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自動車運搬船フアル ヨーロッパ乗揚事件

 フアル ヨーロッパは、自動車3,885台を載せ、平成14年10月1日14時06分台風21号避難のため、京浜港横浜区を発し、駿河湾に向かったが、猛烈な暴風と高い波浪を受け、縦揺れが大きくなり、激しいレーシングにより機関が突然停止し、その後機関は復旧したものの、伊豆諸島大島に向けて圧流され続け、同島南東岸の浅所に乗り揚げ、自力離礁が不能となり、燃料油タンク付近の船底に亀裂を伴う凹損を生じ、燃料油の一部が海面に流出し海岸を汚染した。その後、流出油の回収及び船内に残った燃料油の抜き取り作業が行われたが、同年11月26日無人の船内から火災が発生し、船体が炎上した。
 本件については、平成16年2月6日横浜地方海難審判庁において裁決された。

横浜地方海難審判理事所の調査経過
 横浜地方海難審判理事所は、「重大海難事件」に指定し、理事官は、船長を指定海難関係人に指定して、平成14年11月1日横浜地方海難審判庁に 対して審判開始の申立を行った。

横浜地方海難審判庁の審理経過
 横浜地方海難審判庁では、参審員の参加をもって3回の審理を行い、平成16年2月6日裁決の言渡しが行われた。
 裁決の要旨は、次のとおりである。

裁決
(船舶の要目)
船種船名 自動車運搬船フアル ヨーロッパ
総トン数 56,835トン
機関の種類 ディーゼル機関
出力 14,312キロワット
全長 199.90メートル

乗り揚げたフアルヨーロッパ

(関係人の明細)
指定海難関係人 船長

(損   害)
フアル ヨーロッパ 船体は2ヶ月後火災により全損、燃料タンクの重油の大部分が流出して周辺海域で漁業被害が発生

主文
 本件乗揚は、大型で非常に強い台風が東京湾に接近する状況下、台風情報に対する解析が不十分で、早期に荒天避難する措置がとられず、避難海域に向け航行中、増勢する波浪により、機関の制御ができずに操船不能の状態に陥り、圧流されたことによって発生したものである。

理由
(事実)
@ 乗揚に至る経緯
 フアル ヨーロッパ(以下「フ号」という。)は、平成14年9月23日大韓民国ピョンテク港で今航海を開始し、同港で自動車を、26日同国マサン港で建設機械及び部品を、28日神戸港で自動車をそれぞれ積み込み、19時10分神戸港を出港したとき、船長は、平成14年台風21号(国際名ヒゴス、以下「台風」という。)の情報を気象ファクシミリによって初めて知り、その後海図に台風の位置を定期的に記入させていた。
 船長は、29日名古屋港に寄港し、自動車を積荷中、フ号の動静予定として京浜港横浜区(以下「横浜港」という。)での着岸は10月1日午前中、出航予定時刻は同日17時00分との電子メールを運航者の日本子会社から受信した。
 9月30日09時00分船長は、最終の積地である横浜港の港外に到着し、荷役待ちのため錨泊したのち、台風の中心が10月1日真夜中ごろ東京湾を通過するとの予報を知り、台風の予想進路と荒天避難の航海計画を検討した結果、同日17時に出航しても避難するために十分な時間的余裕があると考えた。
 しかしながら、9月30日15時発表の台風予報図によると、10月1日15時には台風が駿河湾を通過する予想進路となっており、9月30日21時発表の同予報図では予想進路がやや東寄りになって相模湾に向かい、速度も速まっており、10月1日21時の予報位置は北緯33.2度東経138.7度に達し、暴風域が伊豆半島及び伊豆諸島大島(以下「大島」という。)にかかる状況となっていた。
 船長は、横浜港沖合に停泊中、台風が東京湾に向け接近する状況となっていることを知ったが、駿河湾に向かい
ヒーブツーなどで避航することを計画し、荒天海域での自動車専用船の操船性能について考慮しないまま、予定時刻に出航しても、自船の速力と台風の現在位置などから避難海域に至るのに十分な時間があると考え、台風情報に対する解析を十分に行わなかったので、台風が増速して予想より早く接近する状況に気付かず、また、暴風域に巻き込まれて操船不能の状態に陥ることがないよう、着岸を中止して10月1日早朝に錨地から直接避難海域に向けて出航するなど、早期に荒天避難の措置をとらず、同日08時42分水先人に嚮導させて大黒ふ頭T−6に着岸した。
 09時ごろ船長は、運航者の日本子会社から、台風接近により、港内停泊中の船舶は14時までに港外へ避難するよう、京浜港長の勧告が出される予定との電話連絡を受け、出航時刻を14時00分とすることに同意した。また、同人は、午前中に来船した運航者の日本子会社の関係者から、東京湾内は避泊船で満杯であると聞いたこともあり、駿河湾に荒天避難すると伝え、避難経路として洲埼沖合から計画針路を200度とし、竜王埼東方を4海里ばかり離して航過したあと、大島南方沖合を西進して避難海域に至る航海計画を立てた。
 フ号は、13時30分積荷役を中止し、船長ほかフィリピン人23人が乗り組み、自動車など3,885台の計7,688.5トンを載せ、海水バラストをほぼ一杯の状態とし、船首8.75メートル船尾9.00メートルの喫水で、嚮導のため東京湾水先区水先人及び横須賀水先区水先人を乗せ、14時06分横浜港を発し、駿河湾に向かった。
 14時33分東京湾水先区水先人が横浜航路を出航したあたりで下船し、船長は、その後、横須賀水先区水先人に嚮導させて浦賀水道航路に向け南下し、15時39分浦賀水道航路南口に至り、同時43分同水先人を下船させたとき、機関を回転数毎分105にかけ、19.2ノットの全速力前進を令し、このころ風力6の南寄りの風で波高5メートルばかりの中、洲埼西方沖合に向け航行した。
 船長は、16時00分剱埼灯台から090度(真方位、以下同じ。)2.9海里の地点を通過し、一等航海士を補佐に、甲板手を手動操舵に、甲板員1人及び甲板実習生を見張りにそれぞれ当たらせ、台風接近のため二等機関士ほか機関部員2人が機関当直に就き、自ら操船指揮に当たり、同時27分洲埼灯台から298度4.7海里の地点に達したとき、機関を同一回転数のまま、針路を200度に定め、当て舵左舵5ないし15度をとり、増勢した風力9の東寄りの風と7メートルばかりの波浪により、5度右方に圧流されながら、平均14.8ノットの速力(対地速力、以下同じ。)で進行した。
 17時00分フ号は、伊豆大島灯台から071度11.4海里の地点に至ったころ、台風の右半円の暴風域内に入り、雨が断続的に降り続き、南東ないし東寄りの風が更に強まり、風速50ないし75ノットで時折90ノットの突風も伴い、波浪が9メートルばかりに高まり、強風により船体が右舷側に傾斜した状態で続航した。
 フ号は、17時30分伊豆大島灯台から099度8.5海里の地点に達したころ、東寄りの風がますます強まって風速75ノットで連吹し、大きく縦揺れと横揺れを繰り返しながら、甲板には常時海水が打ち上げ、機関回転数が低下して65から80回転の間を上下し、平均7.9ノットの速力で、一層右方に圧流されながら211度の実効進路で進行した。
 18時00分フ号が、竜王埼の北東方3.4海里の地点を航行していたころ、台風の中心位置は、大島の南西方27海里付近にあり、中心気圧955ヘクトパスカル、最大風速80ノットで、やや勢力を弱めながらも、暴風域南東側100海里北西側60海里の範囲をもって、速度を33ノットと加速しながら北北東に進んでいた。
 フ号は、猛烈な暴風と更に高まった10メートルばかりの波浪を受け、縦揺れが大きくなり、激しい
レーシングにより機関回転数が急激な上下動を繰り返していたところ、18時10分竜王埼灯台から067度2.3海里の地点で、機関が過回転を起こして突然停止し、船長は、一等航海士に対し、すぐさま船橋の機関遠隔装置により機関を再起動させたが、その後回転数がなかなか上がらず、そのころ台風の中心が急速に接近して気象状況及び海面状態は一層悪化し、船体の前進力が失われ、左舵35度を取っていたものの、船体制御ができなくなって操船不能の状態に陥り、フ号は、大島南東岸に向け、240度の方向に2.5ノットの速力で圧流され始めた。
 船長は、大島南東岸への乗揚の危険が切迫していることを感じ、在橋中の二等航海士に5分毎に船位を記入するよう指示し、18時15分ごろ機関操作を機関室に切り替えさせ、機関の出力を上げるよう指示していたものの、船体が波浪などに翻弄され、レーシングが頻繁に起きる状況では機関回転数を上げることができず、同時30分フ号は、かろうじて機関の回転数毎分65となっていたが、速力が0ノットで、船首が150度を向いたまま圧流された。
 その後、フ号は、左舵一杯をとっていたものの、強風と波浪により圧流され続け、19時00分竜王埼灯台から139度570メートルの地点において、フ号の船首が150度を向いて、その船尾が水深約8メートルの浅所に乗り揚げた。
 当時、天候は雨で風力12の東南東風が吹き、波浪の高さは10メートルで、潮候は下げ潮の末期であった。
 間もなく、フ号は、波浪などの影響により、船体が反時計回りに旋回して北方に移動し、竜王埼灯台から043度275メートルの地点で、底質が岩の海底に、船首が007度を向いて船体が静止した。
 乗揚の結果、船底外板に破口などを生じて機関室に浸水し、舵板が二つに分断され、プロペラなどが損傷した。また、燃料油タンクの重油などが周辺海域に流出した。

A 乗揚後の措置等
 船長は、乗揚後直ちに機関を停止して遭難信号を発信し、19時30分ノルウェー王国オスロにあるフ号の船舶管理会社に乗揚事故、船体及び乗組員の状態について、衛星電話を使用して報告した。22時ごろ付近にいた護衛艦を経由して救助を求め、翌2日05時00分海上保安庁のヘリコプターがフ号の上空に到着し、06時35分乗組員16名を吊り上げて救助し、14時48分残り8名が同様に救助され、フ号の船体は放棄された。

B 流出油の状況及び周辺漁業への影響
 乗揚後、船底の燃料油タンクから大部分の重油が流出し、10月2日以降、毎日、乗揚地点の周辺海域、竜王埼、波浮港口など大島南岸付近の海岸に浮流油及び油膜が観察されたが、船内燃料油の瀬取り作業の結果、機関室内の残油はほとんど抜き取られ、10月27日以降は流出油量が極端に減少し、波浮港内への侵入はなくなったものの、火災の鎮火後、フ号が船骸状態となった後も油汚染が続いた。
 乗揚による漁業被害としては、小型定置網、採貝、採藻、イセエビ刺網及び一本釣の各漁業が波浮港周辺で行われていたことから、本件乗揚による海面及び海底占有、油流出、鉄片の散乱及び海底移動などによる磯根漁場の破壊により、大島漁業者(波浮港・野増・元町の各漁業協同組合と組合員)に、放流貝死滅、定置網及び前示漁業の休漁損害、漁場復旧損害、漁獲減少損害などが発生した。


 (原 因)
 本件乗揚は、大型で非常に強い台風が伊豆諸島南方洋上を北上して東京湾に接近する状況下、横浜港沖合に停泊中、台風情報に対する解析が不十分で、早期に荒天避難する措置がとられず、夜間、大島東方沖合を避難海域に向け航行中、暴風域での増勢する波浪により、レーシングを生じて機関の制御ができないまま、船体の前進力が失われて操船不能の状態に陥り、大島南東岸の浅所へ圧流されたことによって発生したものである。

 (指定海難関係人の所為)
 船長が、横浜港沖合に停泊中、大型で非常に強い台風が東京湾に向けて接近する状況を知った際、台風情報に対する解析が不十分で、早期に荒天避難する措置をとらなかったことは、本件発生の原因となる。
 船長に対しては、勧告しない。

自動車運搬船フアル ヨーロッパ乗揚事件参考図
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