国土交通No.130
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愛知県田原市16旧市街地の空洞化田原市の中心市街地は、城下町として現在の基礎が造られ発展した。その後、豊川用水通水による農業の発展と、臨海部の造成や企業誘致・操業の結果、人口は増加し、郊外の大規模団地開発や区画整理が行われ、市街地が拡大した。反面、元からの市街地は、城下町の特性から車社会になじまないなど対応が遅れ域内人口は減少に転じた。すべては田原駅前通り線から始まった中心市街地の活性化に向けた田原市の計画は、「三河田原駅を中心とした市街地へのアクセス性を高めるため、昭和40年に田原駅前通り線が都市計画決定したことから始まりました」(田原市街づくり推進課主査渡會英樹さん)また、「田原駅前通り線は、臨海部工業地帯から中心市街地および三河田原駅を経て渥美半島の背骨である国道259号を結ぶ田原中心市街地の発展に必要不可欠な道です」(田原市街づくり推進課長柴田高宏さん)田原駅前通り線は全長4・07㎞で、うち中心市街地部分は約570m。その整備を進める強力なエンジンは、北から「旭町はなとき通り」(街路事業)、「セントファーレ」(田原中央地区第一種市街地再開発事業)、「三河田原駅周辺」(街路事業)の三つだ。霞が関の中央合同庁舎第三号館北から半蔵門交差点に向かって、皇居内堀沿いに続く緩やかな坂道、三宅坂。その途中にある国道246号の起点は三宅坂交差点。三宅坂交差点地下の首都高速道路には三宅坂ジャンクションがある。坂の名前は、現在の国立劇場、最高裁判所付近に江戸時代、三宅家の上屋敷があったことに由来する。三宅家は一万二千石の譜代大名、三河国田原藩、現在の愛知県田原市である。愛知県田原市第29回駅前の工場跡地の活用について熟考する太田部長(左)と柴田課長三宅坂渡會さん

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