国土交通No.127
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16髙橋治が小説『紺青の鈴』で「振り返ると、小松の方向が一望に見える。荒れ川で名高い手取川が蛇行し、その河口から、時の関守、富樫左衛門尉が弁慶、義経の主従を見逃してやったという安宅の関の方角に、深い松林がのび、その先に日本海がひらける。海に至るまでの間は、小松の市街以外眼をさえぎるものもない加賀平野の広がりだった。」と表した加賀平野。その加賀平野の中央に位置する小松市。市街地の形成と歴史あるまちなみの保存前田利常治世までに寺院が郊外から集積され、小松城、北国街道の整備による町割りが形成。以降、現在の小松市の市街地はほぼ当時のまま残る。小松市は平成14年の「美しいこまつの景観を守り育てるまちづくり条例」を景観まちづくりの第一歩とし、平成21年に「小松市景観条例」、22年に「小松市景観計画」を次々に打ち出した。「昭和5年、7年の大火で従前の町家は壊滅し、伝統工法で再建された日本でも珍しい高町家が小松には高い集積率で残っている」(小松市技術監理課中田吉彦担当課長)。同じころ小松高校に20年ぶりに復活した郷土研究同好会。「平成22年の石川県高等学校文化連盟郷土部研究報告で『こまつ町家の研究』が優秀賞を受けた」(小松高校竹中隆司教諭)。「北国街道は彦根から高田まで福井、金沢、富山の主要地を経由する重要な街道。町家もまちなみも地域ごとに特色がある」(小松高校3年中田隆介君)。「高校のある小松城は、梯川から水を引いて周囲を泥状にして城を守るため小松のまちの標高は3m程度しかない」(小松高校3年花井良君)。市が取り組む前から町家再生を言い出し町家認定0号というべき滝本茣蓙店の滝本順平さんは、「銅器鋳造における江戸時代初期の名工滝本石見の弟が畳屋。それで茣蓙屋だが、時代時代に順応しないと廃れる。今は、東南アジアから民芸品も買歩けば歩くほど、新しい発見が待っている歴史に住まうまち・こまつ竹中教諭中田担当課長花井君(左)、中田君(右)かけはしがわ石川県小こまつ松市第26回石川県小松市

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