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中川 満(なかがわ みつる)

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最終更新日:2010年4月12日

野外博物館合掌造り民家園 前事務局長
中川 満(なかがわ みつる)

主な経歴

1945年
岐阜県大野町生まれ
1963年
岐阜県立長良高等学校卒業
1969年
青山学院大学経済学部商学科卒業
1969年
日本通運株式会社入社
2000年
日本通運株式会社退職        
(財)白川村緑地資源開発公社        
野外博物館合掌造り民家園」 事務局長
2005年
「野外博物館合掌造り民家園」離職
2006年
(財)花の都ぎふ花と緑の推進センター        
花フェスタ記念公園

カリスマ名称

「伝承文化と生活体験を観光資源にするカリスマ」

選定理由

世界遺産白川郷(萩町集落)と隣接する「野外博物館民家園」において、村外の新しい視点から、それまでオフシーズンであった「冬季の白川郷」の観光化、古き伝承文化と農村風景の再現、自然観察や農業体験などのイベントを実践することで、平成14年度に昭和47年開業以来最高の入り込み客数を実現するとともに、村内各施設の運営や住民の観光に対する考え方を変えるなど大きな影響を与え、白川村の魅力を再発見し観光振興等に貢献している。

具体的な取り組みの内容

白川郷として知られる白川村は、岐阜県の北西部に位置し、富山県、石川県と境をなし、面積356.55km2のうち95.7%を山林が占め、白山国立公園、天生県立自然公園などがあり、飛騨地域の中でも山ひだが険しい地域で、その急斜面地の間を縫うように庄川が流れ、その流域に16 の集落が点在し村を形成している。  

また、日本有数の豪雪地帯でもある白川村は、人口約2,000人、観光が基幹産業の村である。  村の中心部には、平成7年にユネスコの世界遺産に登録された「荻町合掌造り集落」(114棟余りの合掌造り建物)があり、村の一大観光スポットとなっている。  

しかし、世界遺産となった萩町地区とは対象的に、合掌集落の建物を保存・活用する場として昭和47年に開園した村営の「白川郷合掌村」(後に「白川郷合掌の里」、「野外博物館合掌造り民家園」と改称)(県重要文化財)は、最盛期には入り込み客数年間11万人余りを数えた村内最大の観光施設であったが平成11年には5万3千人と半減した。  

平成12年4月全国公募で同民家園事務局長となった中川氏は、独自の観光戦術を展開し、就任2年目で同民家園の入り込み客数を開業以来最高の12万人以上とするなど、村外者の視点から、率先垂範で「やればできる」という成功事例をつくり、白川村住民の観光に対する考え方を変えるなど観光振興のみならず地域の活性化に貢献している。
白川郷の自然
白川郷の自然

民家園の活性化へ向けた事務局長の全国公募

白川村の観光は、平成7年以降、世界遺産集落の荻町に観光客が一極集中し、同じ合掌造りで有料施設の「野外博物館合掌造り民家園」の位置づけが曖昧であったこともあり、「民家園」の入り込み客数が激減していった。  
白川村は、入れ込み客数拡大の打開策として、平成12年に事務局長の全国公募に踏み切り、全国111人の応募者の中から中川氏を選定した。海外を含めて 31年にわたる実務経験を持つ旅行会社の現役課長であった中川氏は、この選定を受け、定年を待たずに55歳で会社を退職、平成12年4月に事務局長に就任した。  

事務局長選出に際して、中川氏の「豊富な海外添乗経験で培った広い視野と観光旅行業界に精通する卓越したセンスで、二十一世紀型の旅動向に対応して、お金をかけずに民家園を活性化する。」という強い信念が大きく評価されたものである。  

「野外博物館合掌造り民家園」の再生への主な取組

世界遺産荻町集落は住民が実際に住んでいるがゆえに、時代の価値観(そこに住む人の生活スタイルの変化)によって、暮らしの風土を変化せざるを得ない。一方、「野外博物館合掌造り民家園」は合掌建築本来の原点を保存・公開し後世に伝える施設で時代が変化しても不変であり、ここに施設の存在意義があり、いかに施設の活性化を促進していくかが課題であった。

(1)「冬の白川郷」を活性化のターゲットに 中川氏は、冬期間(12月~4月)の入り込み客数が極端に少ないこと、世界遺産「萩町合掌造り集落」へ観光客が一極集中し駐車場も飽和状態で問題になっていたこと等から、「観光の通年化」が、交通渋滞、車両規制、駐車場の新設等に多大な経費をかけずに、オンシーズンの絶対量を緩和し、車両規制やゴミ等の様々な問題から『世界文化遺産白川郷』の景観を守ることができるのではないか、また、宿泊業者等の観光業者は冬の閑散期も経営が成り立つのではないかと考えた。
冬の白川郷
冬の白川郷
先ず、日本有数の豪雪地帯「冬の白川郷」は、都会の生活に馴染んだ都市住民に強烈なインパクトがあり、囲炉裏、ぬくもり、あたたかさ、寒さ、暗さ、つらさ等、厳しい過酷な自然の中で静かに佇む白川郷は、秘境そのもので、冬期間でなければ体感できない感動体験こそが観光資源であり、自然の驚異を知らない都市住民こそ「冬の白川郷」を活性化させるターゲットであると目標を定めた。
白川郷の旅行コースは「自由散策」となっていたため、「冬の白川郷」を首都圏、関西圏の旅行会社へPRし、「民家園」の暖かい囲炉裏端で「栃もちぜんざい」を提供し、白川郷の暮らしと風土を解説する民家園内ガイドツアーを商品化するなど冬期間の観光客の拡大を図った。 これらの取組は、雪がもたらす自然の厳しさ等を観光客に実感させることで好評を得て「民家園」の入り込み客数の増加のみならず、冬期間の白川郷の入り込み客数の増大につながっている。(冬期間の「民家園」入り込み客数は、平成11年度約7,700人から平成14年度は約31,000人の約4倍に増加。)
民家園 門の前で
民家園 門の前で
(2)農村の風景と暮らしの再現 ひと昔前まで秘境と呼ばれた白川郷では、生育力の強いヒエやアワ、キビ、そば、マメなどの雑穀類が一般的な村民の食料であったが、近代化が進む中で農作物も変貌し、雑穀類は姿を消していった。中川氏は、「往時の集落の姿をできるだけ守ろう」と、合掌家屋が建ち並ぶ民家園内各所に雑穀類を植え、毎年、そばやもち、だんごなどにして観光客に振る舞うなど失われた農山村の風景と暮らしを再現した。
(3)修学旅行・体験学習の受け入れ

また、中川氏は、総合学習、修学旅行、体験学習で都市の小中高校生を積極的に受け入れ、今に活かせる課外教育の「場」として、古き暮らしが息づく村の生活を「民家園」で肌で受け止めてもらい、生活者の知恵を観察、習得し、草木染め、機織り、木工工作、流木工作、餅つき、ワラ細工などに加えて田植え作業を体験学習への慣例として実践するとともに、従来の合掌造りの建物だけの「民家園」から、「みる・学ぶ・遊ぶ」博物館機能を併せ持った施設として学芸員の採用、養成にも精力を注いでいる。
民家園 草木染め
民家園 草木染め
(4)その他の主なイベントの取組 この他にも、「民家園」において数多くのイベントを企画し、入り込み客数の増大に努めている。

[1]「森の中の遊歩道」の制作: 夏休みに大学生、高校生を「民家園」のボランティアとして受け入れ、社会勉強の傍ら「自然へのアプローチ」として遊歩道を制作

[2]「白川郷風景写真38人展」を実施 :白川郷を30年前から撮り続けている全国のプロ、アマ写真家が参加

[3]「食の祭典」の開催 :地元主婦と学生の応援を得て、雑穀パン(アワ、キビ、そば)、そば団子、豆腐すったて等を観光客へ提供  

民家園以外への波及効果

白川村の食堂、土産店等は冬期間が観光のオフシーズンであることから閉店しているところが多かった。中川氏の冬期間の「民家園」を始めとした取組の成果や行動が、地域住民に冬こそ白川郷の魅力であると気づかせ、年間を通じて『世界文化遺産白川郷』を求めてくる観光客に対して、どこまでホスピタリティを体現させ得るかがポイントであるかを白川郷の観光関連業者へ気づかせたことは、観光の振興とともに地域の活性化にもつながっている。

今後の更なる活動の展開

白川村の観光の求心力は、世界文化遺産「荻町合掌づくり集落」に一極集中しており、観光客の滞留時間は短く通過型の様相を呈している。村の3分の1を占める白山国立公園の広大なエリアが原生林とピュアな自然の宝庫であり、自然環境保護の立場からも、都市住民が感動体験する自然のリアリズムにあふれ、二十一世紀型の自然と共生する新しい旅づくりが始まろうとしている時に、白川村の有する大自然の景観は魅力的な観光資源として、宿泊滞在型の新しい求心力になる。  

中川氏は、合掌建築の外形重視の景観志向から、宿泊滞在型へシフト転換するために村内の青荘年を組織してグリーン・ツーリズム公共楽談「白川郷くらしっく」を平成15年に設立し、雑穀食文化祭「第1回白川郷しんがい秋まつり」、白川郷音楽祭「100人ライブ」を実施するなど、今後、「白川郷くらしっく」を受け皿として合掌文化の風土と暮らしの生活体験を都市住民と共有し、様々な仕掛けを展開するなど活動範囲は益々拡大している。   

今後の中川氏の「観光立村・白川村」への取組が見逃せない。
このページに関するお問い合わせ
中川氏ご自宅(原則ご本人が対応)   
E-mail mn@b-612.jp

関連情報はこちら→観光カリスマ五箇山・白川郷

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