国土交通省No.136
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13幹部候補生として陸上自衛隊に入隊。防衛庁ではドイツ勤務なども経験して、徹底的に危機に備える意識を体得した上で、防衛庁退職後の平成11年に吉田町に戻ってきました。当初から、愛する故郷をよりよく運営したいという志を胸に秘めていた田村町長は、平成15年の町長選挙を見据えて驚きの行動に出ました。それは、吉田町の全戸約8300戸を全て訪れ、行政への意見を聞くということでした。平成14年の3月から12月まで、約10カ月をかけて一軒一軒しらみつぶしに歩いて訪ねたといいます。 当時のことを町長は「はじめは『この人だれ?』と、変人扱いされました。でも地道に町民の皆さんの声を聞くうちに協力者も現れて『まだうちには来てくれないんですか?』と電話がくるまでになりました。そして翌年の町長選で当選。真剣にやれば、山は動くのです」と語ります。自らの足で行動する田村町長が現在推し進めているのが、防災とにぎわいとが両立するまちづくり。まずは人命に関わる防災から着手していますが、契機となったのは東日本大震災でした。「東日本大震災の津波被害は、当時繰り返し報道され多くの人の心に衝撃を与えました。また、国が巨大地震に備えて予算を組むだろうという予想もつきました。ですから町の防災懸案事項を進めるにはこのタイミングを逃してはいけないと判断し、津波避難タワーや防潮堤の計画を立てたのです。平成25年2月に大型補正予算が組まれたのを見て、私は国の社会資本総合整備交付金(防災・安全)を得るために全て直談判で吉田町の防災事業の必要性を訴えてきました」(町長)今後30年のうちに70%の確率で発生すると言われる南海トラフ巨大地震の脅威には、吉田町もさらされています。しかし町長のこの時じぎ宜を得た行動が功を奏し、国から110億円余の事業が行える補助金を得て津波防災まちづくりが着実に動き始めました。暴れ川としてその名を知られる大井川の河口付近は、広大な扇状地を形成している。吉田町の歴史は、この扇状地を開拓して生活の場を築き上げてきた。吉田町は東日本大震災の同年11月に、東京大学地震研究所の都つじ司嘉よしのぶ宣博士の監修で、1000年に一度の大津波を想定したハザードマップを作成。浸水深、浸水範囲、津波の到達時間などを明らかにした。これによると町を襲う津波高は8.6m。現在の6.2mの防潮堤を越えて市街地に押し寄せ、町域の約55%が浸水し、町民の4割は想定津波浸水域内に居住しているという結果が示された。平成23年3月11日 東日本大震災発生 平成26年3月 津波避難タワー完成(15基全体)平成24年7月 津波避難施設(道路上)設計技術検討委員会平成23年11月吉田町津波ハザードマップ完成平成24年12月津波避難タワー建設着手平成28年 多目的広場建設着手(将来像)平成37年 シー・ガーデン(海浜公園)町の沿岸部全5㎞に完成予定吉田町の防災対策の歩み田村典彦町長。平成15年4月より現職、現在4期目。神戸片岡湯日川大幡川大井川大幡吉田漁港住吉川尻駿河湾藤枝市焼津市吉田町大井川牧之原市N御前崎市遠州灘浜松市静岡市静岡県浸水深の凡例10m深い0m浅い
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