日本の重大海難のページへ  トップページへ
油送船ダイヤモンドグレース乗揚事件

 ダイヤモンドグレースは、原油257,042トンを積載し、船首19.39メートル船尾19.85メートルの喫水をもって、アラブ首長国連邦のダスアイランド港を発し、京浜港川崎区の京浜川崎シーバースに向かい、平成9年7月2日浦賀水道航路南方沖合で水先人が乗船し、警戒船2隻を配置してきょう導しながら、浦賀水道航路を通過後、東京湾中ノ瀬西端の浅所に乗り揚げた。
 乗揚の結果、約1,400メトリック・トンの原油が流出した。
 本件については、平成9年12月25日横浜地方海難審判庁で裁決された。
事件後、揚荷中のダイヤモンドグレース
事件後、揚荷中のダイヤモンドグレース
 
横浜地方海難審判理事所の調査経過
 横浜地方海難審判理事所では、本件を「重大海難事件」に指定し、ダイヤモンドグレース号の乗組員、きょう導中の水先人をはじめ船舶管理会社や関係団体等の事情聴取を行い、ダイヤモンドグレース号の船体や損傷した油タンク内実地検査を行って、平成9年8月21日横浜地方海難審判庁に対して審判開始の申立てを行った。
長崎港に錨泊中のダイヤモンドグレース 油タンク内実地検査模様
長崎港に錨泊中のダイヤモンドグレース 油タンク内実地検査模様
     
横浜地方海難審判庁の審理経過
 横浜地方海難審判庁は、参審員の参加を決定して7回にわたって審理し、平成9年12月25日裁決の言渡しが行われた。
 裁決の要旨は、次のとおりである。

裁決
(船舶の要目)
船種船名 油送船ダイヤモンドグレース
総トン数 147,012トン
機関の種類 ディーゼル機関
出力 21,917キロワット
全長 321.95メートル

(関係人の明細)
受審人 水先人
指定海難関係人 船長

(損害)
ダイヤモンドグレース 船底に亀裂及び破口を生じ、原油1,400メトリック・トンが流出した

主文
 本件乗揚は、針路の選定が適切でなかったことに因って発生したものである。

理由
(事実)
 ダイヤモンドグレース(以下「ダ号」という。)は、ペルシャ湾と本邦間の原油輸送に従事する便宜置籍・混乗船で、船長ほか日本人4人とフィリピン人20人が乗り組み、原油257,042トンを積載し、船首19.39メートル船尾19.85メートルの喫水をもって、平成9年6月14日午前2時(現地時刻)アラブ首長国連邦のダスアイランド港を発し、京浜港川崎区の京浜川崎シーバースに向かった。
 船長は、翌7月2日午前6時45分(日本標準時、以下同じ。)ごろ伊豆大島東南東方沖合に達したとき、昇橋して操船の指揮にあたり、同8時から船橋当直者の三等航海士1人を操船補佐に、操舵手1人を操舵にそれぞれ配置し、浦賀水道航路南口の南方3海里ばかりの水先人乗船地点に向け、徐々に減速しながら進行した。
 同9時船長は、船首をほぼ浦賀水道航路南口に向け、船首尾とも19.54メートルの喫水をもって、速力を約8ノットに減じ、剱埼灯台から70度5.5海里ばかりの地点で、青葉丸から水先人を乗船させ、同人に操船要目などを記載したパイロットカードが操船用コンパス近くに置いてあることを告げ、同人が同カードに目を通す時間もそこそこに操船を委ねた。
 ところで、水先人は、喫水18メートル以上の船舶のきょう導はこれまでにダ号を含めて8隻であったが、東京湾中ノ瀬(以下「中ノ瀬」という。)西側海域を航行するのはダ号が2回目で、当日の横須賀港の潮汐を基に、中ノ瀬航路第5号灯浮標の到着予想時刻午前9時45分ごろに相当する同航路付近の潮位35センチメートル(以下「センチ」という。)を求め、同航路の水深を21.35メートルと算出し、次いでパイロットメモにあたり、水深21.35メートルの許容喫水は12ノットのとき18.53メートルまでとなることを読み取り、同航路の北上を断念した。
 また、水先人は、東京湾中ノ瀬A灯浮標(以下、灯浮標の名称については「東京湾中ノ瀬」を省略する。)とB灯浮標とを結ぶ方位線が355度で、20メートル等深線が同方位線から西方に約200メートル張り出していることも、20メートル等深線がダ号にとって浅所となることも知っており、更に、浦賀水道航路北口付近からの計画進路について、同航路北口の北航路中央付近において、浦賀水道航路第6号灯浮標(以下、灯浮標名については「浦賀水道航路」を省略する。)に並航したところで右転を開始し、船位を左方に偏位させながら針路を355度に定め、中ノ瀬各灯浮標を2ケーブルないし3ケーブル離して北上する進路を基準としていた。
 船長は、喫水が17メートル以上の大型船で中ノ瀬西側海域を航行した実績がこれまでに8回あり、A灯浮標とB灯浮標の間に中ノ瀬の20メートル等深線が張り出していることについて、具体的には知らなかったが、同等深線の張り出した西端の東方に水深約13メートルの浅所が存在していることを認識しており、また、浦賀水道航路北口からの計画進路で水先人を乗船させていないとき、同航路北口の北航路中央付近において、針路を349度に定め、B灯浮標を約1,000メートル離すようにしており、本件時も関係海図に349度の針路線を記載していた。
 水先人は、みおかぜを浦賀水道航路内の進路警戒業務に、青葉丸を進路警戒業務にそれぞれ従事させ、同航路内を同航する船舶の交通の流れに乗せることができるよう、増速に時間を要することを見込み、速力約13ノットを目途に上げるため、直ちに船長に対し、いったん航海全速力とする旨を伝えた。
 これを受けて、船長は、機関制御室に増速する旨を連絡し、その後、機関回転数が64回転となったとき、約13ノットの速力であることを水先人に伝えたところ、同人からこの速力を維持する旨の意向を聞いて、テレグラフレバーを同回転のところに止めて続航中、安全管理マニュアルの狭水道航行手順書等に従って、スタンバイ・エンジンの予定を余裕をもって機関長又は当直機関士に連絡すること、船首に人員を配置すること、音響測深機を作動させ連続して測深する態勢をとること及び必要に応じて船橋配置の増員を配慮することなどを行わずに進行した。
 同9時17分ごろ水先人は、浦賀水道航路に入航し、左舷方にはみおかぜを、右舷方には青葉丸をそれぞれ約0.5海里前方に配置して、約12.6ノットの速力で同航路を北上し、同時45分ごろ中央第4号灯浮標と中央第5号灯浮標との中ほどに達したとき、同航路北口の北方0.5海里ばかりのところに、東西に接近して並んだ2隻の漁船を視認し、みおかぜを急行させ、両漁船に対し水路を開ける依頼をするよう指示した。
 間もなく、水先人は、みおかぜから両漁船間を航行できる状況となる旨の報告を受け、東方に向かった東側の漁船と西方に向かった西側の漁船との間に向け、緩やかな右回頭を行いながら北上中、そのころ中ノ瀬西側海域北方から南航船群が続々と南下しているのを認め、いずれ同西側海域でこれらの各船舶と互いに左舷を対して航過することを予想し、両漁船間を通過するのにわずかな右回頭惰力をつけた針路で進行した。
 同9時55分ごろ水先人は、第2海堡灯台から316度2,700メートルばかりの地点で、第6号灯浮標を右舷側約200メートルに離して航過し、計画進路線から右偏していることを認めたものの、355度を操舵手に指示し、みおかぜの進路警戒業務を解き、船長に港内半速力とするよう伝えたところ、同人から時間がかかる旨を聞かされ、ほぼ正船首約0.5海里に青葉丸を先導させ、1分間に1度ばかりの右回頭をしながら北上を続け、同時57分ごろ第2海堡灯台から324度3,400メートルばかりの地点に達したとき、針路が355度に整定された状況で続航した。
 同9時58分ごろ水先人は、左舷船首5度2,750メートルばかりに南下中の中国船YOUDA28(以下「Y号」という。)を認めたとき、同船の船尾方に向けて左転し得る状況となったが、同一針路のままでも、中ノ瀬西側海域における制限水域の影響を受けないまま何とか同浅所を替わして北上できるものと思い、同船に後続して南下中のペネローペ(総トン数約10,000トン、水先人きょう導中)及びコンテナ船キルステン・マルスク(総トン数約80,000トン、水先人きょう導中)にも気を取られ、速やかに左転を命じず、Y号の船尾方に向かう350度に転針する指令を発して針路を適切に選定することなく進行した。
 このころ、船長は、自らの予定針路である349度から右偏し、中ノ瀬西端付近の水深約13メートルの浅所に接航する針路となったまま航行していることを認めたが、付近海域の状況を熟知している水先人に操船を任せておけば大丈夫と考え、同人に対し左転して同浅所を離す針路とするよう要請しないまま、機関の回転数がスタンバイ・フルまで落ちる時間の見通しなどについて、機関制御室との電話連絡などに当たっていたところ、同10時1分半ごろY号が左舷側約450メートルのところを通過した。
 同10時2分ごろ水先人は、A灯浮標を右舷側約200メートルに離して並航したころ、船長からスタンバイ・エンジンが整えられた旨を聞き、京浜川崎シーバースまでの残航程を考慮して機関の回転数を極微速力前進に落とすよう同人に伝えた。
 水先人は、きょう導を始めてから自ら舵角指示器を確かめず、船長ほか乗組員から操舵状況についての情報も得られないまま、A灯浮標に並んだころからダ号が海底傾斜の影響を受け、船体が右舷側に吸引され、かつ、船首が左回頭モーメントを受けることにより、操舵手が左転を抑えようとし、舵を右舵一杯に繰り返しとって、保針に努めていることにも、ダ号が更に浅所に寄せられる進路となって進行していることにも気付かず続航中、同10時3分半ごろペネローペが左舷側約550メートルのところを航過していた。
 こうして、ダ号は、右方に2度ばかり吸引されながら357度の進路となって進行中、同10時4分第2海堡灯台から338度5,900メートルばかりの地点において、船首を355度に向けたダ号の右舷船首部船底が、原速力のまま、同灯台から339度6,100メートルばかりの中ノ瀬西端にある底質砂混じりの泥の浅所に乗り揚げた。
 当時、天候は晴で風力5の南西風が吹き、潮候は上げ潮の初期で、潮高は約50センチであった。
 船長は、乗揚の衝撃を感じ、右舷ウイングに出て船尾方を見たとき、ダ号がほぼ原速力のまま北方に進行中、プロペラ放出流の中に多量の油が浮流しているのを認め、水先人にその旨を知らせ、一等航海士に対し油タンクの異常の有無を確認するように指示し、間もなく一等航海士から1番、2番及び3番の右舷各タンクのアレージ表示及びタンク内圧力に異常がある旨の報告を受け、横浜海上保安部に本件発生を報告した。
 積載原油は、F83横置隔壁右舷船底付近の損傷部から船外へ流出したが、2番右舷タンク船底部から海水が流入すると同時に同隔壁及びF75横置隔壁の右舷船底部付近の損傷部から積載原油が空積であった2番右舷タンクに入り、1番、2番及び3番の右舷各タンク内部圧力と船外の圧力が均一となったところで、原油の流出は止まった。
 その後水先人は、横浜海上保安部の指示により、ダ号の操船を行って、午前10時40分蛸根灯標から67度1.5海里ばかりの地点に錨泊した。
 乗揚の結果、1番右舷タンクには、右舷後部船底外板F83横置隔壁付近の湾曲部分に長さ約3メートル幅約5センチのき裂及び同所の船底部に長さ約4メートル幅約5センチのき裂を、2番右舷タンクには、F83横置隔壁下部付近に破口及び凹損、各フレームの船底横材の変形並びに船底外板の船底縦材に沿っての波状の凹損、F75横置隔壁下部湾曲部外板のき裂及び曲損を、1番右舷タンクの衝突隔壁後方1メートルばかりの、右舷側船底部及び船底から船側部に至る箇所から3番右舷タンクにかけて長さ約165メートル幅約16メートルの凹損をそれぞれ生じた。
 本件後、京浜川崎シーバースにおいて、社団法人日本海事検定協会及び財団法人新日本検定協会による積荷原油の検量が行われ、約1,400メトリック・トンの原油流出が判明した。
 ダ号は、揚荷終了後、造船所において、船体外部から、き裂部及び破口部へのウェッジの打込み、特殊接着剤による防水加工及び防水補助ロールの取付け、大きなき裂端部にき裂進展防止用ダブラープレートの水中溶接による取付けなど仮修理を行い、長崎港で仮修理の一部手直しを行った後、シンガポールの造船所に回航して本修理が施工された。

 (原 因)
 本件乗揚は、京浜川崎シーバースに向け、東京湾の中ノ瀬西側海域を北上する際、針路の選定が不適切で、中ノ瀬の20メートル等深線西端付近の浅所に近寄る針路で進行したことに因って発生したものである。
 運航が適切でなかったのは、船長が水先人に中ノ瀬西端付近の浅所を離すよう要請しなかったことと、水先人が同浅所から離れる針路にしなかったこととによるものである。

 (受審人等の所為)
 水先人が、京浜川崎シーバースに向けダイヤモンドグレースをきょう導中、東京湾の中ノ瀬西側海域を北上する場合、東京湾中ノ瀬A灯浮標と同B灯浮標とを結ぶ線の西方に水深20メートルの等深線が200メートルばかり張り出し、ダイヤモンドグレースにとって浅所となること及び浦賀水道航路北口を出航するとき計画針路線から右偏していたことを知っていたのであるから、同浅所に近寄らないよう、YOUDA28の船尾方に向けて350度を指示するなど、同浅所から離れる針路を選定すべき注意義務があったのに、これを怠り、同一針路のままでも、中ノ瀬西側海域における制限水域の影響を受けないまま何とか同浅所を替わして北上できるものと思い、中ノ瀬西側海域を順次南下する船舶と左舷を対して航過する状況に気を取られ、同浅所から離れる針路を選定しなかったことは職務上の過失である。
 船長が、水先人のきょう導のもと、東京湾の中ノ瀬西側海域を京浜川崎シーバースに向かって北上中、針路が中ノ瀬西端の浅所付近に接航する状況となったことを認めた際、水先人に対し、同浅所を離す針路とするよう要請しなかったことは本件発生の原因となる。
油送船ダイヤモンドグレース乗揚事件参考図
日本の重大海難のページへ  トップページへ