはないにせよ、木更津航路からの出航船があれば、これと中ノ瀬航路北口付近で出会うことがありうるか
ら、木更津航路からの出航船の有無を確かめることが肝要であり、レーダ看守を励行するとともに、おりおんを前方1,000メートル前後のところに配して進
路警戒船として十分に活用すべきところ、船長は、レーダについていた二等航海士に対し特別の指示を与えることなく、また、減速することもなく、依然港内全
速力のまま進行し、おりおんとの距離を縮めていった。
同1時31分少し過ぎ船橋前部中央で操船指揮にあたっていた船長は、二等航海士から右舷に横切り船がある旨の報告を受け、右舷船首38度弱1.5海里ば
かりのところにパシフィック・アレスを視認し、自らコンパスでその方位を測り、次席三等航海士は、双眼鏡でのぞき、相手船が船首で波を切って航行中である
ことを確かめ、その旨を船長に報告し、船長は、汽笛長音1回を次席三等航海士に吹鳴させ、相手船の避航を期待しながら、コンパスで相手船の方位を看守して
いたところ、その方位に明確な変更が認められないと感じ、また、相手船が東京湾中ノ瀬D燈浮標にほぼ向首しており、両船の針路が中ノ瀬航路北境界線より外
方で交差しているものと判断した。
同時33分半、船長は、ようやく不安を覚え、機関半速力前進、微速力前進、同時34分半停止を令し、その間相手船においても針路を転ずるなり、機関を後
進にかけるなりして避譲の措置をとってくれるものと期待していたところ、その気配がなく、危険を感じ、同時36分少し前右舷船首間近に相手船が迫ったと
き、全速力後進に令するとともに汽笛短音3回を吹鳴し、同時36分船長自らエンジン・テレグラフを操作して重ねて全速力後進に令したが、同1時37分少し
前船首がほぼ25度を向き、中ノ瀬航路第7号燈浮標からほぼ76度290メートルばかりの地点において、パシフィック・アレスの船首が雄洋丸の右舷側前部
にほぼ直角に衝突した。
当時天候は曇で、もやがかかり、視程約2海里であった。
また、おりおんは、横須賀港久里浜を基地として進路警戒業務に従事していたものであるが、9日午後0時20分ごろ船長は、雄洋丸と会合し、浦賀水道航路
中央第1号燈浮標を左舷側500メートルばかりに通過し、同船の前方約1,000メートルのところに位置して、進路警戒にあたった。
同1時16分ごろ中ノ瀬航路第1号燈浮標を左舷側300メートルばかりに通過したとき、船長は、針路を21度に定め、雄洋丸に追いつかれる傾向にあったので、機関を全速力にかけ、約11ノットの航力で進行した。
船長は、浦賀水道航路から中ノ瀬航路に移るころ、前方に警戒すべき航行船舶の映像が見あたらないのを確かめたのち、レーダ看守を機関長にまかせたが、同
機関長は、同時30分少し過ぎ雄洋丸に追いつかれたころ、レーダ看守をやめ、もっぱら肉眼による見張を行うことにした。
同時31分少し過ぎ船長は、右舷船首38度弱1.4海里ばかりのところにパシフィック・アレスを視認し、その動向を注視して続航するうち、雄洋丸に接近
するおそれがあると感じ、パシフィック・アレスの注意を喚起するため、モーター・サイレンを連続吹鳴しながら針路を右転し、同船の前路に向け進行したが、
同船に避航の気配がなく、同時36分少し過ぎ右舷船首近距離に迫ったパシフィック・アレスと左舷正横間近の雄洋丸との衝突が避けられない状況となったと
き、自船の危険をも感じて退避するため、右舵一杯をとったところ、間もなく前示のとおり衝突した。
また、パシフィック・アレスは、鋼材14,835キロトンを積載し、9日午後0時35分木更津港を発し、アメリカ合衆国ロスアンゼルスに向かった。
水先人は、同1時17分ごろ船長に対し、使用中の海図に木更津港口第1号、第2号両燈浮標の記載が欠けていたので、この点を指摘し、「あれが木更津港口
第1号、第2号である、視界があまりよくないから注意して行くように」と助言して下橋し、同時20分ごろ木更津港第2号燈浮標から350度270メートル
ばかりのところにおいて離船した。当時船橋には船長ほか二等航海士、三等航海士及び操舵員の3人が在橋し、一等航海士ほか1人が船首の配置についていた。
同時29分少し過ぎ船長は、左舷船首ほぼ53度2海里ばかりのところに雄洋丸を視認しうる状況となり、そのまま続航すれば、中ノ瀬航路北境界線の北方わ
ずか200メートルばかりのところで相手船の針路線上を横切ることとなるが、針路を右転して同航路北口を十分隔てた迂回する針路とするなり、機関を停止し
て相手船の航過し終わるのを待つなりの措置をとらなかった。
その後相手船の方位に明確な変更が認められないまま、両船互いに近寄ったが、船長は、見張り不十分のため相手船の来航に気づかなかったか、あるいは、
レーダか肉眼で相手船の来航に気づきながら、横切り船の航法規定により、自船が保持船の立場にあると判断したか、そのいずれかの理由で避航の措置をとるこ
となく続航し、同1時36分ごろ左舷船首間近に相手船が迫ったとき、機関を全速力後進に令し、次いで右舵一杯を命じたが、機関が後進にかかった直後、前示
のとおり衝突した。
衝突により雄洋丸は、レザーブ・タンク後部にあたる右舷側外板に大破口を生じ、衝突と同時に積荷のナフサに引火して黒煙に包まれた火炎が高く噴き上げ、右舷側海面が火の海となるとともに、パシフィック・アレスの船首楼から上甲板、船橋へと火が移っていった。
雄洋丸船長は、火炎が噴き上がったのを見て、三等航海士、次席三等航海士に命じて炭酸ガス消化装置の弁を開放させ、おりおんに対し、海上保安部に連絡す
るよう依頼し、その後間もなく総員退船を命じ、乗組員は、海に飛び込み、あるいは、左舷救命艇、おりおん及び巡視艇に移乗して脱出し、乗組総数38人中、
33人は救助されたが、5人が溺死、7人が熱傷またはざ傷を負った。
船体は炎上しながら中ノ瀬付近を漂流するうち、同航路第4号燈浮標の沖で乗り揚げ、その後も爆発を繰り返しながら炎上を続けたが、第三管区海上保安本部
長から海上交通安全法第33条の規定に基づく除去命令が出され、東京湾外に引出され、海上自衛隊の艦艇及び航空機による砲、爆、雷撃が加えられ、同月28
日午後6時47分ごろ野島埼南方沖合に沈没した。
また、パシフィック・アレスは、船首部を圧壊大破し、衝突直後雄洋丸から吹き出した火炎を船首楼から上甲板全般にわたって浴び、瞬時にして全船火炎に包まれる大火災となった。乗組員のうち二等機関士は、救助されたが船長ほか27人は焼死または溺死した。
本件衝突は、パシフィック・アレスにおいて、木更津航路を出て東京湾外に向かうため、木更津港口第2号燈浮標付近を西行中、左舷船首2海里ばかりの、中
ノ瀬航路内を他船が北上していた場合、針路を右転して同航路北口を十分隔てた迂回する針路とするなり、機関を停止して他船の航過し終わるのを待つなりの措
置を講ずべきところ、その措置をとることなく、同航路北口に著しく接近する針路のまま、他船の前路に進出した不当運航に因って発生したが、船長が、巨大船
で、しかも、危険物積載船である雄洋丸を運航して、中ノ瀬航路を北上する場合、木更津航路から出航する他船があれば、中ノ瀬航路北口付近で出会うことがあ
りうるし、もやのため視界がやや狭められていたから、他船の有無を確かめるため、レーダ看守を励行するとともに、適宜減速し、進路警戒船を前方に配置して
十分活用すべきところ、これらを怠り、他船の来航に気づくのが遅れたばかりでなく、臨機避譲の処置緩慢であった同人の運航に関する職務上の過失も本件発生
の一因をなすものである。
衝突後の措置について不当な点はない。
三等航海士の所為は、レーダ看守不十分のきらいはあるが、過失と認めない。
次席三等航海士、おりおん船長、雄洋丸船舶所有者及びパシフィック・アレス運航者の各所為は、本件発生の原因とならない。
本件発生後、中ノ瀬航路第8号灯浮標から21度1,500メートルのところに木更津港沖燈浮標が設置されるとともに、木更津方面からの出航船は、中ノ瀬
航路の北端から1,500メートル以上離れて航行するよう具体的な行政指導がなされてはいるが、中ノ瀬航路北口付近における船舶航行の安全確保につき、な
お改善すべき余地がある。
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