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ヨットファルコン沈没事件

 ファルコンは、船外機を装備したヨットで、船長が1人で乗り組み、子供5人を含む11人が同乗し、クルージングを楽しむため、平成15年9月15日16時30分、滋賀県滋賀郡志賀町北浜にあるAクラブの浮桟橋を出航し、メインセールのみで左舷側から風を受け、右舷側に船体を傾斜させながら航行し、沖合に出るに従い風勢が強まり、その後帰航のためタッキングして右舷側から強い風を受けるようになったとき、左舷側に大傾斜して横倒しとなり、その後マストとセールが水没して船体が回転し、再び直立状態に戻ったが船内に多量の水が入り浮力を喪失して沈没し、船長及び同乗者5人の計6人が遺体で発見され、同乗者1人が行方不明となった。
 本件については、平成17年3月3日神戸地方海難審判庁で裁決された。

神戸地方海難審判理事所の調査経過
 神戸地方海難審判理事所は、「重大海難事件」に指定し、理事官は、ヨット保管業者及びヨットクラブ管理者を指定海難関係人に指定して、平成16年1月2日神戸地方海難審判庁に対して審判開始の申立を行った。
 
神戸地方海難審判庁の審理経過
 神戸地方海難審判庁では、7回の審理を行い、平成17年3月3日裁決の言渡しが行われた。
 裁決の要旨は、次のとおりである。
神戸地方海難審判庁の審判模様
             神戸地方海難審判庁の審判模様

裁決
(船舶の要目)
船種船名 ヨットファルコン
総トン数 2.1トン
機関の種類 電気点火機関
出力 3キロワット
全長 6.45メートル

(関係人の明細)
指定海難関係人 ヨットクラブ ヨットクラブ管理者

(損   害)
ファルコン 船長含む6人死亡、1人行方不明

湖底から引き揚げられたファルコン
        湖底から引き揚げられたファルコン

主文
 本件沈没は、最大登載人員以内であったものの移動が素早くできないほどの多数の同乗者を甲板上に乗せたばかりか、タッキング中に強風を受けた際、メインシートをカムに固定したままで、船首を風上に向けるよう舵を大きく切ることなく、大傾斜して転覆し、前部換気孔から空気が放出されるとともに、キャビン出入口からキャビン内に大量の浸水を招いて浮力を失ったことによって発生したものである。
 乗船者に多数の犠牲者が生じたのは、救命胴衣の着用とその取り扱いについて適切な指示がなされなかったことと、船体が不沈構造でなかったこととによるものである。

理由
(事実)
(1) 本件に至る経緯
 平成15年9月15日09時ごろ、ヨットクラブ代表者とヨットクラブ管理者は、営業を開始したヨットクラブにおいて、訪れる会員の対応に当たるとともに、船長から事前に依頼されていたバーベキューセットの設置を行った。
 11時ごろ船長は、ヨットクラブに車で到着し、自らが持ち込んだ食材とビールなどの飲み物を運び込み、その後三々五々集まってきたパーティ参加者と、昼食を兼ねて行われるバーベキューパーティの準備を行った。
 このパーティは、船長が中心となって手がけていた製品が完成した祝いであり、仕事仲間とその家族が招待されていた。
 パーティ参加者の中に、セールボードなどの経験者が3人いたものの、ファルコンでレースやクルージングに参加していたクルーの参加が得られなかったので、クルーザーの本格的な経験者は船長1人であった。
 ヨットクラブ代表者とヨットクラブ管理者は、船長の到着後、何度か同人と顔を合わせたが、風も弱く、気象注意報や警報も発表されていなかったので、特段の情報を提供することはなく、同船長と関係者がバーベキューパーティで飲酒するであろうことは知っていたものの、過去にも常識の範囲内で行われていたことから、特に注意するよう船長に適切に助言しなかった。
 11時過ぎ船長は、出入航届を出さないままヨットクラブ管理者に依頼して、ファルコンを湖水に降下させ、湖上の浮桟橋に係留させた。
 12時前になると船長は、パーティを開始する前に、参加者に帆走と湖上遊覧を楽しませるため、ファルコンでの1回目のクルージングを自らの操船で行うこととして、小児を含めた8人を甲板上に同乗させた。このクルージングは、ほうらい浜沖のエリ先端までは船外機を使用し、その後はメインセールとジブセールを1枚ずつ使用した帆走に移り、しばらく進んだ後、船首を風上に切り上げて風を受ける舷を変更して方向転換をするタッキングを行って、前示エリ先端付近に戻り、セールを下げ、機走して浮桟橋に戻るという30分間ぐらいの行程で、浮桟橋に着いたときには、ヨットクラブの従業員が係留用ロープを取っていた。
 1回目のクルージングを終えて、船長は、パーティを開始し、関係者とともにビールなどを飲み始めた。
 14時30分ごろ船長は、小児を含めた9人を甲板上に同乗させた2回目のクルージングを、1回目と同様の行程で行ったが、このときもヨットクラブの従業員が、ファルコンの係留用ロープを取って着桟させた。船長は、2回目のクルージングの終了後は、再び浮桟橋にファルコンを係留したままパーティを続け、なおもビールなどを飲んでいた。
 救命胴衣の使用について船長は、各回のクルージングに出発するときは、周囲の同乗者に着用するよう声を掛けたものの、その着用と取扱いについて適切な指示をしなかったので、小児2人だけが着用し、船長を含むその他の乗船者は着用することはなかった。
 ヨットクラブ代表者とヨットクラブ管理者は、ファルコンが着桟するときなどに、乗船者の多くが救命胴衣を着用していないことに気がついたが、船長に対して、乗船者全員が救命胴衣を着用するよう適切に助言することはなかった。
 16時30分船長は、1人で乗り組み、大人6人と小児5人を同乗させ、3回目のクルージングのために、ファルコンを浮桟橋から離し、バラストキール下端からの最大喫水が1.37メートルをもって、志賀町大字北浜所在の北浜三角点(標高86.32メートル)から022度(真方位、以下同じ。)320メートルの地点から船外機を使用して、針路を071度として、5.0ノットの対地速力(以下「速力」という。)で進行した。
 浮桟橋を離れたとき、船長は、ファルコンの前部換気孔、コンパニオンハッチ、垂直差し板を開放したままで閉鎖しておらず、小児2人が救命胴衣を着用していたものの、船長とその他同乗者は着用しないままであった。
 多数の同乗者は、甲板上でそれぞれ座席を確保したが、ファルコンの復原性は悪化しており、特にコックピット周りでは、同乗者が集中していたので、タッキングを行う場合に、船長と同乗者が素早く移動するのは困難な状況であった。
 16時33分船長は、北浜三角点から052度700メートルの地点に至って、ほうらい浜のエリの先端まで来たとき、ジブセールを甲板上に置いたままで、他のクルーザーに同乗した経験があった同乗者に、メインセールを揚げるよう指示して、船外機を止めた。
 ファルコンは、船首を071度に向けたまま、北風を左舷正横やや前方から受けて帆走を始め、風によって少しばかり風下に押し流されながら、090度の実効針路で、2.0ノットの速力で続航した。
 船長は、コックピット後部右舷側に位置したままで、左手でティラーを握り、右手でメインセールのシートを調整した。他のクルーザーに同乗した経験があった同乗者は、ハリヤードを限界まで巻き上げて仮固定した。
 16時40分船長は、北浜三角点から065.5度1,090メートルの地点に達したとき、船首を北東方向に向けながら、同時にメインセールのシートを引き締めつつ、風上に切り上がるクローズホールドに近い状態とし、同シートをメインシートブロックのカムに挟み込んで固定したまま、右舷側に15度ほど傾斜した状態で、少しばかり風下に押し流されながら073度の実効針路で、1.3ノットの速力で進行した。
 しばらくして、ファルコンの船首前方に、比良山系から吹き降ろした強風によって起こされた風波である、ブローラインが発生する状況となったが、ファルコンの周辺ではまだ平穏であった。
 こうして帆走中、メインセールハリヤードストッパーで仮固定していた部分の、ハリヤードの表皮が剥がれて緩んだものの、帆走しながら他のクルーザーに同乗した経験があった同乗者が、再びハリヤードウィンチを使ってハリヤードを巻き上げたあと、ドッグハウス後部左舷側にあるクリートに巻き止めることとした。
 16時49分少し前、クリートにハリヤードが巻き止められた頃、船長は、タッキングを行ってから右舷側より風を受けたまま、風下に船首を回して浮桟橋に戻るつもりで、周りの同乗者にタッキングすることを知らせた。
 このとき船長は、コックピット後部右舷側に位置したままで、同乗者は、コックピット左舷側に大人4人小児2人、コックピット右舷側に大人1人小児1人が位置し、中央部左舷側に小児2人が舷から外に脚を出す形で座り、マストの前方に大人が1人腰掛けていた。

ファルコン同乗者の配置

 16時49分船長は、ティラーを右舷方に引いて、船首を風上に切り上げ、タッキングを開始した。
 タッキングが始まっても、船長は、風上舷が右舷に替わる勢いで、大きく傾斜するときにシートを緩めて風を逃がす準備として、メインシートブロックのカムに仮止めしたシートを、事前にカムから外しておかなかった。また、コックピット周りには多数の同乗者がいたので、左舷側の同乗者が右舷側に素早く移動することはできなかった。
 タッキングを開始し、船首が風上を過ぎてメインセールが右舷側から風をはらむようになったとき、比良山系から吹き降ろす強風を受け、船首が風下に落とされると同時に、船体が左舷側へ急激に傾斜し始めることとなった。
 このとき船長は、コックピット左舷側付近に同乗者がいたためか、船首を風上に切り上げるためにティラーを素早く大幅に左舷側へ押し出すことも、メインシートをメインシートブロックのカムから外すこともできず、メインセールに掛かる強風の風圧を逃がせず、船体は左舷側に大きく傾斜したので、コックピット右舷側で小児を抱いて腰掛けていた同乗者が、小児とともにメインセール上に転落し、船体が左舷側に横倒しの状態となり、続いて乗船者が次々に水中へ転落した。
 左舷側を下にして横倒しとなったファルコンは、その船底とバラストキールに強風を受けて風下に流され始めたが、メインセールのシートがメインシートブロックのカムに固定されたままだったので、メインセールが水中に潜り込み、水中での大きな抵抗となって短時間のうちに、船尾から見ると反時計回りに船体を回転して、マストを真下に、バラストキールを上に向けた完全な倒立状態となった。このときファルコンのキャビンには、1立方メートルほどの浸水があったものの、ほとんどの空気が残っており十分な浮力を保っていた。
 なおもファルコンは、船体とバラストキールに受けた風圧とメインセールにかかる抵抗で、同様に反時計回りに船体を回転させながら、左舷側から起き上がり始めたが、左舷寄りにある前部換気孔が水面に出たとき、同換気孔から、キャビンに溜まっていた空気が勢いよく放出されるとともに、キャビン出入口からキャビン内へ浸水が始まった。
 マストが風上側から立ち上がってくるとき、船長が、バラストキール左舷側面に立って、船体を短時間で直立させようとしたものの、倒立状態から戻る間に、キャビン出入口からキャビン内に大量の水が流入していて、船体が直立する頃には船尾が沈み込み、水面が、キャビン出入口のコックピット凹部床面からの立ち上がりであるコーミングを越えていたので、さらに浸水が続いて浮力を喪失し、16時50分ファルコンは、北浜三角点から067.5度1,460メートルの地点において、マストを上にしたまま沈没した。
 当時、天候は晴で風力5の北風が吹き、本件発生直前の16時30分から21時10分まで、沈没地点を含む滋賀県北部に強風注意報が発表されていた。

(2) 本件発生後の状況
 沈没の結果、同乗者の大人2人と小児1人が、湖岸付近まで自力で泳いで救助を求め、連絡を受けて救助に向かったヨットクラブ管理者などに、大人2人と小児1人が救助されたが、船長を含む同乗者6人が、のち遺体で発見され、同乗者1人が行方不明となった。
 また、船体はその後引き揚げられ、最寄りの造船所まで運搬された。

 (原 因)
 本件沈没は、滋賀県琵琶湖において、帆走に当たって、最大搭載人員以内ではあったものの、移動が素早くできないほどの多数の同乗者を甲板上に乗せたばかりか、タッキング中に比良山系から吹き降ろした強風を受けた際、メインシートをカムに固定したままで、船首を風上に向けるよう舵を大きく切ることなく、メインセールに受けた風圧を逃がすことができないまま、大傾斜して転覆し、風下に圧流されて水中に没したメインセールが抵抗となって一回転して起き上がりながら、前部換気孔から空気が放出されるとともに、キャビン出入口からキャビン内に大量の浸水を招いて浮力を失ったことによって発生したものである。
 乗船者に多数の犠牲者が生じたのは、救命胴衣の着用とその取扱いについて、適切な指示がなされなかったことと、船体が不沈構造でなかったこととによるものである。

 (指定海難関係人の所為)
 ヨットクラブの所為は、本件発生の原因とならない。
 ヨットクラブ管理者の所為は、本件発生の原因とならない。

ヨットファルコン沈没事件参考図
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