第1章 最近の海難審判庁の動き 7/11
 平成15年3月19日から4月4日までの17日間、ワシントンのNTSB本部で行われた、海事部門の事故調査官に対する基礎研修を受講しました。それまでは、航空事故を主体とした研修期間中に海事部門の研修を挟む形で行われていましたが、海外の海事事故調査機関からの受講希望もあることから、今回初めて、海事部門を中心とした研修が組まれたものです。
 研修項目は、NTSBに関する規則、調査方法、ケーススタディを混じえたヒューマンファクターやサバイバルファクターなどの概念を含む海難原因分析手法、メディア及び被害者の家族との対応方法、報告書作成手法などです。
 講義は、NTSB全般にかかわるものについては同アカデミーの講師が、海事関係については、同部門の調査官が講師を務めました。
 受講者はNTSBの新人調査官(ケーブル敷設船の船長経験者)と私の2人でしたが、他の調査官も興味のある講義については参加し、講師との間で活発な意見交換がなされて各調査官の意見の相違も垣間見ることができ、一層、興味深いものとなりました。
高等海難審判庁調査官 伊 東 由 人


 NTSB本部はランファントプラザの一角にあるビルディングの4階から6階を占め、私は同ビルディング内にあるホテルに投宿。スミソニアン博物館まで歩いて5分、ポトマック河畔のフィッシュマーケットにも近く、観光には申し分のないところでした。同プラザには、ドラッグストアー、飲食店などのある地下街がありますが、平日は夜7時に、週末は殆どの店が閉店してしまい、近くに食堂もないことから、夕食は一品のみでも必要量の2倍は出てくるホテルのレストランで食べることを余儀なくされ、車社会のアメリカで車をもっていない者のみじめさ(?)を痛感しました。
 イラク戦争が始まるかも知れないという緊迫した状況の中、成田を発ち、ワシントン着陸直後に乗客の中から拍手が起きるなど、そのころテロに対する不安は皆感じていたようです。到着後数日して戦争が始まりましたが、その週末からポトマック河畔の桜の開花を待たず桜祭りが始まりました。戦場が遠いせいか、市民生活に特段変わったこところは見受けられませんでしたが、桜がほぼ満開となった3月末に雪混じりの雨が降りました。桜が散り始めたころ桜祭りをタクシーの窓から見ながらダレス空港へ。イラク側のさしたる抵抗もなく戦況が推移したせいか成田着陸時にはもう拍手は起きませんでした。その時には知りませんでしたが、SARSの影響と思われる、空港ロビーでマスクをかけた人や、多数のマスクの入ったダンボール箱を持っている人を見かけました。激動する世界の波紋を肌で感じた20日間でした。

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       表紙     海難レポート2003概要版
メッセージ-CONTENTS-外国船の海難-最近の海難審判庁の動き-海難審判庁のしごと-裁決における海難原因-海難分析-資料編
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