国土交通 No.147
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20田松陰は、学習意欲があれば武士や町民など身分の隔てなく受け入れた松下村塾を主宰した。明倫小学校では吉田松陰の言葉を朗唱する時間があり、福田さんは当時を思い出す。「1学期で1つの言葉を覚え、卒業するまでに18の言葉を唱えます」 現代の子どもたちにも吉田松陰の教えがつながっている。約2年10カ月という短い期間しか教えていなかった吉田松陰の名が後世まで受け継がれている理由の一つが見えた。最後に山本さんがこう結んだ。「歴史ある建物や偉人、大地とのつながりも、現代の生活の中で伝承され活用されてこそ、その価値や偉大さが生き続けると思います」。強い志がこの土地に生き続けている。  ●   ●   ●   ●   ●「萩市をくまなく取材できた」と思い地図を見返すと、行っていないところが多々あることに気付いた。さすが、まちじゅうが博物館!! 再訪を楽しみにしたい。ら萩の物語を伝える施設として、本年3月に、世界遺産ビジターセンターも含めた新たな観光起点施設「萩・明倫学舎」をオープンさせた。また、萩市では日本ジオパーク認定を目指していることから、ジオパークビジターセンターも設置し、市内各地のジオサイトや「大地とともに生きる萩」の物語を紹介している。さらに、館内の観光インフォメーションセンターには、市民団体などが作成した15地域の「おたからマップ」が置いてある。「かなり詳しい情報を載せています!」と山本さんが自信を持って薦すすめる詳細なガイドマップであり、その土地の歴史・文化・自然の物語を分かりやすく学べる。現代に受け継がれる吉田松陰の教高杉晋作、久く坂さか玄げん瑞ずい、伊藤博文、木戸孝たか允よし(桂小五郎)……と、萩は日本の歴史を担うリーダーを数多く輩出した。その中でも萩市の歴史を語る上で特に外せない人物を紹介したい。吉田松陰である。吉〈 吉田松陰の言葉 〉志を立ててもって 万ばん事じの源となす書を読みてもって 聖せい賢けんの訓おしえをかんがう◦総門国の重要文化財にもなっている吉田松陰誕生地より指月山や市街を一望できる◦吉田松陰幽ゆう囚しゅうノ旧宅の一角(世界遺産)◦石灯籠墓前には藩士が寄進した約500基の石灯籠があり、整然と立ち並ぶ姿は荘厳な雰囲気がある。毎年8月15日の「萩・万灯会」の送り火では、灯籠に灯が入る。◦吉田松陰墓所松陰没後100日に故人の霊を弔い遺髪を埋葬した。門人らが名を刻み寄進した水盤や花立て、石灯籠が墓前に並ぶ。没後150年超えた今も花が手向けられている。◦笠山椿群生林溶岩台地の上に約25,000本ものヤブツバキが2~3月頃見頃を迎える。見頃にあわせて、「萩・椿まつり」が毎年開催される。◦須佐湾黒と灰色のストライプが織り成す断崖。泥と砂が堆積してできた地層にマグマが入り込み、その熱で焼かれてできたホルンフェルス(熱変成作用によって生じた変成岩)。元禄4年(1691年)、3代萩藩主 毛利吉よし就なりが創建し、同市内にある大照院と並ぶ毛利家の菩提寺で全国有数の黄おう檗ばく宗しゅうの寺院。3代~11代までの奇数代藩主夫妻が葬られている。(初代と12代までの偶数代の墓は大照院)◦笠山周辺笠山山頂の展望台より。安山岩でできた小さな溶岩台地が日本海に浮かぶ風景を眺める。東とう光こう寺じ吉田松陰ゆかりの地ジオパーク構想須佐ホルンフェルス歴史のまちと知られる萩の土地の大部分は、マグマの活動でつくられた地質や自然の宝庫でもある。萩の歴史・文化・自然と大地の物語を紹介。おたからマップジオパークとは?「地球・大地(ジオ)」と「公園(パーク)」を組み合わせた言葉で、大地の成り立ちと人のつながりを体感できる場所◦指し月づき山やまと萩三角州「陶芸の村公園」から萩の三角州を望む

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